小澤征爾の与える感動
マーラー
交響曲第8番変ホ長調
小澤征爾指揮ボストン響、ほか
録音:1980年10月13日、11月4日、ボストン・シンフォニー・ホール
PHILIPS(国内盤 PHCP-9592/3)ハイティンク指揮のマーラー交響曲第8番を聴いていたら、私はすっかりこの曲に染まり、他の演奏も一緒に楽しんでしまった。巨大な曲であるため、どの指揮者もいろいろな工夫をしていて面白い。中でも出色だったのは、小澤征爾指揮による演奏だった。これはかつて大評判になった名録音なので、ご存知の方も多いだろう。1980年のライブ録音である。第1部と第2部では小澤のアプローチは全く違う。録音データを見ると、録音の日付がかなり離れた2つの日にわたっている。全く違うアプローチをした2つの演奏を組み合わせたのか、あるいは最初からそういうアプローチをしたのだろう(多分後者だと思うが)。
第1部では小澤征爾は燃えまくり、音楽が過熱している。合唱団はやや阿鼻叫喚気味だ。ソリストも。後半部分のように、おめき叫んでいるような場所もある。その一方でオケが冷徹に演奏している。合唱を煽りまくったのは小澤征爾だから、阿鼻叫喚になったとしても私はそれを合唱団のキズだとは思わない。いずれにせよ、大変な熱演である。会場で聴いていれば、ものすごい迫力であっただろう。
昔このCDを買おうとした私に「あの合唱団は素人集団だから、やめといた方がいいよ」とアドバイスしてくれた人がいたのだが、そのようなことは全く気にならなかった。合唱団はタングルウッド祝祭合唱団とボストン少年合唱団で、「素人集団」というのは、前者を指しているのだと思うのだが、仮に素人集団であったとしても、音楽の与える感動とは直接には関係ない。
ところで、この演奏は第1部が大熱演だから感動的なのではないのである。いかにも小澤らしい力を入れ方をした第1部は、あまり大きな声では言えないが、何度か聴いているとうるさく感じられてくる。ではどこがいいのか。それは、第2部の最後の部分、栄光の聖母が「Komm !」と歌い、やがてマリアをたたえる博士が「Blicket auf...」と繋げるあたりからである。マリアをたたえる博士(テノール:ケネス・リーゲル)が詠嘆的に歌い終わると、オーケストラだけの天国的な調べが登場する。そこを聴いているうちにえもいわれぬ幸福感に浸っていると、いよいよpppで「神秘の合唱」が始まるのである。
小澤征爾の音楽はこの部分で最高潮に達する。合唱が最弱音で開始するところはまさに神秘的になる。音楽は最弱音を保ったまま進行するが、それは小澤の演奏で最も美しい局面である。もしかしたら日本的な情緒なのかもしれないが、心に沁みいる感動の音楽になっている。その後音楽は徐々に拡大してゆき、やがては怒濤のようなうねりを見せ、管弦楽による最強音になって終結する。その間、わずか6分。小澤征爾はこの大曲の演奏に1時間19分費やしているが、勝負はこの6分にかけているのだろう。それは合唱団にもオケにも伝わっているらしく、心のこもった演奏が聴ける。小澤は壮大さの中にではなく、最弱音の緊張の中に思いの丈を詰め込んだ。それを聴き手はそっくり受け渡してもらえる。多少浪花節的ではあるが、これほどの感動を与えられる「神秘の合唱」はざらにはないはずだ。
小澤征爾は90年代になってバッシングの対象とされている。特にサイトウ・キネン・オーケストラを指揮するようになってからは、「音は奇麗だけど、いったい何を表現したいのか分からない」といわれ、さんざんな評価を受けている。確かに、小澤から受け取るメッセージは90年代に入って極端に減ってきたような気がする。しかし、このマーラーを聴くと、小澤は音楽家としてこれからも我々リスナーに大変な感動を与えることができるはずだと私は思う。「小澤なんて...」と思っている方にはぜひお薦めのマーラーであろう。
なお、このCDはライブ録音であるにも関わらず、すばらしい音質だ。PHILIPSの録音スタッフはボストンのシンフォニー・ホールの響き方を完全に把握しているとしか思えない。ソリスト、特に女声がお風呂場的になる以外は、私は不満を感じない。第1部を通して重要な役割を果たすオルガンがとても鮮明に収録されているところも嬉しい。
小澤のマーラーとは全く違うアプローチをしている演奏があるので、ひとつご紹介しておく。
マーラー
交響曲第8番変ホ長調
マゼール指揮ウィーンフィル、ほか
録音:1989年6月19-24日、ウィーン・ムジークフェラインザール
SONY CLASSICAL(国内盤 SRCR 2273-4)小澤の演奏では、第1部が熱狂、第2部は沈潜となっており、全曲を見通した場合、残念ながら統一性が感じられないでもない。しかし、マゼールは最初から全曲の完全な設計を行っており、第1部冒頭から第2部「神秘の合唱」のテンポまで見事に統一している。彼が取ったテンポは非常にゆったりとしていて、それだけでもただごとならぬ雰囲気を感じる。いわゆる巨匠風のスタイルとはこんなものを指すのではないだろうか。重厚さにおいて比類がないだろう。
ただし、第1部においても決して急がず、慌てないので、耽美的ではあるが、熱狂とは無縁である。マゼールにとって、作品の巨大さを徹底して聴衆に焼き付けるにはこのテンポが不可欠だったのだろう。第2部の「神秘の合唱」も、大きな構えの中で堂々の完結を見せる。マゼールの鋭い視線が全曲の隅々に及んでいる恐るべき録音である。マゼールの目からすれば、小澤の演奏など児戯に等しいと感じられるのかもしれない。マゼールの得意な顔が思わず浮かんでくる。
でも、私は、これを少なからず権威的な演奏だと思う。重厚長大、巨匠風、権威的なのだが、この曲はもっと感動的なはず。超豪華なキャストを使い、最高の録音状態であるにもかかわらず、どうも「何かが足りない」と思う時がある。それも贅沢な要求だと分かってはいるのだが....。
2000年9月21日、An die MusikクラシックCD試聴記