クレンペラーのブラームス

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CDジャケット

ブラームス
交響曲第1番ハ短調 作品68
録音:1955年12月、1956年10,11月、1957年3月
悲劇的序曲 作品81
録音:1956年10月
大学祝典序曲 作品80
録音:1957年3月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 69651 2)

 クレンペラーはブラームスの交響曲を4曲とも残しているがどれもいい出来だ。フィルハーモニア管も最も充実していた頃の録音である。私はクレンペラーはブラームスが好きだったのではないかと思う。録音の出来の良さがその証拠だ。全曲ともいい。ブラームスの音楽がクレンペラーの芸風にぴったりだったと言うこともあるかもしれない。

 ところで、クレンペラーのブラームスはどれもテンポは遅くない。他の指揮者に比べてもやや速いくらいだ。最晩年の録音があればまた別の次元の音楽を聴かせたと思う。どこかから出てこないものだろうか。

 録音はステレオ最初期だけにやや乾いた印象を受けるが、ステレオ感は万全で、クレンペラーの対抗配置が十分楽しめる。

 第1番。第1楽章から重厚で精悍。理想的なブラームスをいきなり聴かせてくれる。楽譜に忠実に演奏していると思うのだが、かなり熱い演奏だ。時々熱い情熱が燃えたぎり、爆発するかのようだ。第2楽章に入ると郷愁や漠然とした寂寥感、わび・さびのような雰囲気が醸し出されてきてたまらない。ここではフィルハーモニア管の木管もいい。特にフルートには聴き惚れる。第3楽章ではクレンペラーが音楽の世界に遊んでいるような佇まいだし、第4楽章は一気呵成に突き進む。これ見よがしの表情付けがまるでなく、直球勝負が奏功している。熱く燃え上がる見事な演奏だ。

 悲劇的序曲。クレンペラーはこうした小さな序曲にも全身全霊をかけるところがあって面白い。冒頭からベートーヴェンのコリオラン序曲を彷彿とさせる緊張感が強い音楽作りだ。最初のわずか数小節だけを聴いてもクレンペラーの音楽が分かってしまう。指揮者というのはすごいものだ。

 大学祝典序曲。この曲はいくらブラームスが作ったからといってもつぎはぎだらけの印象が拭えないが、クレンペラーは実に堂々たる演奏をする。こんなに立派な曲だっただろうか?と首をひねってしまうほどだが、面白さは抜群。うねる弦楽器、魅惑的な木管。

 

 

CDジャケット

ブラームス
交響曲第2番ニ長調 作品73
録音:1956年10月
アルト・ラプソディ 作品53
メゾソプラノ:クリスタ・ルートヴィッヒ
録音:1962年3月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 69650 2)

 第2番。大変な名演である。ブラームスの「田園」とまでいわれる曲だが、そうしたイメージを払拭させるに十分だ。クレンペラーの演奏で聴くとなかなか激しい情熱を秘めた曲だということがよく分かる。実際、クレンペラーは第1楽章などでかなり激しくオケを鳴らしまくっており、聴いているとびっくりしてしまう。少なくとも私にはいわゆる田園的な演奏とはほど遠いように思える。クレンペラーもそんなイメージには興味がなかったに違いない。構築的な演奏という表現が許されるのであれば、これがまさにそれにあたると思う。

 第2楽章では憂愁の想いが感動的だ。ただし、クレンペラーは感動的に演奏しようとしたわけではないだろうが。楽譜に忠実。これがクレンペラーの良いところだ。きっとブラームスも喜んでいるだろう。それにしてもクレンペラーは第3楽章のような愛らしい曲も実に良く表現している。全くチャーミングな演奏だ。オケがうまいということもあるが、指揮者の資質が悪くてはこうはいかない。圧巻は第4楽章。整然とした演奏でありながら、音楽の愉悦がまざまざと感じられる。実に暖かい演奏で、クレンペラー観が一変する人もいるだろう。音楽はご存じのとおり、堂々とした響きの中で終わるが、スタジオ録音とは思えないほど感興溢れる演奏だ。現在の録音セッションとは違って、パッチワークを拒んだクレンペラーだからこそ残せた自然な流れの音楽だと思う。

