ハイティンク指揮シカゴ響の来日公演とライヴCD

文:青木さん

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 かつて「私のモーツァルト」の企画で「シカゴ響のモーツァルト」なる迷文を書かせていただいた際、ハイティンクと来日してモーツァルトを披露してくれれば・・・みたいに結んだのですが、なんとそれが実現。でも関西には来てくれないので、仕方なくヨコハマの初日公演へ。で、前半が「ジュピター」で後半が「英雄の生涯」とくれば、これは2004年5月に名古屋で聴いたハイティンク指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演目とまったく同じです。

 そのジュピターは、けっして悪い演奏ではないとはいえ、どうしても管弦楽の魅力をカペレと比較してしまうので、あんまり楽しめません。それでも終楽章では立体的なスケール感が創出されて楽曲の偉容がたちのぼり、ようやく感銘を受けるに至りました。ハイティンクの音楽づくりはカペレのときと基本的に同じですし50人の編成もリピート実践もまったく同様、しかしオーケストラが変わるとこうも印象が違ってくるものか、とあたりまえの事実を改めて思い知らされた次第。

 後半の「英雄の生涯」は、これはもうシカゴ響の実力と個性がフルに発揮されたといってよい重量級の演奏で、滑らかなのに押しが強い金管群が朗々と鳴り響くたびに、凄すぎて笑ってしまったほど。雄弁かつ技巧的な木管群の充実ぶりにも驚きました。翌日(2/1 東京)のマーラーもおおむね同傾向、加えて強力な打楽器群にも感嘆。「向き不向き」というコトバでいえば、さすがに「不向き」はないようですけど、「向き」というのはおおいにあったのでした。これはとりもなおさずオーケストラに確固たる個性が備わっているからであり、それをちゃんと維持できている。人によって好き嫌いはあるでしょうが、その点はちゃんと評価すべきだと思います。

 その個性をうまく引きだしつつ、大曲全体をしっかりまとめる手腕。ハイティンクという人は、高いレベルにおいて理想的な「円熟」を極めたのではないでしょうか。80歳目前とは思えぬほど颯爽と登場しましたが、最後はさすがに疲労の色が濃く、マーラーの日はもちろん「英雄の生涯」のあともアンコールなし。カペレの時は「マイスタージンガー」を演ってくれたっけ・・・と遠い目に。

 さて、マーラーの交響曲第6番はもともと聴きに行く予定じゃなかったんですが、チケットを安く譲っていただけることになったので、一泊して行くことにしたものです。当初気が進まなかった理由は、S席4万円という料金にひるんだせいもありますが、一昨年10月のライヴ録音(シカゴ響自主制作CD)がつまらなかったため。しかし実演は違うかも・・・と期待して行ったらやはりそのとおりで、圧倒的な感銘を受けました。

 これはどういうわけか? 家で録音を聴くのとライヴを生体験するのとでは、そもそもまったく別のことだというのは当然の前提として、CDのサウンド上の問題にふれないわけにはまいりません。たしかにクリアだし高音や低音もしっかり入っていて、オーディオ的価値観でいえば優秀録音なのでしょう。しかし生気というか実在感というか、ライヴ特有の生々しさが乏しく、といってスタジオ録音のような完成度の高さも感じられず、実にもどかしい中途半端な音質。複数のテイクをツギハギして演奏ミスや客席ノイズを消していく加工作業の過程で、重要な「空気感」「ライヴ感」までが損なわれてしまったかのような。そのせいで音楽が死んでいる、というと極端ですけど、90分を聴きとおすのがつらい、文字通り悲劇的(?)なCDでした。

 この不満は、ドイツ・グラモフォンによるバーンスタイン晩年のライヴ録音に対して抱いていたものと同じです。その中にはコンセルトヘボウ管を指揮したディスクもありますが、そのうちシューベルトの5番とマーラーの1番の二曲が、さきごろ発売された放送録音集” ANTHOLOGY OF THE ROYAL CONCERTGEBOUW ORCHESTRA VOLUME 5:1980-1990”に含まれていました。いずれも放送局による録音なのでDGの音源そのものではないんでしょうけど、加工前のフレッシュな音楽がそのまま真空パックされたかのようで、たいへん聴きごたえのあるリアルなサウンドだったのです。それにくらべて・・・

 『美味しんぼ』の海原雄山ならこう言うね。
 「大馬鹿者めが! 素材のよさを活かさんか!」

 

マーラー
交響曲第6番イ短調「悲劇的」
ベルナルト・ハイティンク指揮シカゴ交響楽団
録音:2007年10月18,19,20,23日 オーケストラ・ホール、シカゴ(Live)
CSO RESOUND (輸入盤:CSOR 901804)

 

2009年2月11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記