「英雄の生涯」を聴きまくる
第3回 カール・ベームの英雄の生涯
前編
R.シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」作品40
カール・ベーム指揮ウィーンフィル
バイオリン演奏:ゲルハルト・ヘッツェル
録音:1976年4月、ウィーン
交響詩「ドン・ファン」作品20
カール・ベーム指揮ベルリンフィル
録音:1963年4月、ベルリン
DG(国内盤 POCG-9815)私はカール・ベーム最晩年にクラシック音楽を聴き始めた。まともに聴いた最初のクラシック音楽は、ベーム&ウィーンフィル来日公演におけるベートーヴェンの交響曲第5番、第6番だったと思う。テレビに映るベームは枯れたお爺さんであった。指揮をする姿が変わっていて、指揮棒をわずかしか動かさず、拍子さえ取っているようには見えなかった。堅く結んだ口元がいかにも実直なドイツ人の親方という感じがして、子供心にも頼もしい気がした。私は、「ベームのベートーヴェンは、正しいドイツ人の正しい演奏だ」と勝手に解釈していたものだ。それからしばらくして、この「英雄の生涯」のLPが出た。R.シュトラウスの油絵がジャケットに使われていて、とてもいかしていた。
当時、ベームは大人気だった。音楽雑誌では神様のような扱いだったと思う。私も演奏の比較ができなかったから、ベームの演奏が「最も正しい<英雄の生涯>」であると固く信じていた。が、ある日とある雑誌を読んでいたら、あろうことか、この演奏をこき下ろす文章に出っくわした。曰く「老化が進んだベームに堪えられない。この<英雄の生涯>はとりわけ老化現象が見られる。(筆者は)最後まで聴くのが辛く、我慢して聴いた」。高校生の私はその演奏評を読んで飛び上がらんばかりに驚いた。そして、「なんてことを言いやがるんだ」と怒り狂った。が、今聴いてみると、その演奏評はある意味で正しかったと思う。ベームの「英雄の生涯」はテンポがゆったりとしているせいもあるが、指揮者の疲れた感じが伝わってくる。特に「英雄の業績」以降は、間延びして聞こえるところもある。だから、これでは老化したと取られても致し方ないと思う。ベームの演奏でも57年のドレスデン盤は剛毅そのものであった。演奏時間はほぼ変わらないのに、ウィーンフィル盤では英雄の足取りが極端に重くなる。ブラインドテストをしたら、同じ指揮者の演奏とは分からないのではないだろうか。
話は戻るが、ベームの「英雄の生涯」を酷評した評論家は、結構すごいと思う。なぜなら、ベームの人気が沸騰している頃に、あえて苦言を呈していたからである。ベームを神様扱いする風潮に付和雷同することは簡単だったはずなのに、そうしていない。自分の耳に自信がなければなかなかできなかったと思う。人気と演奏の出来具合は必ずしも正比例しないことをその評者はよく知っていたのだろう。
さて、ここまで悪態をつくと、DGからクレームが来そうなので、ここからは褒め言葉を書こう。この録音にはとてつもない魅力があるのだ。それは、朗々と鳴り渡るウィンナ・ホルンの音である。数ある「英雄の生涯」の中でも、ベーム盤のホルンの音は特に際立って聞こえる。「英雄の生涯」は最初から最後までホルンが活躍する曲なので、ホルンの技術・音色が極めて重要である。ベームの指揮に幾分不満がある人でも、ウィーンフィルのホルン軍団の魅力からは逃れられないだろう。ウィーンフィルのホルンは無茶苦茶上手いし、角笛感がにじみ出ている。ベームはホルンパートを重視していたのだろう、オーケストラの強奏の中で各楽器の音がブレンドされ、個別の音が埋もれがちな場合でさえ、バリバリ吹きまくるウィンナホルンが聞こえてくる。それはそれは雄々しくて痺れてしまう。私が「英雄の生涯」で最も聴き耳を立てているのは、「英雄の業績」が開始してすぐ現れる「ドンファン」の動機である。ここは指揮者によって吹かせ方が全く違っていて、面白い。全体としては非常に優れた演奏であったライナー盤ではやや控えめで、遠くで微かに鳴っているようにしか聞こえない。そこがライナー盤に対する唯一の不満点であった。ベーム盤では勇壮な旋律が実に力強く鳴り渡る(ベームのシュターツカペレ・ドレスデン盤でもばっちり決まっている)。私は「英雄の生涯」のCDを見るたびに思うのだが、この曲くらいはホルンセクションの名前を載せてもらいたい。「英雄の伴侶」におけるバイオリンソロの名前がクレジットされるのは当然としても、ホルンの活躍ぶりを考えると、ホルンセクションの表記がないのは寂しすぎる気がする。
