「コンセルトヘボウのシャイー」No.22
プロコフィエフ:交響曲第3番

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CDジャケット

1)モソロフ:鉄工場
2)プロコフィエフ:交響曲第3番
3)ヴァレーズ:アルカナ

録音:1991.5(2);1992.4(1,3) コンセルトヘボウ大ホール
P:アンドルー・コーナル
E:ジョン・ダンカーリー
国内盤初出:1994.8.25. (ポリドール POCL1465)
International release: July 1994/Catalogue number:Decca 436640

国内盤には〔20年代のアヴァンギャルド!!〕とのサブタイトルが付けられ、CDのオビやバックレイもこれまでとは少し違ったデザインがなされている。後のヴァレーズ集は、この好評を受けて制作されたらしい。

ここに並べられているのは、ある意味で暴力的な音響を特徴とする曲だが、それが耳ざわりに聴こえるギリギり手前に留まっているのは、やはりこのオーケストラ特有の美質あっての結果だろう。機械と金属が生み出すリズムがモチーフの「鉄工場」など、もっとザラザラしたサウンドの方がマニア受けするのかもしれないが、これは「コンセルトヘボウのアヴァンギャルドな側面」を楽しむための録音だと思う。

(2003年1月7日、青木さん)


モソロフ:鉄工場Op.19
ヴァレーズ:アルカナ

私はこの両曲があまり好きではないし、良く聴く訳でもない。にもかかわらずなぜこれらの曲に関しての試聴記を書こうと言うのであろうか?
実は、そこにこそシャイーとコンセルトヘボウの魅力の一端が表れていると考えるに他ならない。

モソロフのこの曲は実に騒々しい。うるさくて音楽とは思えない。そんな演奏がこの曲の最良の演奏であると、作曲された1920年代から我々は頑なに信じ込まされて来た。しかし、シャイーとコンセルトヘボウは、これらの「この曲は音楽にあらず」なる評価を根本から覆したのである。シャイーはこの曲から、音楽の根本であるメロディーを浮き上がらせこの曲にも音楽性に溢れた、普通のクラシックとしての側面が十分にある事を表出した。ただうるさいだけではない、音楽としてのこの曲に焦点を当てたのである。もちろん、そこにはコンセルトヘボウのオケとホールの効果も抜群に生かされているのは明白である。大体、コンセルトヘボウのホールの中が鉄工場にはなり得ない事が実証された、と言い換えることも出来るだろう。

ヴァレーズの「アルカナ」にはかつて名盤が存在した。ズビン・メータの若い頃の快演である。それは現代音楽の一面を見事に捉えてはいた。しかし、現代音楽の内面には踏み込まなかった(踏み込めなかった?)のである。内面の精神的な部分を現代の作曲家が捨て去って、音の遊びに耽っていると
思われている節がないでもない。それを信じて、あるいはそのレベルの演奏ばかり聴かされ続けて、「現代音楽嫌い」が巷のクラシック愛好家に蔓延しているのは、あながち現代の作曲家の責任だけであるとは言えないであろう。

この曲はストコフスキーに献呈された。彼が初演者であるが評価はさっぱりであった。この点で、メータの功績は大きい。しかし、シャイーはこの曲の神秘性の部分を一面では評価しつつ、むしろ彼はこの曲がパッサカリアの形式を取った古典的な側面に光を当てたように思う。パッサカリアの形式は非常に技巧的な側面を持つが故に、バトンテクニックは容易ではない。バラバラになって収拾がつかなくなった演奏を、あのブラームスの交響曲ですら私は何度か経験した事がある。

従って、私にはシャイーとコンセルトヘボウのこれらの演奏が、CDのタイトルである「20年代のアヴァンギャルド」なる宣伝文句とは全く乖離した演奏であると感ずる。決してそんなレベルに彼らの演奏は留まってはいない。もっともっと上質なクラシックの醍醐味をこのCDから我々は感じ取れるのである。

(2003年1月20日、たけみちゃんさん)


非常にシャイーらしく、かつコンセルトヘボウ管らしいカップリングだと思います。モロソフについては、他との比較試聴していないのでなんともいえませんが、普通ならば聴くに堪えない曲でもなんとか聴けるようになっています。シャイーの力量なのかオケの力量なのかははわかりませんが…

プロコの3番では、コンドラシンとコンセルトヘボウ管とのライブ録音(Ph)を思いだします。あの録音は、いかにも本場の指揮者による演奏といった感じで若干きつく聴こえましたが、シャイーの演奏はそれに比べると全体を通してかなりマイルドです。

それでいて十分な迫力もあるのですから、素晴らしい事この上なし。 シャイーとコンセルトヘボウ管のコンビにしかできえない演奏だといえるでしょう。

(2003年10月27日、Fosterさん)