コンセルトヘボウ管のレコードを聴く
(文:青木さん)
■ なぜレコードか?
『ミュージック・マガジン』誌を久しぶりに買いました。“CDはどこへ行く”という特集を組んでいたからですが、まぁ実際にはこんなの読まなくてもわかっていたことです――世間一般のヒトがCDを買わなくなっているということを。といっても当 An die Musik に集うみなさんには、あまり関係のない話かもしれません。なにしろひたすら増殖の一途を辿るCDを整理することさえままならず「むしろCDどっかに行ってくれ!」みたいな方ばかりでしょうから(おまえといっしょにするな!というツッコミ入る)。でもデータ配信なんかにとって代わられCDが衰退に向かってしまったりすると、これはやっぱり困りますよね。
かくいうワタシはといいますと、じつは最近LPレコードをよく聴いているというアナクロ、じゃなかったアナログぶり。でもそれは、いっこうにCD化されない(あるいはもうCDで入手できない)’60〜80年代の音源をしかたなくLPで聴くという感じでして、「やっぱり往年の録音はアナログ盤に限るわい」みたいなのとは違います。聴きながらデジタルデータ化してCD-Rにコピーするという〔板起こしによる私製CD化〕をしているほどですから。
そうやって聴いているLPの中から、コンセルトヘボウ管のものを採りあげてみます。「それCDになってるぞ」という情報がありましたら、ぜひお寄せください。
■ LP1
ムソルグスキー(ラヴェル編曲)
組曲「展覧会の絵」
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1962年9月10-12日 コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤LP:フォンタナ PL17)フォンタナ・レーベルの廉価盤「グロリア・シリーズ」の一枚。“二つの展覧会の絵”と題され、リヒテル独奏のピアノ版と組み合わされています。つまり片面30分を超える長時間カッティングでして、音があまりよろしくない。ダイナミックレンジの面で窮屈な感じがする(特に終盤)だけでなく、溝間が狭いせいかスクラッチノイズも大きめで、もちろん各曲の切れ目も視覚的にはよくわからず、もうLPの欠点の集大成といったところ。1962年9月といえばマーラー「巨人」と同じころの収録。そのCDのサウンドから察すると元の録音自体はかなりよいはずなので、ていねいにリマスタリングしたCDで出してほしいものです。
肝心の演奏ですが、これはなかなかよかったですね。というよりまったく期待せずに聴いたので(こらこら…)あ、意外といいじゃないか、というのが正確な感想。へボウによるこの曲の録音は、デイヴィス指揮のフィリップス盤とシャイー指揮のデッカ盤がありますが、前者は演奏・録音ともなぜか冴えない出来なので、むしろそれよりも好ましいほど。各曲の描き分けはさほど徹底していませんが、ハイティンクの若さが未熟さの露呈につながるのではなく前向きな覇気という形で出ているようで、ダレることなく一気に聴かせます。そしてオーケストラの音色の魅力、これはもう筆舌に尽くせません。ケバケバしさは皆無、かといって地味なモノトーン調でもなく、“洗練された素朴さ”とでもいうべき木目細かい質感がじつに美しい。管楽器の技巧の不安定さも問題にならぬほどです。
※フィリップスにはドラティ指揮コンセルトヘボウ管のモノラル録音もあるらしい。
■ LP2
シューベルト
劇音楽「ロザムンデ」D.797
アーフェ・ヘイネス(アルト)
オランダ放送合唱団
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1965年5月31日〜6月4日 コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤LP:SFX7553)CDでは「シルバーライン」シリーズの「未完成」の余白に入っていますが、それはこの全曲版録音からオーケストラ演奏部分のみがセレクトされたもの。声楽入りのナンバーもよい出来なので、やはり全曲版も手元に置きたいもの。金管が中心になって伴奏をつける「霊たちの合唱」や「猟人の合唱」に横溢する“牧歌的サウンド”はこのオーケストラの魅力の一つです。その管弦楽に関してはいつもより左右の拡がりが控えめの音響ですが、これはCDを聴いても同じなので、もとの録音がそうなっているのでしょう。
コンセルトヘボウのファサードをダブル・ジャケットの表紙にあしらった国内盤LPは定価2000円。レコ芸イヤー・ブックによると1966年4月の発売ということで、その後の再発売はなかったようです。こんなのが数百円で手に入ることもある〔中古盤漁り〕こそが、LPの最大の魅力かもしれません。
■ LP3・4
交響曲第4番 交響曲第6番 チャイコフスキー