ベーム&ウィーンフィルの「英雄の生涯」はベームの指揮ぶりに関わらず惚れ惚れする。ホルンの音色を聴くだけでも価値ある録音だと思う。57年のシュターツカペレ・ドレスデン盤は最上のモノラルだったので、鑑賞するのに不満はなかったが、やはりモノラルの限界はある。一方、ウィーンフィル盤はギュンター・ヘルマンスが録音を担当しただけに、良質のステレオ録音となった。ウィーンフィルのすばらしいホルンの音をここまで完璧に捉えていては、その魅力は絶大である。
シューベルト
交響曲第2番変ロ長調D125
R.シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」作品40
カール・ベーム指揮バイエルン放送響
バイオリン演奏:ルドルフ・ケッケルト
録音:1973年9月29日、ミュンヘン、ヘルクレスザール
ORFEO(輸入盤 C 264921 B)ベームのライブ盤。しかもステレオ。演奏されたのは73年だから、ベームは79歳。老齢である。しかし、この演奏はそんな年齢を感じさせない演奏で、生気が横溢し、実に若々しい。ウィーンフィルとのスタジオ録音はこの3年後だが、ウィーンフィル盤とはあまり似ていない。強引なまでにオケをぐいぐい引っ張る豪快な演奏をするあたりは、ずっと古い57年ドレスデン盤と同様である。70年代以降のベームは重厚長大な演奏が増えてきたと私は認識していたのだが、必ずしもそうではなかったらしい。こうしたライブ盤が出ると、従来の歪んだイメージが是正されるから有り難い。ベーム爺さんは聴衆の前では年齢を忘れることができたのかもしれない。
バイエルン放送響は私の好きなオケのひとつである。クーベリックの演奏でこのオケに親しんだからだ。腕利きのプレーヤーばかりだから、ライブといってもほとんどキズのない演奏をしてのける。その完成度には驚くばかりだ。オケの音色はドレスデンやウィーンのオケのように際立った特徴がないにしても落ち着いており、いかにもドイツの名人オケという感じがする。ベームはウィーンフィル盤同様、ここのホルンセクションも叱咤激励しつつ煽りまくったようだ。録音マイクの設定にもよることだろうが、ホルンのバリバリ度はウィーンフィル盤より激しい。「そんなか弱い音しか出せんのかい」とでも言いながらリハーサルをやったのだろう。そう思えてくるほど徹底した鳴りっぷりである。もっとも、これはホルンに限ったことではなく、ラッパも息せき切って演奏している。CDで聴いてさえ、その迫力に仰け反るくらいだから、ミュンヘンの聴衆は金管楽器と打楽器の織りなす大音響に度肝を抜かれたのではないだろうか。ライブのカール・ベームはノリに乗っており、一気呵成に「英雄の生涯」を演奏している。老人の芸とは思えぬ、とても爽快な演奏だと思う。これなら、ウィーンフィル盤に納得できない人でも十分楽しめるだろう。
ところで、このCDは演奏時間上、メインが「英雄の生涯」のはずなのだが、前座のシューベルトが感涙の名演奏なのである。私はシューベルトの交響曲第2番という曲をあまり評価してこなかったので、このCDを買ってきてからも「英雄の生涯」から聴いていたが、もったいないことをしていたものだ。ベームの指揮で聴くと、シューベルトの若書き交響曲がベートーヴェン並みのスケールをもって迫ってくるのである。ベームは8番「未完成」でも9番「グレイト」でもなく、ましてや、4番でも5番でもなく、わざわざこの2番を選んで演奏しているのだから、よほどこの曲に共感があったのだろう。私は小粒で地味で、正直言えばやや面白味に欠ける曲だとばかり思っていたのだが、ベームは感動的な演奏をする。第1楽章におけるダイナミックな音楽展開、第2楽章における情緒纏綿の変奏、第3楽章の優雅さ、第4楽章の劇的緊迫感。どの楽章を聴いても新たな発見がある。シューベルト18歳の曲が、ここまで深い内容を持っていたとは露ほども知らなかった。さすがベーム。ベームはシューベルトを得意にしていてDGに全集も録音し、79年にはシュターツカペレ・ドレスデンと交響曲第9番「グレイト」の記念碑的ライブ録音を残している。この2番はその「グレイト」に優るとも劣らない名演であると断言しよう。ミュンヘンの聴衆だって、どれだけこの曲に期待して会場に来ていたか分からないが、感動の大曲に変貌した交響曲第2番を聴いて落涙したのは1人2人ではないはずだ。なぜか聴衆の拍手はきれいにカットされているが(「英雄の生涯」も同様)、嵐のような拍手がこの曲の後に湧き起こったことは想像に難くない。このようなすばらしいシューベルトを聴かせることができたベームとは、なんという指揮者だったのであろうか。奇跡的な名演奏をCD化してくれたORFEOにも感謝感謝。
R.シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」作品40
「4つの最後の歌」
ソプラノ:アンナ・トモワ・シントウ
カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1976年8月11日
Link(CD-R 609-1)海賊CD-R。ジャケットは安物のインクジェットプリンターで印刷したようなピラピラの紙切れ。見るからに粗悪である。私はCD-Rを手に取るたび、買うのを躊躇してきた。しかし、ベームがカペレを指揮したこの録音だけは店頭で見かけて以来気になっていた。ファンの足元を見るようなCD-Rは買わない主義であったが、ベーム&カペレの「英雄の生涯」とくれば、どうしても食指が動く。「これは買っておこう」と思い直して探しに行くと、今度は品切れ。何とも皮肉な話だが、海賊盤メーカーに嘲笑されているような気がしないでもない。そんなとき、親切な読者(ホルン奏者の村山さん)がこのCD-Rを貸して下さった。何とも有り難い話である。
この海賊盤ではベーム&カペレの組み合わせによる理想的な音楽を聴ける。音楽進行は57年盤とは大きく異なり、ベームはオケを強引にドライブするのではなく、音楽作りの半分をオケに委ねている。念には念を入れて先に進むような慎重な音楽作りが冒頭に聴かれるが、その後はおおよそオケの自主性を重んじたとしか思えない自然体の演奏に仕上がっている。ただしオケがカペレともなると、自然体のレベルが違う。一所懸命になりがちなオケだから、緩む場所とてなく、最後の最後まで感動的な仕上がり。指揮者とオケの間によほどの信頼関係がなければこんな演奏はできまい。最晩年のベームは豊富なR.シュトラウス演奏経験があったし、カペレの機能美・色彩美の活用法を最も理解していたと思われる。いくつかのキズもあるが、オケの出来もほぼ万全。有名首席奏者をずらりと集めたとおぼしき木管セクションの音色が聴きものだし、弦楽器が揃いに揃ってビロードのような音色を聴かせるところなど圧巻。そして何よりもすばらしいのはホルンセクションだろう。屈強のホルン軍団を率いるのは他ならぬペーター・ダム先生だ。抒情的なホルンを聴かせるダム先生の音が、大音響の中でも完全に聴き取れる。どういうマイクの設置が行われたのか分からないが、「英雄の生涯」で徹頭徹尾ダム節を堪能できるのだからたまらない。
私と同じようにこの演奏を聴いて感嘆した方のコメントがあるのでご紹介したい。
ベームの、というよりもすべての「Heldenleben」演奏の中でも、小生の知る限りでは最高の演奏かもしれない、と思っています。ベームはバイエルン(Orfeo)盤以上とも言えるエネルギーの放出を感じさせ、あの冒頭のEsからオケも気合の入った音を出しております。
ホルンの1番は間違いなくダムだと思います。で、彼が素晴らしい演奏を聴かせてくれています。どこが、というよりも曲中1st Hornが鳴っている部分全てが聴きものといっても良いと思います。決して大きな音を出しているわけでもないのですが、全体の響きの中に溶け込みながらも、あの、「ダムの音」がはっきりと聞き取れます。音をはずす所も数箇所ありますが、それを補って余りあるパフォーマンスです。
勿論、ホルンはセクションとしても素晴らしく、見事な「音の柱」を立ててくれています(ドイツのオペラハウスのオケの特徴ですね)。
ホルン奏者、青津さん
もはやこれ以上の説明の要がない文章だと思う。「音の柱」という表現はこの演奏に聴くカペレのホルン軍団に最適だ。青津さんご自身がホルン奏者だから、ホルンの音を注意して聴いてしまうことも十分あるだろうが、私も全く同意見なのだ。このような立派な演奏が海賊盤でしか聴けないとは何ともったいないことだろうか(演奏はザルツブルク音楽祭におけるライブらしい)。
なお、音質は万全とは言い難い。ステレオ録音だが、分離が良くない。「英雄の引退と完成」ではマイクが何かと接触するゴツゴツゴリゴリという音まで入っている。が、紛れもないカペレサウンドが堪能できるはずだ。私はこの録音に聴くホルンソロが頭から離れなくなり、困っている(ちなみに、演奏時間が48分と表記してあるが実際には43分だ。こういうところ、最後まで信用がならない)。
ところで、このCD-Rの余白に収録されている「最後の4つの歌」も聴き逃せない。なぜなら、こちらもダムのソロが聴けるからだ。「9月」のエンディングで聴かれるホルンソロなど感涙ものである。なお、CD-Rのジャケットには何の表示もないが、ベームは曲順を変更している。一般的には、
- 第1曲:「春」
- 第2曲:「9月」
- 第3曲:「眠りにつこうとして」
- 第4曲:「夕映えの中で」
だが、ベームは第3曲、第1曲、第2曲、第4曲の順で演奏している。
2000年7月12日、An die MusikクラシックCD試聴記