ヨッフム指揮ブルックナー:交響曲第5番を聴く
ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調
ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1986年12月3,4日、コンセルトヘボウにおけるライブ
TAHRA(輸入盤 TAH 247)前回取りあげたシューリヒト指揮ウィーンフィルによるブル5と対照的な演奏が聴けるCDである。シューリヒト盤にはいくつかの特徴があった。例えば、
- 全曲のどこから聴いても面白い。指揮者が、これでもかこれでもか、と聴かせどころを作ってくれるので、部分的に聴いただけでも大いに楽しめる。
- スピード感がある。テンポは緩急の差が激しく、演奏時間も決して短くはないのだが、全曲には畳み掛けるような推進力がある。一気呵成のブルックナーである。
・・・というところか。ヨッフム盤はそれらとは全く正反対なのである。まず、一部分だけを聞きかじりしてもこの演奏の良さは伝わってこない。オケは希代の名器であるから、その機能美を味わうことはできるが、それではだめなのだ。ヨッフム盤は腰を落ち着けて最初からじっくりと聴くべきだ。最初から、まとまった時間を確保するべし。この演奏は、シューリヒト盤と違ってスピード感などないし、演奏時間も、実に82分もかかっている。ゆったりしたテンポによる、のんびりした演奏なのである。だから、局地的に聴くと、長いだけのブルックナーと勘違いされる可能性がある。しかし、ヨッフム盤の良さは、その悠長とも言える長さにあるのだ。ヨッフムはブルックナー演奏のスペシャリストで、ブルックナーをどうにでも料理することができた人だと思う。恣意的な演奏などお手の物だ。そのヨッフムも、交響曲第5番に関しては手荒な真似はしなかった。作品に対する敬意の表れか、あるいは、策を労さずともじっくり演奏すれば良い演奏ができるという信念があったのだろうか。
ヨッフムは一見(聴)のんびりしたブルックナーを奏でている。最初に部分部分を聞きかじりした私はこの演奏の良さが分からなかった。私は全曲を通して聴いたとき、はじめてヨッフムの指揮者としての力に驚愕した。ヨッフムは最後のコラールを全曲の山と位置づけ、82分を設計していたのだ。長い長い全曲は最後の数分間のためにある。これは全く馬鹿げた話で、クラシックファンでもよほどの物好きでなければ、そんな時間の使い方につき合うことはないだろう。が、熱心なブルックナーファンなら、その数分間の到来を最大限に楽しめるはずだ。第4楽章のコラールが始まり、金管楽器が幾重にも折り重なるようにして響き渡る部分は、言語を絶する感動の瞬間だ。一体ヨッフムはどんな顔で指揮していたのだろう。コンセルトヘボウの聴衆は、平常心ではいられなかったはずだ。
考えてみれば、ブルックナーも奇妙な曲を作ったものだ。交響曲第5番は各楽章とも長大で、長いだけの演奏に合うと辟易する。ヨッフムの演奏では、第1楽章が22分、第2楽章が21分、第3楽章が14分、第4楽章が26分もある。古典派以前の音楽なら、1曲がブルックナーの一つの楽章が演奏されているうちに終了してしまうだろう。80分もある曲で、その演奏の醍醐味が最後の数分間にある、などというのはキチガイじみている。それでもなお、ブルックナーファンにとって、交響曲第5番の人気は非常に高いはずだ。交響曲第9番と第5番が首位を争うのではないだろうか? そうしたキチガイじみたマニアにはこの演奏は大推薦である。
ヨッフムには数種のブル5がある。このライブ盤は1986年、ヨッフムのアムステルダム最後の公演である。ヨッフムは1902年生まれであるから、録音時には84歳であった。このライブ盤を含め、生涯に残したブルックナー演奏にハズレはない。ヨッフムは高齢になっても神格化されず、巨匠扱いもされなかったが、ブルックナーファンにとっては忘れられない指揮者だろう。
なお、このCDは生産中止となっているシューリヒト盤と異なり、国内盤も輸入盤も発売中である。ブルックナーの法悦に浸りたい人はすぐ聴くべし。途中で鑑賞を中断されないと確認してから、ステレオの音量を上げ、真剣に聴くことをお薦めする。とても暗い聴き方だが、最後のコラールのところまで聴けば、私が書いた意味が分かるはずだ。
余談だが、ヨッフムには64年にオットーボイレン修道院で演奏した有名なライブ録音がある。これもオケがコンセルトヘボウ管だった(PHILIPS、現役盤)。このTAHRA盤と聴き比べるのも面白いだろう。ブルックナーというと、ウィーンフィルのお家芸のように宣伝されるが、コンセルトヘボウ管は超一流のブルックナーオケだと思う。
2000年11月16日、An die MusikクラシックCD試聴記