交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
交響曲第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1970年5月19-21日(第4番)/27-31日(第6番) コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤LP:PL1309(第4番)/PL5(第6番))ハイティンクをあと2枚。チャイコフスキーの交響曲の旧録音ですが、これはどうしてもあのすばらしい再録音(1978年10・12月録音)と比較してしまいます。その観点からすると「まったく存在意義なし」と言い切ってしまいましょう。「悲愴」の新盤が出たとき、『レコード芸術』誌の月評で「音の質が驚くほど深みのある美しさ」という実に的確なコメントがされましたが、その重厚な深みと芸術的な音響設計とを取り除き、特になにも付け加えないのが旧盤だといえば、まぁおおよその内容は知れると思います。新盤にはない旧盤独自の魅力でもあれば別ですが(たとえばチャイコフスキーの交響曲でいえばカラヤンのEMI盤がそうだとか)それもなく、オケもレコード会社も同じだし、演奏や録音のレベルが向上しただけ。これでは当旧盤は無価値も同然、CD化されないのもごもっとも。
しかし個人的には、重要な件の再確認につながりました。こうして聴いてみたことによって、時期的にはこれら新旧のちょうど中間期に位置する第5番(1974年9月録音)がすでに第4・6番新録音のレベルにほぼ到達していたことを、あらためて実感できたのです。これは、1972年録音の「1812年」を間におくとさらによく理解できます。三大交響曲の完結篇のつもりで第5番を録音したら一気にレベルアップしてしまったので第4・6番を再録音せざるを得なかった…みたいな経緯をなんとなく想像していたんですけど、それはいまや確信に変わりました。ワタシがヘボウにハマるきっかけともなった交響曲第5番の録音は、指揮者ハイティンクの円熟とフィリップス録音の進化を語るうえで、やはり格別の存在だったのです。いいですねぇ。
■ LP5
フランク
交響曲 ニ短調
エド・デ・ワールト指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1978年9月19日 コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤LP:25PC80)デ・ワールトとコンセルトヘボウ管のフィリップス録音のうち、1979年9月のセッションで収録されたワーグナー集とチャイコフスキー集はCDでも出ましたが、1年前に録音されたこのフランクがCD化されたかどうかは未確認です。へボウによるこの曲の録音は、何種類かあるらしいメンゲルベルクの古いものを別にすれば、オッテルローのフィリップス盤とシャイーのデッカ盤があります。1964年の前者はかなりユルめの演奏、このワールト盤はなんだかモタモタしてノリの悪い演奏ということで、内容的にはシャイーがベスト。しかしながら明るめの開放的サウンドにちょっと違和感がないでもないシャイー盤とちがい、ワールト盤はほの暗い雰囲気とオルガン的重厚さが過不足なく味わえます。これぞフランクのシンフォニー、という感じ。すばらしい。
アナログ末期のフィリップス盤の場合、LPであるがゆえのハンディみたいなのはほとんど感じられません。それどころか鮮烈さと暖かさ/溶け合いと分離/奥行き・拡がりと定位などがみごとにバランスした、深みと潤いのある最高の音質になっている例が多くて、あとでCD化されたものを聴いて「あれ?こんなんだったっけ?」みたいなことさえあったほど。このフランクのディスクも、その存在価値はサウンドだけなのですから(決めつけるな!)、CDはあまり欲しくないかも。
■ LP6
ハインツ・ホリガー/オーボエ&コール・アングレ協奏曲集
1)ハイドン/オーボエ協奏曲 ハ長調
2)ロッシーニ/オーボエと小オーケストラのための協奏曲
3)ライヒャ/コール・アングレとオーケストラのための情景
4)ドニゼッティ/コール・アングレとオーケストラのためのコンチェルティーノ
ハインツ・ホリガー(オーボエ、コール・アングレ)
ダヴィト・ジンマン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1978年6月26〜27日 コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤LP:X7864)ソリストをオーレル・ニコレに換えてほぼ同時に録音されたモーツァルト集はCDで持っていますが、このホリガーの方はCDになっているのでしょうか。ホリガーの協奏曲録音はイ・ムジチやアカデミー室内管との共演が多かったので、それらに興味のないワタシがCD化に気づかず見のがしただけかもしれません。でもこのディスクはなかなかよい内容でした。小編成の場合にまた独特の魅力を発揮するコンセルトヘボウ管、ここでも気持ちのいいアンサンブルと典雅なサウンドで聴きごたえのある伴奏をつけています。音も最高で、独奏楽器とのバランスも絶妙。マルチマイク・レコーディング技術の究極に到達していたアナログ末期のフィリップスは、このような名録音を毎月のように連発していたなぁ…と遠い目になってしまい、X〜とか25PC〜で始まる国内盤レコード番号にさえ郷愁を覚える始末。
