シューベルトのピアノ音楽を聴く ブレンデル篇

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内田光子篇


 
 

■ ブレンデル

 

 シューベルトの演奏ではブレンデルを外すことはできません。

シューベルト
ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845
3つのピアノ曲(即興曲)D.946
ピアノ:ブレンデル
録音:1987年9月6-13日、ノイマルクト
PHILIPS(輸入盤 422-075-2)

 上記内田光子の演奏は、「神は細部に宿る」というか、「内田光子は細部に宿る」といったものでした。「曲」を「木」にたとえるならば、内田光子は、木の葉に無数にある葉脈までを丁寧に見せてくれる演奏をしているわけです。それに対し、ブレンデルの演奏はシューベルトという森の中にあるピアノ・ソナタという木の全体像を見せてくれます。もちろん、ブレンデルだって細部へのこだわりがないはずがありません。しかし、ブレンデルはシューベルト演奏においては、何よりも啓蒙活動家なのです。実に熱心であります。シューベルトへの愛情が通り一遍ではなかったに違いありません。それは再録音を続けた録音歴にも現れています。だからこそ、ブレンデルの演奏で聴くとシューベルトのピアノ・ソナタが様々なドラマを秘めた傑作であることが伝わってきます。

 ピアノ・ソナタ第16番の演奏にしても、内田光子の演奏とかなり違います。内田盤で打ちのめされた私はブレンデル盤でシューベルトの世界にたっぷり浸ることができるのです。また、「3つのピアノ曲 D.946」では、その音楽の美しさ・深さに溺れそうになります。ブレンデルは自分の演奏を通して、あくまでもシューベルトを聴かせているのです。内田光子の場合は内田光子ワールドでしたが、ブレンデルの場合は、シューベルトワールドなのです。

 そもそも、ブレンデルはシューベルトの使徒とも言える人でした。ブレンデルはシューベルトを演奏によってだけでなく、著作によっても広く認知させたい、またシューベルトの曲に対する無知からの偏見を払拭したいと考えていました。ブレンデルの著書『楽想のひととき』(音楽之友社)にはシューベルトに関する興味深い論考があります。それにはブレンデルのシューベルトへの熱意がまざまざと表されています。論旨が明快で、著者の気迫が込められているためか、痛快な文章です。ブレンデルは、シューベルトの音楽に関する誤解を木っ端微塵に打ち砕きます。その誤解とは以下のとおりです。

  1. シューベルトのスタイルは発展しなかった。
  2. シューベルトはベートーベンのソナタを模倣して、失敗した。
  3. シューベルトの音楽は、オーストリアの風景の柔らかい、優しい輪郭に似ている。
  4. シューベルトのピアノ曲は「ピアニスティック」ではない。

 ここでブレンデルが挙げたのは、シューベルトの音楽の特徴ではなくて、シューベルトの音楽に対する誤解であることにご注意ください。いかにもありそうな誤解ですよね。私自身も長い間この誤解と同じ程度の理解だったので笑えません。

 ブレンデルの数多いシューベルト録音は啓蒙活動の一つだと私は認識しています。著書で誤解を粉砕し、かつ自分の演奏によっても立証しようとしているわけです。このようなシューベルトの使徒はブレンデルくらいでしょう。

 ブレンデルのシューベルトはPHILIPSの高音質録音にも恵まれ、シューベルトを知る=楽しむための最高の贈り物であります。どの演奏にも血が通っています。ブレンデルでシューベルトを聴くと、私はその度に敬愛の念を持たずにはいられません。

 余談ですが、このところ私もパソコンでYouTubeの動画を見ることが増えました。YouTubeは呆れるほど何でもありの世界になっていますね。合法的な動画なのかどうかさっぱり分からないのであえてリンクは張りませんが、ブレンデルが演奏するシューベルトの後期三大ピアノ・ソナタの動画を見ますと、畏敬の念を新たにします。また、ブレンデルの演奏を生で一度も聴くことができなかったことが本当に悔やまれます。せめて以下のようなCDを聴くことでその乾きを癒やすしかありません。もちろん、それは心躍る体験であります。

CDジャケット

 

 

《参考盤》

シューベルト
ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D.959
ハンガリー風メロディ ロ短調 D.817
16のドイツ舞曲 D.783
アレグレット ハ短調 D.915
ピアノ:ブレンデル
録音:1987年12月、ノイマルクト
PHILIPS(輸入盤 422 229-2)

 

(2013年12月24日、An die MusikクラシックCD試聴記)