 アルト・ラプソディ。古くからの名盤。こちらは1962年録音だけに音質が段違いにいい。ルートヴィッヒが深々とした歌唱を聴かせ、クレンペラーが色彩感豊かな伴奏をつけている。後半から入ってくる男性合唱(ピッツ指導のフィルハーモニア合唱団)も声質が揃っていて非常に美しい。まろやかに響く歌声のため、ルートヴッヒの声にも、オケの音色にも溶け込んでいる。全く渾然一体とはこのことだ。短い曲ではあるが、厳しいリハーサルが行われたに違いない。

 

 

CDジャケット

ブラームス
交響曲第2番ニ長調 作品73
クレンペラー指揮ベルリンRIAS響
録音:1957年
PALLADIO(輸入盤 PD 4189/90)

 "THE RARE KLEMPERER"と題する2枚組CD。このブラームスの他にはバイエルン放送響とのベートーヴェンの交響曲第4,5番及びケルン放送響とのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ:レオン・フライシャー、下記参照)が収録されている。バイエルン放送響とのベートーヴェンがメインのCDだったのだろうが、両曲ともEMIから正規盤が出てしまったので、別に"RARE"なクレンペラーではなくなってしまった。

 さて、このブラームス。価値のなくなってしまったかに思えるCDの中でひときわ気を吐いている。まず欠点を言ってしまうと、オケが下手。極東某国のオケを聴いているようで、ミスだらけ。最後までちゃんと演奏してくれるかどうか不安になる。さらにひどい録音。放送用のマスターテープから作ったCDらしいが、本当だろうか。音はざらつくし、ステレオ感はもちろんないし、強奏では完全に音が割れる。非常に乾いた録音で、潤いが全くない。したがって、音楽が盛り上がってくると、チンドン屋が馬鹿騒ぎしているような音になる。

 ここまで書くと、もうこのCDを買う人は現れなくなるかもしれないが、話はこれで終わらない。何の理由もなしに存在するCDなど、よほどのことがない限りあり得ないのだ。では何がいいのか。最初から結論を書いてしまうのはつまらないので、楽章毎に簡単にご紹介したい。

 第1楽章:かなり激しい情感に満ちた演奏。スタジオ録音と同様、オケを派手に鳴らしまくっている。クレンペラーはどういうわけかブラームスの演奏をする際には情熱をさらけ出してしまうようだが、ライブではなおさら激しい。燃えるクレンペラーが第1楽章から一貫して聴かれる。

 第2楽章:暗く陰鬱である。クレンペラーが作る音楽は何かに押しつぶされそうなすごい重量感をもって迫ってくる。そういう意味ではブラームスの暗い情念を見事に表した演奏だと思う。

 第3楽章:音楽はここからどんどん白熱してくる。クレンペラーはすっかり興奮してきたのだろうか? 計算尽くの演奏だとも受け取れるのだが、そうだとしたら恐い。ところで、クレンペラーはテンポを動かさない指揮者だとよく言われるが、嘘だ。かなり激しいテンポの揺れが見られる。ライブだから当然だろうが、ここではちょっと極端なほど緩急の差がある。リハーサルもあったはずだが、ベルリンRIAS響の面々はクレンペラーの指揮について行くのが大変であったろう。

 第4楽章:ライブらしい熱狂的な演奏。クレンペラーが感興の赴くまま自由自在なブラームスを披露する。聴衆はどんどん白熱、熱狂的になる音楽に酔いしれたに違いない。特に終結部は猛烈なアッチェランドだ。クレンペラーの数ある録音でもこんな演奏は珍しい。まるでフルトヴェングラーがバイロイトで演奏した「第9」みたいな終わり方だ。いやはやこれはすごい。まさにクレンペラーの豪快な爆演。録音さえもう少しよければ、ポピュラーになった演奏だろう。

 

 

CDジャケット

ブラームス
交響曲第3番ヘ短調作品90
録音:1957年3月
交響曲第4番ホ短調作品98
録音:1956年11月、1957年3月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 69649 2)

