どんなふうにして音楽を聴くか〜CDの未来
昨年An die Musikを再開するときにどうしたものか考えたことがあります。このページのサブタイトルのことです。このサイト An die Musik は正式名称を「An die Musik クラシックCD試聴記」といいます。何が問題だったかといえば、「CD」という言葉です。An die Musik を立ち上げたのは1998年11月1日でした。その頃、普通の人がクラシック音楽をクラシック音楽を聴くとなれば、CDを手にするか、またはコンサートにいくか、このどちらかが主流でした。主にCDを通してクラシック音楽を聴いていた私は An die Musik のサブタイトルを「クラシックCD試聴記」とするのに全く躊躇しませんでした。
しかるに、今や私自身がクラシック音楽を聴く際には他の媒体も使います。例えば、YouTubedです。一体どこのどなたがアップロードしているのか不思議でなりませんが、世の中で最もマイナーな趣味のひとつに違いないクラシック音楽の動画があるわあるわ、ないものがないのではと呆れるほど大量の動画が出てきます。それを私たちは無料で見ることができます。そのおかげで私は自分の好きな演奏家の姿を確認したり、未知の演奏家に興味を持ったりできます。映像があると、少々音が悪くても気にならないもので、貧弱な音がしていても動画の迫力の方が強い印象を与えるのですから面白いものです。
もうひとつはBlu-rayやDVDといったディスクです。大画面のテレビで見ると圧倒的な臨場感があります。さらに、テレビの音声出力が優秀だとYouTubeでは得られなかった映像との一体感を味わえそうです。優れた再生機器で優れたBlu-rayを再生すれば、映像のないCDでは想像もつかない体験ができるかもしれません。
最後にはiPodやウォークマンです。楽曲をPCからダウンロードして聴いている人も増えているのではないでしょうか。ダウンロードしているのではなく、CDをせっせとリッピングしてiPodやウォークマンで聴いている人もいるでしょう(この場合はCDを聴いているというのでしょうか?)。私もiPodを持っていますし、ウォークマンは2台持っています。iPodは音質的に不満が大きかったので、すぐにウォークマンに乗り換えました。一頃はウォークマンを使ってクラシック音楽をよく聴いたものです。
このように私でさえ、CDをCDプレーヤーにかけて聴くのではなく、他の媒体を使ったりしているのですから私より若い世代の方々や新しいものに抵抗のない方はもっとクラシック音楽の聴き方が変わっているのかもしれません。
で、An die Musik再開の時はどうしたかといいますと、開き直って「クラシックCD試聴記」と昔の名前で出したわけです。CDという媒体を最後まで見送りたいという思いもあります。CDは私が学生の時に登場しました。私はすぐさまこれに飛びつきました。その後約30年経った今、CDはボックスセットの嵐の中で投げ売り状態です。この投げ売り状態も長くは続かないでしょう。きっと何かのきっかけでもあれば完全にCDという媒体が市場価値を失うのではないかと私は思います。
唯一市場として残るのは、高齢者向けのオリジナル・ジャケット販売でしょう。これはもはやCDという媒体を売っているのではなく、CDのジャケットへのノスタルジーを売っているのです。特殊な市場だと言えるでしょう。
最近の私はどうしているかといいますと、「オーディオ」というほぼ死滅しそうな世界をまだ維持しております。驚くほど場所を取るCDも大量に架蔵しております。しかし、これは大事にしていきたいと考えています。だって、自宅では今のところ、本格的なオーディオ装置を通した以上の音で音楽を楽しむことはできないからです。いろいろなものに手を出して試しましたが、こればかりはどうしようもありません。先般私はクーベリック指揮モーツァルトのSACDについて書きましたが、そのような新しめの媒体で聴く場合でなくて、モノラル録音のCDを聴くときでもきちんとした(要するに旧式の)オーディオ装置の優越は歴然としているのです。例えば、私の手許にトスカニーニ指揮NBC交響楽団のCDがあります。モーツァルトの後期三大交響曲が収録されています。演奏はうんと古いです。
モーツァルト
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 K.551
録音:
第39番=1948年3月6日、NBCスタジオ 8-H
第40番=1950年3月12日、NBCスタジオ 8-H
第41番=1945年6月22日と1946年3月11日、カーネギー・ホール
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
BMG(国内盤 BVCC 38017)冒頭の交響曲第39番なんて1948年録音です。そんな古い録音を聴いて何が楽しいのかと訝しがる向きもあるかもしれませんが、楽しすぎると答えたくなります。トスカニーニの指揮する演奏を聴くと、私はその一途な強烈さに打たれてしまうのであります。その強烈さは尋常ではありません。第39番の序奏を聴くと、「これは孫悟空がスーパーサイヤ人に変身するときの音楽なのでは」などとアニメ世代のおじさんらしく馬鹿なことを想像するくらい過激であります。驚き半分、そして笑い半分です。笑い、というのはあまりの凄まじさに対してです。現代でこのような筋肉質的爆雷演奏をしたら間違いなく話題になると思うのですが、時代の趣味に合わないから誰もやりません。要するに、こういう演奏はCDでしか楽しめないのです。
ところが、これをウォークマンで聴いたりしても、演奏は変わらないのに、こりゃモノラルでございという貧相な音でしか聴けません。当然、悟空はスーパーサイヤ人に変身しそうにはありません。卓上のCDプレーヤでも同じようなものです。しかし、ちゃんとしたプレーヤーにかけて、スピーカーを鳴らせば、モノラル録音のCDでもとてつもない響きを聞かせるのです。
こういうことを知っていると、どうしてもCDを捨て去る気にはなれません。こんな古めかしい趣味を持っている人間はごくまれでしょうから、私ががんばったとしてもCDという円盤は市場から姿を消していくでしょう。ではそのうちに何か別の素晴らしい媒体が、CDに隠されているしっかりとした音までも拾い上げてくれるようになるものでしょうか? 私は今のところそのことに懐疑的です。仕方ないので、本気でクラシック音楽を聴く際にはCDをオーディオルームにこもって聴くのであります。一体そんなおやじは日本に何人残っているのでしょうね。
(2014年1月11日、An die MusikクラシックCD試聴記)