クーベリックのモーツァルト交響曲 SACD盤を聴く
昨年、ケンペのR.シュトラウスの廉価盤ボックスセットが高額SACDシングルレイヤー盤に匹敵、もしくは凌駕する内容であることを書きました。SACDは分が悪いですね。だいいち、信じがたいほど高価です。しかも大枚はたいて買ってみると通常のCDとさほど変わらぬ音質である場合が少なからずあります。というか、それが普通のような気がしませんか? 馬鹿馬鹿しいですよね。開発をしたSONYが早々に撤退を宣言したのも奇妙です。そんなことだから普及しませんでした。なんだか哀れなフォーマットであります。
しかし、たまにその長所を再認識させてくれるSACDに出会うことがあります。例えば、クーベリックのモーツァルトです。
ESOTERICのSACD モーツァルト
交響曲第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1980年、ミュンヘン、ヘルクレスザール
SONY(ESOTERIC SACDハイブリッド ESSS90060)
第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」 第38番「プラハ」、第39番 第40番、第41番「ジュピター」 クーベリックがバイエルン放送交響楽団を指揮して録音したモーツァルトはこれだけではありません。交響曲第36番「リンツ」、第38番「プラハ」、それに第39番もありました。良い意味で中庸を体現したようなクーベリック指揮バイエルン放送響の演奏は、オーケストラの品位ある音色、精緻なアンサンブルと相まって格調の高さを謳われました。私としてもありとあらゆる美辞麗句を使って賛美する演奏です。当然のことながら、これらはずっと私の愛聴盤であり続けました。国内盤CDにはそれぞれ 38DC 3、4、5というごく若い番号が振られています。デジタル時代の先駆けとなった記念碑的なCDだったのですね。私がデジタル初期のCDプレーヤーでこれらを耳にした際には、その音の美しさに驚嘆したものです。今となっては懐かしい思い出であります。
ところが、そのCDを今聴いてみると、音質に不満を感じるようになりました。演奏の典雅さは変わらないものの、いや、それだからこそ些細なことが気になります。シルクのようななめらかさだったはずの弦楽器の音がわずかにざらついて聞こえます。また、CDの音圧がやや低めであったせいか、どうも音に厚みがないようにも感じられます。何と恐ろしい時の流れでしょうか。まあ、贅沢な話ですけど。
では、本当に音はそのていどのものだったのでしょうか。答えは、「いいえ」です。ESOTERICから発売されたこのSACDを聴くと、マスターに入っていた音が一級品であったことが分かります。クーベリックのモーツァルトを私は数限りなく聴いて、内容を知り尽くしたとさえ感じていたのに、このSACDではそれこそ別の演奏に聞こえるのです。今まで聴いてきたのは一体何だったのかと首を傾げてしまう有様です。
例えば、交響曲第40番です。最初の数小節で絶句します。弦楽器の音はざらつきが消え、滑らかな音に変貌しただけではなく、オーケストラの音全てがリアルな存在感を示しています。その音で演奏される第2楽章の、ため息をつかずにはいられない途方もない美しさ。全く途方もないのです。四半世紀前の私の驚きと感動はこのSACDによって更新され、大きく塗り替えられるに至りました。SACDというフォーマットというのは何と素晴らしいものでしょうか。こうなると、ESOTERICがクーベリックのモーツァルトのうち、半分しかSACD化しなかったことが悔やまれます。私としてはSACDで蘇った「プラハ」をどうしても聴きたいのですが、何とかならないものでしょうか。
廉価盤ボックスセット(7枚組) ちなみに、クーベリックがSONYに収録したモーツァルト、シューマン、ブルックナーはボックスセット化されていますね。十分廉価で、“24 bit high resolution audio ”との記載もあることから、密かにリマスタリングがされていることが分かります。確かに、最初のCDと比較すると音圧も高められ、肉厚な感じになっています。もしSACDを聴いていなければ、これでも十分満足したでしょう。しかし、この廉価盤ボックスセットはケンペのWARNER盤と違い、SACDに匹敵する音を聞かせません。というより、相手になっていないのです。ボックスセットの発売においてもメーカーが工夫を凝らしたりしているので馬鹿にはできないのですが、このクーベリックのボックスセットはあくまでも次善の水準です。
それにしてもですよ・・・・。どうしてESOTERIC盤なんでしょうね。何故本家本元のSONYがSACD化してくれないのでしょう。しかもESOTERIC盤は限定生産です。これでは良質なSACDが結局は埋もれてしまい、SACDというフォーマットが認知されなくなってしまいます。所詮SACDはオーディオマニアに特化した特殊な商品なのかもしれません。もったいないものです。
(2014年1月4日、An die MusikクラシックCD試聴記)