 第3番。激情が荒々しく爆発する曲なのだが、クレンペラーはそんなことには関心が全くないのか、淡々と演奏している。派手なアッチェランドやアクセントをつければ誰もが驚く演奏もできただろうに。もちろんそうしなかったのがクレンペラーらしいところで、そうした見識が私は好きだ。

 クレンペラーの指揮は余計な誇張がない分、実にきりりとしている。両端楽章にそうした傾向が如実に現れていて聴いていて心地よい。面白いのは第2楽章Andanteで、どこもだれることなく、ブラームスの音楽を歌い切っている。ここだけを聴いてもクレンペラーの非凡さが分かる。第3楽章も非凡だ。感傷に陥る一歩手前で止まっているし、よくありがちな安っぽさがない。オケの木管セクションの音色にもほれぼれする。ため息が出るほど美しいフレーズをしみじみと聴かせている。終楽章は恐るべき緊迫感の中で演奏されている。最もクレンペラーらしい演奏をした楽章で、変な表現だが、大理石でできた筋肉モリモリのヘラクレスを想起させる。すばらしい。

 第4番。これはすごい。一瞬も聴き逃せない名演奏だ。これを聴くたび、クレンペラーはスタジオにいることを忘れたのではないかと思う。燃えたぎるクレンペラーの内なる情熱が、この名曲を前にすっかり露わにされたようだ。驚くのはどんなフレーズにも細かな心配りが行き届いていることで、まさに天下一品の優れもの。聴いていると胸が高鳴ってくるはずだ。

 この曲には下記ライブ盤もあるからこの名演が噂にも上らない。残念だ。これはこれで感動的な名演なのに。やるせない想いの第1楽章、人生を回顧する趣のある第2楽章、はじけ飛ぶようなエネルギーに満ちた第3楽章、情熱がほとばしる第4楽章。どの楽章もいい。第1楽章から息をのむ演奏で、クレンペラーはいつにないことだが、激情に身を任せている。さらに、それがオケにまで乗り移っているようだ。すさまじい。オケの響きが最高なのも頷ける。

 

 

CDジャケット

バッハ
管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068
ブラームス
交響曲第4番ホ短調 作品98
録音:1957年9月27日、ミュンヘン
クレンペラー指揮バイエルン放送響
ORFEO(輸入盤 C 201 891 A)

 ハナマル印を10個くらいつけたいCDだ。オルフェオはよくぞこの録音をCD化してくれた。1957年の録音でモノラルなのが唯一の欠点なのだが、それこそ小さいキズだ。かなり鮮明な録音で聴きやすいし、これほどの演奏の前には何もかもかすんでしまう。

 解説はP.ヘイワースが書いているが、それによると、クレンペラーをバイエルン放送響に客演指揮者として呼んだのは当時首席指揮者だったオイゲン・ヨッフムであったという。その後に作られたバイエルン放送響との数々の名演を考えると奇跡的な出会いだったと私は思う。

 コンサートのプログラムのまま曲を収録したCDの作りもいい。最近のCDは時間が余ると、いかにもそれらしい小品を余白に入れているが、興ざめも甚だしい。ORFEOの良識のおかげでこのCDではバッハの管弦楽組曲とブラームスの4番という絶妙の組み合わせが堪能できる。こんなCDを他のメーカーも真似して欲しいものだ。

 バッハは非常に清冽な演奏だ。バッハが生き生きと美しく再現される。音は古いのに、最初のトランペットの音を聴くとなぜか感動してしまう。何となく古き良き時代を感じさせる演奏だ。Airもこの世のものとは思えない、至上の世界を表出している。クレンペラーのバッハはどれも傾聴に値するもので、何か精神的なもの、深遠なものを感じさせる。それが何で、なぜそう感じるのかうまく説明できない。いわゆる指揮者の暗示というものなのかもしれない。

