ブラームスの交響曲第4番の新旧演奏を聴く

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 以下、ブラームスの交響曲第4番についてだけ言及する。まずは新録音から。

CDジャケット

ブラームス
交響曲第3番ヘ長調 作品90
録音:2001年6月20-22日
交響曲第4番ホ短調 作品98
録音:2000年11月27,28日
ハーディング指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
Virgin Classics(国内盤 TOCE-55349)

 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」やベートーヴェンの序曲集でたちまち有名になった若手、ダニエル・ハーディングのCDを先日発見したので買ってみた。この若手は、今までの録音が示すように、いきなりクラシック音楽の王道で自分の力量を問わんとしている観がある。よほど腕に覚えがあるのだろう。

 ハーディングは、弦楽セクションの人数を抑制し、古楽奏法を取り入れた上でブラームスを演奏しているという。解説書に記載してあるメンバー表によれば、第1・第2バイオリンは各9、ビオラは6、チェロは5、コントラバスは3となっている。そのため旋律線がとても明確に聞こえる。響きが鈍重にはならない。でも、それだけなら、別に特筆することではない。ハーディングの演奏が面白いのは、クリアな響きをつくりながらも、丁度良い程度の重厚さを併せ持ち、さらに、歌に満ちていることだ。

 響きがクリアで、オケの技量も高いので音楽が美しい。これだけ洗練されたブラームスは珍しいのではないかと思う。その上でハーディングは金管楽器やティンパニを効果的に使い、音楽にアクセントを加えながら曲を進めていく。私はこの演奏を聴いていると、洗練された美しさとともに、*適当な重厚さ*を感じる。また、ハーディングは形だけは最近の流行を追ってはいるように見えるのだが、音楽そのものは全く浪漫的である。それこそ私が最も好きな情緒纏綿型演奏に入る演奏だと思う。これだけのものがこの演奏に収録されている。全く見事なものだ。このCDを聴けば、若い指揮者の録音だという先入観は驚きに変わるだろう。学究的な演奏とは一線を画した熱い演奏なので、ちょっと聴けば、おそらく多くの人がその音楽の流れに乗せられてしまうだろう。

 実は、編成だけなら似たCDがある。ベルグルンドがヨーロッパ室内管を指揮したブラームス交響曲全集である。

CDジャケット

ブラームス
交響曲全集
ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管
Ondine(輸入盤ODE 990-2T)
録音:2000年5月、バーデン・バーデン

 ベルグルンド盤における弦楽器の編成は第1,第2バイオリン計20、ビオラ8、チェロ6、コントラバス4となっており、ハーディング盤に近似している。が、ベルグルンド盤は演奏がとても淡々としている。「情緒纏綿」という言葉からは最も遠いところに位置している演奏であろう。ベルグルンドはこの全集をライブ録音しており、演奏自体は完成度が高い、いかにもベルグルンドらしいものだ。が、ベルグルンドさんは終始冷静で、情緒的な解釈を徹底的に排除しているとしか思えない。多分そうした努力をしつつこの録音を発表したはずだ。ハーディングとベルグルンドは同じような楽器編成で同じ曲を、しかも同じドイツ国内で行ったというのに、全く違う演奏になっている。これまた聴き比べをするにはもってこいのセットとなっている。

   ところで、最近驚くべき演奏内容のCDが出た。以下のCDである。
CDジャケット

ベートーヴェン
「レオノーレ」序曲第3番
モーツァルト
交響曲第29番イ長調 K.201
ブラームス
交響曲第4番ホ短調 作品98

録音:1954年1月28日、コペンハーゲン
ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55
録音:1957年4月26日、コペンハーゲン
クレンペラー指揮デンマーク王立管
TESTAMENT(輸入盤 SBT 2242)

 オケがデンマーク王立管という私には馴染みのない団体であったので、買ってからしばらくCD棚で眠っていたCDなのだが、このCDを聴いて私は再びクレンペラーという指揮者の偉大さに触れる思いがした。ハーディングやベルグルントの最新録音から遡ること46年。音は克明に収録されてはいるが、もちろんモノラル。しかし、このブラームスが与える感動はどう表現すればいいのか?

 クレンペラーにはEMIに1956年〜57年にかけて収録したスタジオ録音盤があり、さらに1957年には名盤の誉れ高いバイエルン放送響とのライブ録音がある(ORFEO)。今回発売されたデンマーク王立管盤はそれらとほぼ同じ時期に録音されたものであるが、演奏内容は、バイエルン放送響との録音を超えている。この組み合わせからは想像もつかないのだが、指揮者とオケが渾然一体になった怒濤のような演奏である。

 今時、このような古いタイプの演奏は流行らない。オケは分厚い響きを作り、指揮者はコブシが入らんばかりの気合いの入れよう。音楽が訴えかけてくる迫力は筆舌に尽くし難く、第1楽章の終わる頃には完全に音楽の中に没入してしまう。全くオールドタイプの演奏である。

 演奏している団体は歴史こそ古いようだが(起源は1448年。2002年時点では533年の歴史を持つらしい)、世界的なレベルでは第1級とは言い難い。しかし、演奏は立派だ。団員が持てる能力のすべてを出し切っているような気がする。たまに客演していただけのオケで、クレンペラーはなぜこれほどの統率ができたのであろうか? 技術はともかく、オーケストラが必死にクレンペラーの燃える棒についていく様は、当時クレンペラーがしばしば指揮台に立っていたフィルハーモニア管の場合と変わらないのである。クレンペラーは一体どのような力で暗示をかけていたのだろうか?

 どうも私はオールドタイプの演奏から離れられないらしい。最近流行している比較的小編成による録音の良さを認めないではないが、「だからどうした?」と言いたくなることがある。プロの音楽家の目から見れば、編成や奏法は重要なのかもしれないが、私のような通常の聴き手においては、どれだけの感動を得られるか、という点が最も重要なのではないか? 

 クレンペラーという指揮者は今はいない。そのような指揮者の古い演奏をありがたがってばかりいても仕方がないと思う。私は現代に生きる現代人なので、現代の演奏家をしっかりと聴き続けていきたい。しかし、音楽の持つ生命力や迫力はどうしてこうも違ってしまうのだろうか? 単なるノスタルジーとは言い切れない重要な問題がどこかにあるのかもしれないと私は思う。

 

2002年6月2日、An die MusikクラシックCD試聴記