エーリヒ・クライバーの録音を聴く
前編
ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
録音:1950年5月、コンセルトヘボウ
交響曲第5番ハ短調 作品67
録音:1953年9月、コンセルトヘボウ
エーリヒ・クライバー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
DECCA(輸入盤 467 125-2)早く再発されないものかと長らく鶴首していた録音がようやく再登場してきた。父クライバーの「エロイカ」である。この録音、かつてKINGから国内盤が発売されていた。私も以前、CDショップで手にとって見たこともある。面白そうだったので買おうかと思ったが、値段が2,600円ほどしたのでどうしても手が出ずに見送った。ところが、よくあることで、家に帰ると無性に聴きたくなる。数日後同じショップに行くと、今度は売り切れ。店員さんに聞くと、「もうあれで当店の在庫はありません。メーカーにも残っていないんです」という答えが返ってきた。私が、めぼしいCDはその場で買うべしという教訓を徹底的に守るようになったのは、その事件があったからである。
「エロイカ」がなかなか再発されなかったのは、やや海賊盤的な音源だからだと私は思い込んでいた。KINGから発売されていた際には、トスカニーニ指揮フィルハーモニア管によるブラームスの交響曲第1番、第4番のライブ録音もシリーズに含まれていたからだ。それはもちろん、TESTAMENTから正規盤が出る前で、国内の大手レーベルから発売されていたのに、結構海賊的なシリーズだと思われた。だから、私はてっきり、アムステルダム・コンセルトヘボウ管との「エロイカ」もそうに違いないと睨んでいたら、そうではないらしい。今回発売されたCDは、れっきとしたDECCAのスタジオ録音で、きちんとしたリマスタリングが行われている。しかも、今回は交響曲第5番をカップリングして、輸入盤で1,290円とお手ごろ価格。これは買わざるべからず。
演奏は、すさまじいの一言。嵐のような演奏である。交響曲第3番は有名なウィーンフィルとの録音(1955年録音、DECCA)があるし、私はクライバーがコンセルトヘボウ管とスタジオ録音した交響曲第5番、第7番を聴いていたので、ある程度演奏内容を予想していたのだが、それを遙かに上回るすさまじさだ。1950年当時、世界屈指の高機能オケであったコンセルトヘボウ管が悲鳴を上げんばかりに絞られているのである。指揮台に立つクライバーは、まるで冷酷な表情を浮かべ、鞭でも手にした帝王だとしか思えない。コンセルトヘボウ管のメンバーは非情な指揮者の鞭に怯えながら、必死の形相で演奏をしているのだ。特に弦楽セクションの絞り上げ方は半端ではない。優雅な弾き方などどこにもない。また、力を込めてゴシゴシ弾いているわけでもない。ギリギリ・ギュルギュル・キリキリ、めまぐるしく必死に弾きまくっているのである。多分彼らは、指揮者の嵐のように荒れ狂う速いテンポについていくのさえ辛かったのではないだろうか。
弦楽セクションがこんな状態では、木管セクションも金管セクションもかなりハードだっただろう。絞られるのは彼らとて同じである。が、コンセルトヘボウ管の木管セクションは驚くほどしっかりとクライバーの指揮についている。フルートなど、実に冴えた音色を聴かせる。惜しむらくは経年劣化のためか、オーボエの音が若干チャルメラに近くなっていることくらいで、それすらこの嵐のような演奏の前では取るに足らない。
この演奏は嵐のようだと私は思うのだが、他にどんな形容ができようか。重厚な構えよりもアップテンポによる痛快な演奏と感じる人もいるかもしれない。しかし、決して軽快ではない。クライバーの作る音楽はエネルギーを猛烈に発散しながら疾走する機関車あるいはジェット機のようだ。爆音が響き渡る中で過ぎ去る50分の何と短いことだろうか。心に沁みいるような感動的な「エロイカ」ではないが、鉄人クライバーの恐るべき素顔をまたぞろ見せつけられた驚異のCDだと思う。これがウィーンフィル盤に隠れてきたとは、とてももったいないことだ。残念ながら、ウィーンフィルよりもネームバリューで劣るコンセルトヘボウ管だから、また隅に追いやられるのだろうか。せっかく再発されたが、またいつ廃盤になるか分からない。この超絶的演奏の存在を知ってしまった人は、すぐCDショップで1,290円を払って買うべし。買って絶対損はしないと思う。
ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
エーリヒ・クライバー指揮ウィーンフィル
録音:1955年4月11-14日、ムジークフェラインザール
「レオノーレ」序曲第3番 作品72a
歌劇「フィデリオ」序曲 作品72b
クレメンス・クラウス指揮ウィーンフィル
録音:1954年5月22,23日、ムジークフェラインザール
DECCA(国内盤 POCL-4305)DECCAは上記コンセルトヘボウ管との優れた録音があるというのに、どういうわけか、わずか2年後にクライバーに「エロイカ」を再録音させている。もしかしたら、クライバーからの強い要請があったのかもしれない。この間、モノラルからステレオに変わったわけではない。また、録音年が2年しか違わないので、演奏スタイルはほとんど同じ。レコード会社としては、量販できそうなウィーンフィルを選んだということか。しかし、2つも「エロイカ」を残してくれたお陰で、我々は楽しみを倍加させることができる(注:解説によれば、放送用録音を含め、クライバーの「エロイカ」は5種類あるとか)。ということで、コンセルトヘボウ管盤(旧盤)とウィーンフィル盤(新盤)との比較を簡単にしてみよう。
音質について:
新旧盤ともモノラル録音であるが、音質的には大きな差があり、ウィーンフィル盤が上。かたやコンセルトヘボウ、かたやムジークフェラインザールと、世界最高の音響を誇るホールで同じレーベルが録音をしているのに、前者は乾いたデッドな音質で収録されている。結果的に、それがクライバーの激烈な音楽作りを、より際立たせているのに対し、後者はムジークフェラインの豊かな残響が十分捉えられ、しかもしっとりとした響きを聴かせている。オーボエがチャルメラ化することもなく、強奏時における混濁もほとんどない。わずか2年の間に、モノラル録音技術は随分と進歩したらしい(もっとも、そこがモノラル録音技術の頂点で、既にステレオ録音が始まっている)。DECCAは少なからぬ録音をコンセルトヘボウで行っているから、コンセルトヘボウにおける録音ノウハウが足りなかったとは言えないだろう。音質の差は、技術の進歩に帰すしかないと私は思う。
リピートの扱い:
第1楽章のリピートは、コンセルトヘボウ管では省略しているのに対し、ウィーンフィル盤では実施している。より原典に回帰する姿勢が新盤に見られるかもしれない。が、これだけでは、そうだと私は断言できない。
指揮ぶり:
ここは、私がコンセルトヘボウ管のファンだということを、ある程度考慮に入れて読んでいただきたい。クライバーの指揮ぶりはコンセルトヘボウ管では激烈を極め、オケのメンバーが必死に演奏する形相まで彷彿とされる。オケに対する指示の徹底、録音時におけるクライバーの指揮に対する追随はコンセルトヘボウ管の方が遙かに優っている。同じ録音技術が使われていれば、オケの音色も数段上回って聞こえたはずだ。ウィーンフィル盤においても、クライバーは同じ音楽を目指していて、ウィーンフィルも最高の技能を披露してくれているのだが、コンセルトヘボウ管と比べると、おとなしく感じられて仕方がない。もっと過激な発言をすると、この演奏に限って言えば、ウィーンフィルは演奏に対する積極性がコンセルトヘボウ管より不足している。信じがたいことだ。もしコンセルトヘボウ管盤を知らなければ、ゆめゆめそのようなことを感じることはなかったに違いない。
ざっと、こんなふうであろうか。面白いことがもうひとつある。新旧両盤を聴くと、クライバーが自分が思い描く音楽スタイル、サウンドをどのオケに対しても指示し、それを実現できることがよく分かるのだ。全く違う性格のオーケストラであるコンセルトヘボウ管とウィーンフィルにおいて、クライバーの音楽、サウンドが共通して聴き取れるのは驚き以外の何ものでもない。ブラインド・テストをしてもクライバーが指揮していると分かるほどの徹底ぶりだ。実は、ロンドンフィルを指揮したモーツァルトの交響曲第40番(1949年4月25日録音)を聴いてもやはりクライバーの音がするのである。何とも超人的な指揮者である。