ところでその頃のジンマンの表記はまだ“ダヴィト”でした。ずっとその表記のままだったオイストラフとは違って、彼はいつしかデイヴィッドに。ユダヤの出自を捨てたのか? 名前の発音が変わるというのは本人の意向なのか翻訳する側が原因なのか、難しいところです。日本フォノグラム社には「ドレスデン・シュターツカペルレ」という悪例もあるので、後者の疑いが濃厚ではありますが。
■
ベートーヴェン
交響曲第7番 イ長調 Op.92
「シュテファン王」序曲 Op.117
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1960年頃
フィリップス(国内盤LP:フォンタナ FG242)サヴァリッシュとコンセルトヘボウ管のベートーヴェンといえば、EMIにレコーディングされた交響曲全集がありますね。かつて当シリーズでも採りあげ、御推薦申し上げました。フィリップスにも1960年代初頭にベートーヴェン録音が残されておりまして、これはその一枚です。ほかには「田園」と「フィデリオ」序曲も同じく「グロリア・シリーズ」で出ていましたし、やはり同シリーズに入っていたチャイコフスキーの交響曲第5番は最近CD化されています。
さてベートーヴェンのシンフォニー旧録音は、ハイティンクのチャイコフスキーのケースと同様に新録音の登場によって無価値な存在となってしまったのであった――。と最初は思ったのですが、何度か聴いているうちに別の魅力に気づきました。〔あまり立派すぎず、気軽に聴けるベートーヴェン〕。これです。内容が薄くて軽いだけではさすがに困りますけど、ここで別の魅力を付与しているのが当時のコンセルトヘボウの極上サウンド。EMI盤も意外と好録音とはいえ古くてもフィリップスのほうがやはりよいですし、ハイティンク盤は恰幅のいい演奏がリッパに過ぎ、あるいはクライバーのDVDも気軽に観られるものではない。テンション過剰なゲンダイオンガクなんかを聴いたあと「ちょっと気分転換に古典音楽でも…」みたいな機会には、じつにちょうどいい按配なんですね。
なんだかあんまり褒めてないみたいですけど、そういう効用がちゃんとある演奏は貴重。それに、これは前述のチャイ5でも感じたことですが、内声部の響かせ方というかバランスが普通とちがう部分もあって、それなりにおもしろい演奏でもあるのです。ホルン・セクションのみなさんにはもうちょっとがんばってほしかったですけれど。
ワタシはビニール盤のキズやホコリによるノイズが異常に気になるタチでして、「聴くたびごとに溝と針が磨り減っていく」という強迫観念とあいまって、レコードの取り扱いには難儀していたものです。なので、フィリップス社とソニー社によるコンパクト・ディスク(当初はDAD=デジタル・オーディオ・ディスクと言われてましたっけ)というものの実用化を知り、長時間収録ということもあって「これは特にクラシックに向いていそうだ是!」と熱烈歓迎。するとクラシックのLPを買う気がなくなってしまい、実際にCDを導入するまでの数年間はロックやジャズばかり聴いていたほどです。
LPとCDの音質比較は、元の録音の出来にもよりますし、マスタリングやカッティングさらにはLP盤質といった要素も大きく関係するので、優劣はもうまったくのケース・バイ・ケース。一概にはいえません。マスターテープの劣化や紛失という怖ろしい事態もあるそうですし。でも使い勝手の面も含めてトータルで判断すると、個人的にはやはりCDのほうが好きですね。でもいまやアナログ音源のデジタル化が簡単にできるようになったんで、中古ショップを巡ってのLP漁りに励んでいる次第。板起こし私製CDは音の鮮度がちょっと落ちたりもしますが、いったいいつになったらCDになるねん!ほんまにもう!などとイライラしながらむなしく待ってるよりもずっと健全というかマシというか。
もちろん今でもLPを普通に聴いてらっしゃる方も多いでしょう。一方でレコードプレーヤーがなかったり故障中だったりでLPを聴けないという方もおられるはず。それどころか「子供のころからもうCDだったスね」というDIGITAL世代が増えつつあるわけで。でも、中古ショップのLPコーナーにはあなたにとってのお宝盤がひっそり眠っているかもしれませんよ。
(2008年7月30日、An die MusikクラシックCD試聴記)