短期集中連載  An die Musik初のピアニスト特集

アルフレッド・ブレンデル
ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く

第2部「ピアノ演奏の視点から捉えた西洋音楽史概略」
『前編』

語り部:松本武巳

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■ ピアノ演奏の原点は「ピタゴラス」に遡る

 

 西洋音楽史の原書を紐解きますと、最初に音楽の起源についての詳細な記述から始まるのが通例であるようです。日本語の西洋音楽史と、原書によるそれとの決定的な違いは、原書ではキリスト教自体の起源まで遡る記述が普通であることと、音楽の起源に関する記述が豊富なことが挙げられるでしょう。例えば、あの著名な音楽辞典であります”The New GROVE Dictionary of Music and Musicians”を開きますと(すみませんが、最新版は持っておりませんで、その前の版の話になります)、第7巻に”Greece”という項目が見つかります。何と659ページから682ページまで延々とこの項目の説明が書かれておりますが、さらに4つの小項目に分かれておりまして最初の項目が”Ancient”なのです。実はこの項目の記述量が多くを占めておりまして、実に672ページまで説明が続くのです。この記述量は、ニュー・グローヴ音楽辞典と言えども、実は相当に他の見出し項目に比べて、詳細度が高い部分でして、私の知識の根本もここから得たものが結果的に大半を占めておりますことを、事前に告白しておきます。

 さて、一方で40年くらい前に、中央公論社から「世界の名著」と言う書籍が出版されました。その中にピタゴラスの著作の翻訳も掲載されているのですが、彼の著作の要約に以下の記載が発見されるのです。要旨を書かせていただきますと、散歩中に鍛冶屋の槌を撃つ音の違いから、ピタゴラスは物質の質量に関する新発見をしたことと、加えて音の聞こえ方の違いとは、物質量の相違と同一であるとの結論を導いている件があるのです。これを、物理学や数学理論として捉えることはもちろん、実際にピタゴラスは物理・数学に加えて、世界の支配原理は数であるが、その数自体が持っている霊的な力が、自然界の動きを取りまとめ、そのような動きを、聴覚を通して知覚させるものこそが音楽であると主張しているのです。さらに、ピタゴラスは5度、4度、長度の音程から「協和音」と「不協和音」の研究にまでこの理論を発展させました。もちろんこの根本はギリシャ・ヘレニズム文化の根幹が神秘主義に根ざしていることであるだけなのかも知れませんが、ピタゴラスの弟子たちによって、彼の主張が音楽の起源へとつながっていったとの記載が、ニュー・グローヴの音楽辞典でも確認でき、これが西洋音楽の原点であるとされているようです。ニュー・グローヴ音楽辞典の記述のもととなる、ピタゴラスの著書を合わせて読んで見ますと、確かになるほどと思わされてしまうのです。

 

■ ギリシャの思想家が基礎作りをした西洋音楽

 

 さて、このピタゴラスの主張を発展させたのが、あのプラトンなのですね。プラトンが、古代ギリシャの代表的哲学者として尊敬される所以は、神秘主義から発した主張を、もっと根源的な考察を加えて検証したことが挙げられるでしょう。彼はイデアを人間の根幹に据え、これをもとに対話と協調の原点としての人間形成を目指したようです。そのためには、音楽こそが、教育の根本的な力の源であると考え、実践しました。しかも彼は、音楽の本質的に持っている精神的昂揚とまったく相反する精神的退廃の両面を正しく認識し、結果的に『音』と『旋律』の違いを認め、後者=旋律こそが、青少年の倫理面の形成に寄与する原動力になりうる音楽であり、教育的に大事なものであると捉えたようです。