 聴きものはブラームスだ。極言すれば「泣き」のブラームス。上記スタジオ録音でさえ超一流の演奏なのに、これはその遙か上をいっている。何かに憑かれてしまったかのように感情の激流に流されていく。大きくうねる音楽が聴き手の魂を揺さぶる。例えば第2楽章。遥かな世界への憧れ、現世の切なさが涙で語られる。分厚い弦楽器がエスプレッシーヴォで語りかけてくる時、いつも深い感動に飲まれてしまうのだ。

 クレンペラーさん、本当に冷徹な演奏が身上だったのだろうか? どうも嘘臭い。これだけ熱いブラームスを聴くと、スタジオ録音ではとても見せなかった演奏家としての燃えたぎる情熱がふつふつと湧き起こってきたのがあからさまにわかってしまう。第1楽章から白熱の演奏で、最後まですばらしい。まだ聴いていない人がいたら是非お試しあれ。

デンマーク王立管とのライブ録音はこちら
録音:1954年1月28日、コペンハーゲン

 

 

CDジャケット

ブラームス
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77
ヴァイオリン:オイストラフ
クレンペラー指揮フランス国立放送局管
録音:1960年11月
EMI(国内盤 TOCE-3180)

 古き良き時代の大家の貫禄を感じさせる名盤。

 どうしてクレンペラーがフランスのこのオケと協演し、録音までしたのか知らないのだが、演奏はフランスのオケが相手だってすばらしい。オイストラフという大家と対峙して全く引けを取らないすごい指揮だ。ヴァイオリン協奏曲だからヴァイオリンが主役なのだが、手兵でもないオケまで堂々としている。その結果これほど優れた風格あるブラームスになったわけだが、この演奏、もしかしたらこの曲の中のベストを争うかもしれない。

 オイストラフのヴァイオリンはやはりすばらしい。艶やかで芯があり、スケールも大きい。まさに大家、巨匠の芸風だ。それだけでも痺れる。

 しかし、この演奏で面白いのは堂々たるクレンペラーの指揮と、気宇壮大なオイストラフのヴァイオリンが何の違和感もなく同居していることだ。どうやら巨匠同士、「ここは俺に任せろ」、「ここからはお前しっかりやれよ」「任せときな」とでもいったような雰囲気である。実に面白いではないか。その意味で古き良き時代を忍ばせる演奏なのである。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83
ピアノ演奏ゲザ・アンダ
クレンペラー指揮ケルン放送響
録音:1954年4月5日、ケルン
ベートーヴェン
ピアノ協奏曲ト長調 作品58
ピアノ演奏:レオン・フライシャー
クレンペラー指揮ケルン放送響
録音:1956年2月27日、ケルン
ARKADIA(輸入盤 CDGI 733.1)

 クレンペラー指揮のブラームス:ピアノ協奏曲第2番は幸いにもふたつの録音が残されているが、第1番は録音が見あたらない。そのうちにひょっこりどこかの放送音源から出てくるかもしれないが、残念なことだ。クレンペラーのブラームスはどれも最高の逸品であるし、ピアノ協奏曲第1番は第2番よりもクレンペラーにふさわしい曲だと私は思っているから余計残念だ。もしかしたら「クレンペラー自身が第1番に興味がなかった」などということも考えられるが、実際のところはどうなのだろう。

 さて、ブラームスのピアノ協奏曲第2番。これはソリストにアンダを迎えて行われたライブ録音である。ARKADIAは貴重な音源を提供してくれる割には、いやそれ故なのだろうが、音質の良くない録音が多いが、これは大変聴きやすい。オケの音も割れることがないし、ピアノの音が生々しく、克明に聴き取れる。有り難い。

 演奏はアンダ渾身のブラームスというところだ。当時アンダはピアニストとして最も調子が良かった頃なのだろう、大オーケストラを向こうに回しながら、オケを圧倒している。ひ弱なピアニストではブラームスのピアノコンチェルトは全く歯が立たないが、ここまでオケを圧倒してくれると小気味よい。もっとも、ピアノの音がかなりオンに採られているから、その分を割り引いて考えなければならないが、それにしてもすごい。ピアノが戦車のように重厚かつダイナミックに迫る。最初から飛ばしまくっていて、これで第4楽章まで持つのかと危ぶまれるほどだ。もちろん、こちらの心配も何のその、アンダは第2楽章でも猛烈な弾き方をしている。やっと第3楽章で一息ついたと思うと、第4楽章でまたも「これでもか!どうだあ!」とでも言わんばかりな弾き方を続ける。これには正直参った。いくらライブだからといってもすさまじすぎる。会場で聴いた人はアンダの鋼鉄のピアニズムに恐れをなしたろう。