いくつか気がついた点だけを書き記しただけでもこれだけの比較試聴ができるとはCD鑑賞冥利に尽きると言うものだ。個人的には私はコンセルトヘボウ管を取りたいのだが、いかがだろうか。詳細に吟味すれば、クライバーがいかにコンセルトヘボウ管で鬼神のような指揮をしたかが理解されると思う。ウィーンフィル盤は録音の安定感においてコンセルトヘボウ管盤を凌駕するものの、スリリングさでは一歩も二歩も引けを取っている。ウィーンフィル盤を持っている人は念のため、両盤を比較試聴してみると面白いと思う。私と全く逆の感想を持つことも十分あるとは思うが、楽しくて何度も聴き直したくなること請け合いである。
なお、ウィーンフィル盤に余白埋めに使われたクレメンス・クラウスのベートーヴェンの序曲だが、いずれも聴き応えある演奏なので、お薦め。私を含め、「あのクラウスがベートーヴェン?」という向きもあるだろうが、期待を十分満足させる楽しい演奏を聴かせてくれる。私はあまりの重々しさにびっくりしたが。
ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
エーリヒ・クライバー指揮ウィーンフィル
録音:1952年6月1-4日、ムジークフェラインザール
DECCA(国内盤 POCL-4306)声楽陣
- ウィーン楽友協会合唱団
- ソプラノ:ヒルデ・ギューデン
- コントラルト:ジークリンデ・ワーグナー
- テノール:アントン・デルモータ
- バス:ルートヴィッヒ・ヴェーバー
クライバーの「第九」。演奏に参加したメンバーは錚々たる顔ぶれで、とてもゴージャス。でも、地方でも楽々入手できる国内盤があるのに、このCDの演奏について語られているのを、私は見たことも聞いたこともない。その理由は何だろうか。
多分、演奏内容があまりいつものエーリヒらしくないからではないだろうか。エーリッヒの録音を聴く醍醐味は、鋭い切れ味と小気味よいテンポ、無駄のない引き締まった響きにあると私は考えているが、この「第九」には、少なくとも「小気味よいテンポ」が欠けている。クライバーはここではかなり落ち着いたテンポで演奏しているので、上記「エロイカ」や交響曲第5番、第7番を知っている耳で聴くと、少なからず戸惑う。クライバーほどの大指揮者が演奏するからには、テンポ設定には当然指揮者の強い信念が反映されているのだろうが、鉄人となり、嵐のようなベートーヴェンを録音したクライバーは、「第九」についてはオーソドックスそのものの演奏をしている。第1楽章の展開部などでわずかにクライバーの強烈な情熱のほとばしりを聴くことができる以外は、全曲がいたって冷静な演奏である。
しかし、この演奏の凄さは、その冷静さにあると言ってもよい。いろいろなタイプの「第九」があるとは思うが、これはほとんど熱狂的ではない演奏だ。第3楽章までずっと沈着冷静に演奏してきたクライバーは、第4楽章に入っても表情を変えることをしない。何と、爆発的な第4楽章をほとんどインテンポで演奏しきっている。これはちょっと恐い。いや、すごく恐い! 同時代にはフルトヴェングラーという巨人がおり、51年にはバイロイト祝祭管を指揮した記念碑的演奏(EMI)があるが、それとは似ても似つかない。録音年は1年しか違わないのに。多かれ少なかれ、あの第4楽章ではそれ相応の力が入ってしかるべきだと私は勝手に決めているのだが、クライバーは聴衆の期待を完全に裏切り、あたかも木魚でもポクポク叩いているような指揮ぶり。クライバーは、一体どんな表情で指揮をしていたのだろうか。声楽陣はそれぞれがベストを尽くしているが、指揮者が木魚調ではさぞかしやりにくかったのではないだろうか。
クライバーという人は本当に不思議な人だ。とても一筋縄ではいかない。彼は、ポクポクポクと拍子を刻み続けることによって後世の聴き手を恐怖のどん底に陥れたかったのだろうか。このCD、感動はしないが、感慨深い録音である。ショッキングでもある。もしかしたら、こうしたスタイルは21世紀にはもてはやされるかもしれないのだが....。
2000年10月10日、An die MusikクラシックCD試聴記