 さらに、プラトンの弟子である、アリストテレス(ただし、彼をギリシャ哲学者と書いてしまうことに躊躇を覚えます。彼は原則として、アテナイの哲学者=哲人でしょう)により、ピタゴラスやプラトンの考察は、古代的に完成されたと言えるではないでしょうか。ただし彼は、プラトンが音楽の否定的な側面として捉えた精神的退廃性を、逆に音楽のみならず、藝術全般が持っている「カタルシス」としての作用を肯定的に論じることによって、そこからなんと現代の流行である「音楽療法」のパイオニアとなったのです。そして、音楽において魂の情感を表現せずに、卑劣な情感のみを模倣すると、人間まで卑劣になってしまうと論じています。

 そして、古代の音楽論そのものの最も重要な思想家は、何と言ってもアリストクセノスであると思います。彼の主張の根本を形成しています書物の原本は残念なことに失われておりますが、彼こそが音楽を、そこに鳴り響いている響きそのものを純粋に感知し、認知する段階に到達させたのです。彼は「和声」「リズム」の根本的な考察によって「旋律」の意味する根本とは何かを考察し、古代の音楽理論の集大成を成し遂げたのでした。

 

■ ラテン文化における古代ギリシャの音楽論=思想の継承と発展

 

 ここで、重要な人物としまして、キケロ(ギリシャの音楽論をラテン語に翻訳した人物です)や、学校教育の側面から音楽の重要性を主張したクインティリアヌスなどが存在し、中世以後のヨーロッパ音楽の理論的支柱となっていったようです。さらに、ローマのボエティウス(キリスト教の教父の一人)によって、音楽は「四学」の一つとしての根幹的位置づけを与えられ、かれの音楽論こそが、結果として古代と中世のヨーロッパの橋渡しをした歴史的人物であると言えるのです。ここに至り、音楽とは根本的にテンポ感やリズム感であり、その根本的なかかわりは、人間の脈拍と呼吸であるとする、現代に通じる理論の基盤が確立されるに至ったのです。

 また有名なアウグスティヌスの人口に膾炙した『音楽は良く調節するための学である』と言う節句がこの時代に現れます。彼の音楽論の根幹を端的にまとめますと、音楽の力とは、

  1. 人間の節度を保つ力の源である、
  2. 人間が低俗に堕することを避ける学問である、
  3. 技術ではない人間の知性と感性の調節作用の源である、

このような力が音楽には与えられている、と言う音楽論なのです。

 その後の、キリスト教の誕生以後の音楽との関連は、日本の通常の歴史書にも詳細に記述がなされておりますので、以下は省略させていただくことにしますが、上記の長々とした記述がなぜ、ピアノの起源になるのかと言いますと、ここに書かせていただいた歴史上の偉人たちの音楽論は、音楽を単旋律ではなく、複合旋律と捉える方々の歴史の記述でもあるからなのです。すなわち、「ハーモニー」を奏でるための根幹楽器は鍵盤楽器であることは、皆様ご理解くださるものと思いますが、まさにその歴史が上記の歴史そのものでもあるのですね。それに対しまして、教会旋法の典型であります、大変に有名な『グレゴリア聖歌』は、元来単一旋律の極致の世界と言えるのですね。こちらがキリスト教を基礎とした音楽におけます中世までの主流であり、古代のオルガンなどの上記の音楽論に支えられた楽器は、中世までは、教会とはほとんど無縁であったり、正式な音楽としてではなかったのですね。でも、その歴史的に当時の主流では決してない、ハーモニー楽器=オルガン等の出現の歴史的経緯こそが、「旋律」や「和声」の融合体である音楽=ピアノ演奏の原点であることは私のこの小文の主旨からご推察いただけるものと信じております。ピアノという楽器は複数の声部を同時に演奏できることを第一の特長としておりますが、そのピアノの原点が、歴史上の偉人でありますピタゴラスに遡ることを、私としましては力をこめて書きたかったのです。

『後編』に続く

(2005年3月4日記す)


次回予告 『後編

  • 《現代型のピアノの出現と、ピアノ音楽作曲界の停滞》
  • 《現代のテクノロジーとピアノ伝統音楽の復権》
 

(2005年3月5日、An die MusikクラシックCD試聴記)