シューベルトの交響曲第9番(第8番)「グレイト」 を聴く

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 シューベルトの楽曲には不思議な魅力があります。例えば、ピアノ・ソナタ第21番の第1楽章を聴いていると、時には永遠を感じ、時には遙かなものへの憧憬を感じ、時には過ぎ去った日々への郷愁を感じます。その日の自分の精神状態を楽曲に投影しているからなのでしょうが、聴き手は特別の感慨にとらわれます。しかも、その旋律線の単純なことと言ったらありません。どうやってそんな旋律を思いついたのか不思議でならなくなります。そこが天才の天才たるゆえんなのでしょう。シューベルトは単純さの中に人生の真理があるとでも看破していたのでしょうか?

 シューベルトの交響曲第9番「グレイト」には魅力溢れる旋律がちりばめられています。中でも、第2楽章に単純でかつ驚くほどの深みを聴き手に感じさせる部分があります。第2楽章の半ばで、ホルンが弦楽器と掛け合いをする場面です。そこではホルンが8回、まるでため息でもつくように同じ音を響かせています。ここは本来山場でも何でもなく、ただの経過句なのでしょう。しかし、この曲をしみじみと聴いている間にこの部分にさしかかると、何かとてつもない別世界を見たような気分にさせられるのです。

 この部分については吉田秀和による、これ以上ない適切な解説があるので引用しておきます。

 

 この曲がもっている「宝」のすべてを、数えつくすことは、とてもできない。私は、その入口で、この楽章から離れるほかない。というのも、次にくるアンダンテ・コン・モトにひと言もふれないで、この曲を読者の手に渡すなど、どんなことがあってもできない相談だからだ。

 このアンダンテはリズムと旋律と和音との宝庫である。そうして、ここに登場する楽器たちの、作曲家の手で書きつけられた役割を演じているというよりも、自分で選びとって生きているような動きのすばらしさ。三つの主題的な旋律が、面倒な手続きも回り道もせず、つぎつぎと隣接しながら登場しおわった後(それはイ短調の楽章の最初のヘ長調の部分の終わったところに当たるのだが)、弦楽器がppから、さらにdim、dimと小さく、小さく息を殺していって、そっと和音をならす、その和音の柱の中間に、小節の弱拍ごとに、ホルンがg音を八回ならしたあと、九回目に、静かに微妙なクレッシェンドをはさみながらf音を経てe音までおりてくる[譜例2]。

 シューマンが「全楽器が息をのんで沈黙しているあいだを、ホルンが天の使いのようにおりてくる」と呼んだのは、ここである。これは、音楽の歴史のなかでも、本当にまれにしか起こらなかった至高の「静けさ」の瞬間である。

譜例2

『吉田秀和作曲家論集 2 シューベルト』p.63-64

 吉田秀和の文章を見ると、プロの音楽評論家がいかに適切な言葉を選んで音楽を表現しているかがよく分かります。私はホルンの音をため息のようだと卑俗な言葉で書いたのですが、さすがに吉田秀和はそのような低次元の表現は使いません。改めて敬意を表したくなります。

 
CDジャケット

 私が今まで聴いたCDの中でこの場所が最も神秘的なのはフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の1951年録音でした(「大作曲家の交響曲第9番を聴く シューベルト篇」をご参照ください)。何回聴いても冷気すら伝わってくるような気がします。フルトヴェングラーは第2楽章を17分もかけて演奏しているように、ややゆったりしたテンポで第2楽章を進めていますが、この場所にさしかかるとさらに悠揚迫らざるスローテンポになり、いやでもホルンのため息を神秘的にします。 まるで現世界から別世界への境界線になっているように思えますし、私は危うく別の世界に入ってしまいそうになります。かろうじてオーボエが主旋律で入ってくると突然現世界に引き戻されるような気になります。

 驚くのは、147小節から始まるその部分が旋律とも言えない単純さであることです。だって、同じ音でため息をついているんですよ。これがなぜここまで人を刮目させるのか。もはや理屈を超えた世界だと思います。シューベルトはこの部分を特別な思いを持って書いたのか、あるいはただの経過句として書いたのか私には到底分かることではありません。しかし、これだけは確実に言えるのです。シューベルトはとんでもない天才だと。

 

■ 聴き比べ

 

 偉大なこの曲には大量の録音がありますね。フルトヴェングラーは第2楽章の該当箇所で異次元世界を体験させてくれましたが、他の指揮者達はどうしているのでしょうか。ベルリン・フィルの録音で聴き比べをしてみました(我ながら実にマイナーな聴き比べであります)。

 なお、曲名はCDの表記に合わせてすべて「交響曲第9番」としました。

 まずはカール・ベームです。

CDジャケット

交響曲第9番ハ長調D944
カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1963年6月、ベルリン、イエス・キリスト教会
DG(輸入盤 419 318-2) 全集

 第2楽章の該当箇所は、フルトヴェングラー盤を聴いた後で聴くと、やや淡々としています。ベーム指揮ベルリンフィルがとりわけ素っ気ない演奏をしているとも思えないのですが、聴き手に対するフルトヴェングラーの呪縛が強すぎるとも言えます。

 ベームは「グレイト」を十八番にしていただけあって、全曲の演奏は圧倒的な完成度です。ベームは全曲を完全に我が物としていて、隙も緩みもない演奏をしています。いかにもドイツ的なグレイト」の演奏です。セッション録音によって重心の低い質実剛健なベルリン・フィルの音が十分に捉えられているのも嬉しいです。音質に問題ありと感じたことがないのでリマスタリング盤を買う意欲が起きなかったほど優れた録音でもあります。この全集は全盛期のベームが残した貴重な遺産です。