 難点はピアノが猛烈すぎて、やや単調に感じられることだ。アンダはピアニッシモでも緊張感を保った美しい響きを作り出しているのだが、ダイナミックレンジが上方に偏った演奏であることは否めない。それが私には単調に感じられてしまう。が、文句は言うまい。これはこうしてCDにすることを想定して行われた録音ではないし、非常に優れたブラームスであることは疑いない。

 肝心のクレンペラーはどうしているかというと、余りに激しいピアノのためにちょっと影が薄い。ここでも伴奏指揮者に徹しているようだが、それでも贅肉ひとつない筋肉質の響きを耳にすると、「ああやっぱりクレンペラーだな」と分かる。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。EMIの正規録音盤が非常に優れているので、こちらまで聴きたいと思う人は希かもしれない。確かに正規録音盤はクレンペラーのややゆったりとしたテンポによって演奏され、春の陽射しの中、若葉が萌えいでるような暖かい雰囲気を見事に表現した名演奏であった。それと比較すると、こちらは少し物足りないかもしれない。

 が、こうした録音が出回っているからには理由が必ずあるもので、ライブならではの感興豊かな演奏を楽しめる。レオン・フライシャーという人はこの録音の10年後には右腕が動かなくなって指揮者に転向したという。彼にとってはこの録音がピアニストとしてもっとも脂がのった時期だったらしい。きらめくような美しいピアノを満喫できる。私はこれはこれで大変貴重な記録だと思う。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83
ピアノ演奏:アシュケナージ
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1969年1月28日
ハイドンの主題による変奏曲 作品56a
クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1957年2月7日
HUNT(輸入盤 HUNTCD 709)

 これは大変面白いCDだ。特にピアノ協奏曲第2番は上記アンダ盤(54年録音)と比較することで面白さは倍増する。

 この曲についてはクレンペラーはスタジオ録音こそ残してくれなかったが、我々は幸運にも15年という長い期間を挟んだライブ録音を聴くことができる。下手なスタジオ録音を聴くよりも芸風の変化が如実に分かるのだ。

 前置きはもういい。結論から言ってしまうと、この2つの演奏は同じ指揮者が指揮したものとはとても思えない。手兵のニュー・フィルハーモニア管との演奏ではテンポは猛烈に遅く、その分いやになるほど重厚さが増している。上記ケルン放送響&アンダ盤ではクレンペラーが指揮者としての存在自体が希薄になるほど伴奏指揮者に徹しているが、こちらはクレンペラーの音楽を徹底して前面に押し出している。この違いにはほとほと驚かされる。クレンペラー最晩年の遅いテンポは好悪分かれるところだろうが、音楽が間延びしてしまう寸前のテンポで緊張感を維持させながら、細部を綿密に表現していくというやり方はクレンペラー級の巨匠にしかなしえないところで、同じテンポをメトロノームを使って演奏したところでこれほどの重厚さは得られないはずだ。

 ソリストとして演奏しているアシュケナージもこの重厚さは骨身にこたえただろう。既にピアニストとして輝かしいキャリアを築き上げ、ブラームスもたびたび演奏してきたであろうアシュケナージも、これほどの重厚なオケには押しつぶされそうになっている。ご存じのとおり、アシュケナージのピアノは女々しいとかさんざん言われながらも、決して非力なわけではない。その彼にしてもこの演奏では御大クレンペラーの手のひらの上から逃れられず、もがき苦しみながら演奏しているように感じられる。恐るべし、クレンペラー。

