カルショーの名録音を聴く
4.カラヤンとカルショー

文:青木さん

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CDジャケット

 カルショーは1959年から1965年にかけて、カラヤン指揮ウィーン・フィルの一連の録音を手がけた。1958年までEMIの専属だったカラヤンがデッカに移籍したのはなぜか。当時デッカと専属契約を結んでいた(と宣伝されていたが実際にはそうでもなかったらしい)ウィーン・フィルとデッカとの関係が悪化し、その改善にもっとも効果的な方法がカラヤンの獲得だった、というデッカ側の事情が大きかったようだ。一方カラヤンにとっては、フィルハーモニア管ではなく名門ウィーン・フィルと録音できることに加えて、デッカと提携関係にあったRCAが持つアメリカでのマーケットが大きな魅力だったのだろうと、カルショーは本書で推測している。なお、デッカとウィーン・フィルとの関係悪化の原因はいろいろ述べられているが、その最初に挙げられていることが前述したショルティとのベートーヴェン録音なのだった。

 カラヤン指揮ウィーン・フィルの一連の録音は、ワタシがクラシックを聴き始めたころ、KARAJANと大書きされた味気ない統一ジャケットの廉価盤LPで出ていた。何枚か買ったものの、当時はそういう廉価盤をB級商品と見なしていた上にDGやEMIのベルリン・フィルとの録音を聴いてカラヤンには感心していなかったこともあり、そういう先入観のせいであまりよい印象はなかった。しかし数年前に交響曲と管弦楽曲を集成したCDセット(左写真。国内盤:UCCD-9146〜54、輸入盤:448042)を買ってじっくり聴いた結果、今では評価を上方修正するに至っている。

CDジャケット

R.シュトラウス
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィリー・ボスコフスキー(vn)
録音:1959年3月23〜4月9日 ゾフィエンザール、ウィーン
プロデューサー:ジョン・カルショー
エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムズ・ブラウン
デッカ(国内盤:ユニバーサル POCL6025)

 デッカが1959年1月にカラヤンと契約を結んだとき、他の契約指揮者たちは自分たちの得意なレパートリーを彼に奪われるのではないかと心配したらしい。しかしカラヤンが最初に録音を望んだのが「ツァラ」だと聞いて、彼らは安心したという。この曲が珍曲扱いされていた当時ならではの、笑えるエピソードだ。

 しかし録音を始めると『たちまち難題が生じた。ゾフィエンザールにはオルガンがないのである』。カラヤンは別録りすればいいと気にしなかったものの、スタッフは条件の合うオルガン探しに苦労し、ようやく見つけたオルガンもピッチを合わせるためパイプを加工しなくてはならないハメに。オルガニストの口からこの件が関係者にバレぬよう、オルガンを弾かされたのはカルショーの当時の助手レイ・ミンシャルだったとのことで、これも凄い話。

 さらに後日談があって、映画『2001年宇宙の旅』でキューブリック監督が選んだのは、実はこのカラヤン盤だったそうなのだ。なぜかデッカがノン・クレジットを条件にしたため、カラヤンは激怒し、世間では「サントラはベーム盤」と誤解される事態になったのだった。

 前述したCDセットの中で、個人的にもっとも気に入っているのがこの曲だったのだが、シリーズ最初の録音だと本書で知ってなるほどと思った。第一弾ということで、指揮者もオーケストラも格別の気構えで挑んだのではなかろうか。全体に覇気が漲っていて、実に前向きというか積極的というか、聴いていてダレるような箇所がない。弦も管も美しく、縦の線の不揃いこそあるものの、それがマイナスではなく魅力となっている。後にベルリン・フィルと録音した、技巧的な完成度は高いが覇気に乏しく冷たい演奏とは大違いだ。また音質もかなりのもので、このCDセットの中でも最高水準。これも録音スタッフの意気込みと集中力の賜物だったのでは、と思わせる。

CDジャケット

アダン
バレエ「ジゼル」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨゼフ・シヴォー(vn)、エマヌエル・ブラベッツ(vc)
録音:1961年9月5〜22日 ゾフィエンザール、ウィーン
プロデューサー:ジョン・カルショー
エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムズ・ブラウン
デッカ(国内盤:キング KICC9296)

 この曲はカラヤンの膨大な録音レパートリーの中でも珍曲とされているものだが、アメリカのデッカ(アメリカでは日本と同様ロンドン・レーベルだった)の依頼に従って録音したそうで、それまで彼が見たこともなかった曲だったとのこと。しかも楽譜は順番がよくわからないわ色々と改変されているわで、『悲惨な混乱状態にあった』。そのせいで断片的なものとなった録音セッションを、しかしカラヤンは楽しんでこなしたという。そしてその断片のテープをカルショーたちが抜粋らしく聴こえるように編集。これが、「原典版」「オリジナル版」とされていたカラヤン盤の正体なのだった。

 個人的にはつまらない曲としか思えないが(好きな方すみません)、ふくよかで蕩けるようなオーケストラのサウンドは圧倒的に素晴らしい。指揮者としては、せめてそれを引き出すことに力を注いだのだろうか。継ぎはぎ編集の不自然さは特に感じられなかった。

CDジャケット

ホルスト
組曲「惑星」作品32
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
録音:1961年9月5〜22日 ゾフィエンザール、ウィーン
プロデューサー:ジョン・カルショー
エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムズ・ブラウン
デッカ(国内盤:ユニバーサル UCCD7129)

