「英雄の生涯」を聴きまくる
第5回 ウィーンフィルに聴く「英雄の生涯」

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R.シュトラウスの自作自演盤

カール・ベーム盤

 

 

CDジャケット

R.シュトラウス
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30(録音:1950年6月12-13日)
交響詩「英雄の生涯」作品40(1952年9月)
クレメンス・クラウス指揮ウィーンフィル
バイオリン演奏:ウィリー・ボスコフスキー
DECCA(国内盤 POCL-4309)

 50年も前の録音。当然ステレオなどではなく、モノラルによる録音である。DECCAの優秀な技術によるモノラルらしく、音像はスピーカーの中央に定位し、奥行き感が良く感じられる。どの楽器の音も鮮明に聴き取れる名録音だ。さすがに左右に音像が広がったりしないから、デジタル録音による最新のステレオに慣れている人にはやや物足りないかもしれない。演奏は、というと、纏綿たる情緒は少し希薄で、他の指揮者とオケによる演奏では感動的になる「英雄の引退と完成」もあまりしんみりこない。それでもなお、私は繰り返し繰り返し聴くに値する演奏だとも思う。

 クラウスは「かっこよくきめて見せます」というショウマンシップからはほど遠いところにいるのか、大見得を切らない。演奏は意外にもノーマルなのだが、全曲に太い骨格が感じられ、クラウスはその骨格に、きたない贅肉や脂身をつけることなく、磨き抜かれた美しい筋肉だけを付け加えて曲を仕上げている。音楽の太い芯を聴き手は追いかけていくことになる。情緒纏綿でも、スリリングでもない演奏なのだが、最後まで音楽を楽しませてくれるのはそのせいだと思う。

 そして最大の良さは、ウィーンフィルの色気である。モノラル録音であるにも関わらず、極上のサウンドが堪能できるのだ。古い録音のわりに木管楽器がチャルメラ化しておらず、艶と張りのある音色を楽しめるし、ボスコフスキーのソロ・バイオリンをはじめとする弦楽セクションも見事なアンサンブルと透明感あるサウンドを聴かせてくれる。さらに充分な鳴り方をしているのに全然うるさくなっていない金管セクション。それはオケ全体として信じがたいほどの色気を放っているのだ。もう文句なし。これだけのサウンドを聴かせる「英雄の生涯」の録音は、同じウィーンフィルによるものでも他にない。クラウスという希代の指揮者と1950年代という時代があってこそ生まれた演奏だと思う。

 私の憶測だが、現在のウィーンフィルだって、これだけの音色で、こんな太い芯のあるR.シュトラウス演奏はもうできないのではないか。オーケストラの技術自体は年々進歩し、おそらくこの録音に聴く演奏レベルを超えるオケなど、いくつもあるのだろう。しかし、技術と美音だけではこの時代のウィーンフィルに及びもつかないのである。私の手許にも、デジタル録音による音質と、最高の技術、とろけるような美音による演奏のCDがあるのだが、演奏を最後まで聴き続けることができないものもある(どのCDかは、秘密)。音楽は技術が全てではないのだということをこの録音はいやというほど見せつける。

 カップリングされている「ツァラトゥストラはかく語りき」は、驚くべきことに、「英雄の生涯」をさらに上回る名演奏、名録音だ。この組み合わせによるCDでは最強と断言してしまって良いのではないか。さらにいうと、両曲の演奏は、50年も前のものだが、さらに50年後もまだ聴き継がれていると私は確信している。すなわち、100年単位の鑑賞に堪えうると思う。どんなに技術が進んでかっこいい演奏が出てこようとも、1950年頃のウィーンフィルによる最高のR.シュトラウス演奏の記録として、この録音は歴史に書きとどめられるべきものだと思う。モノラルだからどうのこうの、というレベルは完全に超越している。

 ところで、最近この録音がこの組み合わせのままでTESTAMENTから発売された。私としてはこの国内盤の音質に十分満足しているので、あえて買い替える気がしないのだが、音質の良さで知られるTESTAMENT、ひょっとするとすごい音質改善をしているのかも。実は、気が気でならない。買い替えるべきか、否か?

 

2000年9月25日、An die MusikクラシックCD試聴記