 なお、アシュケナージのピアノは相変わらず磨き抜かれたきらびやかな音がする。重厚なオケの中できらきら輝くピアノなのだが、そのコントラストが実に面白い。

 ハイドンの主題による変奏曲はコンセルトヘボウとのライブ。上手なオケでないとこの曲は楽しめないが、コンセルトヘボウはその意味で最高のオケといえる。いろいろな楽器が妙技を披露してくれるので、聴いていて飽きることがない。これは57年録音で、テンポは全然遅くない。非常に颯爽としており、音楽の展開が大変きびきびしている。最晩年の演奏が出てくれば、また面白い演奏が聴けると思うが、この時点でも既に最高の名演奏になっている。惜しむらくは録音で、物理的な制約のためやむを得ないとは思うが、ところどころ音が団子状態だ。コンセルトヘボウの最高の技術が収録されているのに、もったいない。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ドイツ・レクイエム 作品45
ソプラノ:シュヴァルツコップ
バリトン:フィッシャー・ディースカウ
フィルハーモニア合唱団
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1961年1月2日、3月21,23,25日、4月26日
EMI(輸入盤 CDC 7 47238 2)

 これは渋くて重厚なブラームスだ。いわゆる一般的に考えられるブラームスのイメージそのまま。実に暗い。深く沈み込むような陰鬱な感じがする。オケの色は厚く、暗く、渋い。声楽陣については、シュヴァルツコップとフィッシャー・ディースカウの歌唱がすばらしいのはもちろんだが、合唱もいい。声質がまとまっていて弱音から強音まで自然な歌い方だ。非常に美しいし、誇張されたやかましい歌い方が皆無。これはこのレクイエムにもっとも必要なことだ。そして、これはクレンペラーが意識して指揮したからだと思うが、オケの音色と人間の声が非常によくブレンドされているのだ。オケも声楽陣も突出した音がどこにもない。そのため、墨絵のようなレクイエムが出来上がった。すべての音が一体化して、暗く沈み込む。こんな暗いドイツ・レクイエムは例がない。クレンペラーはひたすら内向していく。その結果、陰鬱で暗く、渋いレクイエムになった。しかし、レクイエムとはそういうものではないだろうか。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ドイツ・レクイエム 作品45
ソプラノ:ヴィルマ・リップ
バリトン:エーバーハルト・ヴェヒター
ウィーン楽友協会合唱団
クレンペラー指揮ウィーンフィル
録音:1958年6月15日、ムジークフェライン
DISQUES REFRAIN(輸入盤 DR 920034)

 DISQUES REFRAINにしては珍しく録音日時が記載されている。このCDは1958年6月15日、クレンペラーがムジークフェラインザールでウィーンフィルを指揮したライブ録音である。モノラル録音であるが、非常に高音質だ。このレーベルの音質は当たりはずれが激しいが、このCDは大当たり。よほど音にうるさい人でもなければ満足する音質だろう。

 演奏は上記スタジオ録音とかなり違う。EMI録音が暗く、渋く、沈み込むような演奏であったのに対し、こちらはライブであるからなのか、暗くはあっても大変ドラマチックな音楽になっている。特に第2曲 Denn alles Fleisch,es ist wie Grasや第6曲Denn wir haben hie keine bleibende Statt はすさまじい。ティンパニが強打され、金管楽器が咆哮、オケと合唱が地響きをたてて迫ってくる。会場ではものすごい迫力だったに違いない。モノラルで聴いていても息をのむような音楽だ。ただ、暗い表情は一貫しているので壮麗な仕上げとはとても言えない。

 また、声楽陣はちょっと歌い方が荒い。ソロはともかく、楽友協会合唱団はこの程度の合唱団だったのだろうか。いくらライブでも荒すぎる。

 ともあれ、この演奏は正規録音盤とは全く違う演奏に思える。演奏時期にはわずか3年の差しかないのに。ここまで違う演奏になったのはライブであったことよりも、オケがウィーンフィルであったことが大きく作用したのではないだろうか。そうでなければ説明が付かない。フィルハーモニア管は手兵であるうえ、録音には5日を費やしているから、録音に参加した楽員にはクレンペラーの指示が徹底していたはずだ。大筋で同じ指向性を持って指揮したとしても最後はオケの自発性が大きいのかもしれない。

 

An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載