 本書でこの録音に対しての言及は、たったひとこと。『ある種の作品のいくつかの部分―たとえばホルストの《惑星》の第一楽章など―で、カラヤンの打拍がまるで明確でないことはあった』。これは「オテロ」録音中に某歌手がカラヤンの打拍が明確でないと文句をつけたエピソード中の一文。他の曲ならともかくオペラでカラヤンにそんなことはありえないから歌手側の落ち度だ、という論旨を補強するためダシに使われているわけだ。確かに当時この「惑星」はツァラ以上の珍曲だったに違いなく、さすがのカラヤンも慣れぬ五拍子の打拍には苦労したのだろう。

 さてワタシはこの曲の演奏を、ほとんど「火星」と「木星」だけで判断してしまいがちで、それでいくとこのカラヤン盤は「妙な演奏だな」という感想で終わってしまう。リズムはつんのめり気味だしダイナミズムにもムラがあり、加えてギョッとするようなホルンの音色・・・イギリスやアメリカのオーケストラによる録音を聴き慣れた耳には、とにかく異色。しかし「火星」で感じたその違和感を振り切って聴かなければ、続く「金星」「水星」の素晴らしさに気づかないかもしれない。ソロ・ヴァイオリン(ボスコフスキー?)やオーボエ(ウィンナ・オーボエ?)などのなんともいえぬ甘い響きが、意外にもたいそう効果的だ。後半の「土星」や「海王星」も、音楽の運びこそ妙な部分もあるが、オーケストラの美音の魅力は終始保たれている。それをよく捉えた鮮やかな録音も素晴らしい。

 彼等の一連の録音の中では、とりたててセールスポイントを感じないブラームス、ベートーヴェン、モーツァルトなどと違って、やはりこの曲やR.シュトラウス、チャイコフスキー等が上出来だと思う(音質も含めて)。

 なお録音が5〜22日となっているが、この一曲に18日間をかけたというわけではない。上記「ジゼル」や他にもブラームス、チャイコフスキー、グリーグがまったく同じ日付のクレジットとなっており、その18日間のセッションでこれらの曲を収録したということなので、各曲はオーバーラップしながら録音されたのかもしれない。

CDジャケット

ヴェルディ
歌劇「アイーダ」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
レナータ・テバルディ(s)、ジュリエッタ・シミオナート(ms)、カルロ・ベルゴンツィ(t)、コーネル・マックニール(br)、ウィーン楽友協会合唱団
録音:1959年9月2〜15日 ゾフィエンザール、ウィーン
プロデューサー:ジョン・カルショー、ジェイムズ・ウォーカー
エンジニア:ジェイムズ・ロック、ゴードン・パリー
デッカ(国内盤:ユニバーサル POCL6019〜20)

 これはゾフィエンザールで録音された初のイタリア・オペラだったとのこと。舞台裏での合唱や演奏による遠近法を再現するために、メイン・ホールだけでなく複数の小ホールも使用する入念な録音計画に、カラヤンも『情熱を持ってそれに応えた。ヘッドフォンを着けて指揮することさえ拒まなかった』という。

 ところが、全体のハイライトとなる凱旋の場面の録音テープには、クライマックスの箇所にわずかな歪みが生じてしまったそうだ。カラヤンはその箇所だけではなく凱旋の場面全体の再録音に応じてくれたものの、結果は同じ。結局は、最初のテイクを採用したとのこと。

 全曲盤のCDは持っていないので、例のオムニバスCD「名プロデューサーの名録音〜ジョン・カルショウの名録音」に収録されている、その凱旋の場面を聴いた。たった10分だがこれを聴けばカルショーの目指した「ステレオによる視覚的なオペラ録音」というものを実感できるだろう。合唱は左右に大きく広がるだけでなく、奥行き感までが再現され、大空間の臨場感が得られる。続いて凱旋の行進を先導するトランペットは右から左に定位が動き、その大空間の中で将軍の行列がグルグルと行進していることが一目いや一聴瞭然だ。コンサート・ホールでの演奏ではありえない、録音ならではの演出。「不自然だ」と切り捨てる向きもあるかもしれないが、聴いてみれば楽しく面白いと思うし、こういうことを考えつき当時の最新技術で実現したということは、偉大な業績だと思う。

 

■ 謎のハイドンとベートーヴェン

 

 カルショーがショルティ指揮ウィーン・フィルの「トリスタンとイゾルデ」を担当したとき、他の仕事は入れないようにしようとしたカルショーの意思に反して、午前中にカラヤンのセッションが組まれてしまったそうだ。これは「トリスタン」を自分が録音できないのを不快に思ったカラヤンをなだめるためにデッカが仕組んだことで、カルショーは仕方なく午前中にカラヤン指揮でハイドン、ベートーヴェンその他を、午後にショルティ指揮で「トリスタン」を録音するという無理なスケジュールを敢行し、すべてが終った後カルショーは二週間も寝込んでしまったとのこと。

 ところで「トリスタン」の録音は1960年の9月だが、カラヤンのハイドンは103番が1963年、104番が1959年、ベートーヴェンの7番も1959年の録音となっている。1960年9月の録音とされているものは、R.シュトラウスの「サロメ」からの「7枚のヴェールの踊り」だけ。『カラヤンの闖入が終ったとき、《トリスタンとイゾルデ》の録音はまだ三分の一が残っており〜』という記述もあったりするので、カルショーの記憶違いということでもなさそうだ。録音されたもののボツになったハイドンとベートーヴェンの別の曲があるのだろうか。

 

・・・・続く

5.ブリテンとカルショー」はこちらです。

 

(2005年8月29日、An die MusikクラシックCD試聴記)