 全曲の演奏の面白さでいえば、ベームには1979年にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したライブ盤(DG)があります。全く豪快・剛毅なな演奏で、1963年の録音に爆発的な燃焼度を加えたものと言えます。「グレイト」の必聴アイテムです。また、1975年の来日公演盤は、ウィーンフィルとの演奏ですが、演奏の面白さではシュターツカペレ・ドレスデン盤に譲るものの、第2楽章などに現れるホルンの響きは忘れられません。

CDジャケット

交響曲第9番 ハ長調 D944
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1978年12月、ベルリン、フィルハーモニー
EMI(国内盤 TOCE-59004)

 EMIに入れたカラヤンの「グレイト」は、華麗の一語に尽きます。ここまでシューベルトが華麗で良いのかと思わず首をかしげたくなります。しかし、ベルリンフィルの圧倒的な美音でこのような演奏をされると、シューベルトの別の世界が開けてくるような気もします。

 第2楽章の該当場所はホルンが蜘蛛の糸を引くような弱音を聴かせています。このような演奏は他に類例がないのではないでしょうか。その部分を取っただけでも驚異的な演奏です。他の部分は推して知るべしであります。

CDジャケット

交響曲第9番 ハ長調 D944
ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1995年3月28-29日、ベルリン、フィルハーモニーにおけるライブ録音
BMG(輸入盤 09026 68314 2)

 これもベルリンフィルの機能美を見せつけられる演奏です。ライブ録音にもかかわらず、オーディオ的にも優れています。このような理想的な音でベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデンやウィーンフィル来日公演での「グレイト」が収録されていたらと思わずにはいられません。

 全曲の演奏は楷書によるシューベルトであります。ヴァントは良くも悪くも変わったことをしません。楽譜に忠実にというのがこの指揮者のスタンスだったと思いますが、それだけにはとどまらない指揮者の何か(それをカリスマと呼んでしまえば簡単なのですが)がベルリンフィルを本気にさせています。その合奏能力を得て歌心に溢れ、かつシンフォニックな「グレイト」が完成しました。ヴァントが世界の巨匠と認められた時期は長くはありませんでしたが、この録音は「グレイト」の代表的録音として長く聴き継がれることでしょう。

 第2楽章の該当箇所は意外にもたっぷりと弦楽器が鳴っています。こちらは蜘蛛ではなく雲の上にいるようです。そこにホルンが美しく音を奏でますが、まさに天上の響きです。

CDジャケット

交響曲第9番 ハ長調 D944
サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2005年6月8-11日、ベルリン、フィルハーモニー
EMI(輸入盤 0946 3 39382 2 9)

 これもベルリンフィルの機能が活かされた録音です。セッション録音でもあり、音質も万全です。全曲の演奏は、繊細なところは繊細に、豪快なところは豪快にという実に分かりやすいものです。もっとも、ラトルが単にそんなことを目指したとも思えません。楽譜のあらゆる箇所に目を光らせ、それをオーケストラに徹底させた演奏だと思われます。

 ただし、私はこの演奏を含めたラトル録音の多くには、非の打ち所のない演奏だと頭では理解しつつも、時折息苦しさを感じざるを得ません。その理由がなんなのか自分でも解答を見いだせずにいたのですが、最近、ラトルにとってベルリンフィルとの演奏は楽曲研究の成果発表の場になっているからではないかという気がしてきました。ラトルからはカラヤンのように我が道を行くという強烈な内面の発露を感じることがありません。これからまだ変わるかもしれませんのでじっと待ってみたいものです。

 第2楽章の該当箇所は、ラトルらしく細心の配慮をした演奏で、テンポ、音、その大きさの変化が手に取るように分かります。良く言えばデモーニッシュで、もしかしたらフルトヴェングラー的とも呼べるかもしれませんが、私はここにたどり着くまでに十分に息苦しさを感じてきたために、その演奏を神秘的だとは感じませんでした。

 最後に、おまけです。私のお気に入りです。今度はウィーンフィル盤です。

CDジャケット

交響曲第9番 ハ長調 D944
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1957年10月27日、ウィーン、ムジークフェラインザールにおけるライブ録音
DG(国内盤 POCG-2627)

 息苦しさを全く感じさせない演奏を挙げよと言われれば、これでしょう。クナ節全開。会場の拍手が鳴り止まないうちから曲が始まります。第2楽章などを聴くと、対旋律をくっきり浮かび上がらせるなど手練手管の限りを尽くしており、十分に細部にこだわった演奏だと分かります。それでいて不自然さを感じさせることもなく、曲に秘められた美しさを堪能できるのです。

 第2楽章の該当箇所ですが、ウィーンフィルのホルンにノックアウトされるのです。もう言葉になりません。上記のベルリンフィルのCDでさんざんベルリンフィルの機能美を聴いていても、なおモノラルのウィーンフィルの音に魅了されてしまうのです。

 このCDはウィーンフィルの150周年記念盤でしたが、150年の歴史の中でも希有な録音だったのでしょう。今更ながらに古き良き時代を回顧したくなります。そして、シューベルトの「グレイト」はそのためにうってつけの曲なのですね。

 

(2015年1月25日、An die MusikクラシックCD試聴記)