バルトーク「管弦楽のための協奏曲」聴き比べ

(文:青木さん)

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 シャイー指揮コンセルトへボウ管弦楽団の新譜として、バルトークのディスクが登場した。「管弦楽のための協奏曲」に「中国の不思議な役人」が組み合わされたもので、かなり前から録音のニュースは伝えられていたが、待望のリリースだ。

 コンセルトへボウのオケコンといえば、即座にドラティ盤を思い起こす人も多いだろう。この曲の名盤アンケートの類では、並みいるシカゴ響盤に混じって必ず上位に顔を出す超弩級の名盤だ。その同じオーケストラを相手に、得意の20世紀音楽レパートリーの一曲であるこの曲を、シャイーはどのように聴かせてくれるのか。

 またヘボウの歴史においても、さすがにメンゲルベルクの録音はないものの(なにしろ彼の活動中はこの曲はまだ存在していなかった)、ベイヌムもハイティンクも録音を残しており、歴代シェフの演奏を比べてみるのも面白そうだ。しかもオーケストラの聴き比べにはもってこいの内容を持つ曲であり、個人的にも昨年のフィッシャー指揮ブダペスト祝祭管の来日公演で実演に接し大感激して以来、偏愛している曲でもある。

 というわけで、今回はコンセルトへボウ管弦楽団による「管弦楽のための協奏曲」聴き比べにチャレンジ。比較参考盤としてシカゴ響等の録音も用意して、オケコンの名録音を多角的に検証…できればよいのだが。

 

■ 各ディスクのプロフィール 

CDジャケット

ベイヌム指揮コンセルトへボウ管(1948年9月20日録音、デッカ)

〔9:39/6:45/6:41/4:26/9:03〕

 SP復刻。1944年に初演されたこの曲の、史上二番目の録音らしい。ベイヌムはSP時代の録音の多くをLP用に再録音したが、この曲についてはこれしか残されていない(国内盤 POCL-4588)。

CDジャケット

ハイティンク指揮コンセルトへボウ管(1960年録音、フィリップス)

〔9:20/6:36/6:48/4:12/9:26〕

  ハイティンクの最初期の録音で、「舞踏組曲」と同時に録音された。この曲のステレオ録音としては、ライナー盤とバーンスタイン盤に次いで史上三番目ではないだろうか。それにしても新人にいきなりこんな難曲を録音させるとは、フィリップスは豪胆だ。

CDジャケット

ドラティ指揮コンセルトへボウ管(1983年録音、フィリップス)

〔9:48/6:28/6:47/4:32/9:34〕

 リスト音楽院でバルトークに師事したというドラティにとって、バルトークは得意のレパートリーであり録音も多い。これと同時に録音された「二つの映像」を、ドラティはそのわずか5年前にデトロイト響とデッカに録音しているし、この1983年にはやはりデトロイト響とデッカに「中国の不思議な役人」「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」を録音している。また「弦チェレ」はその9年前に、フィルハーモニア・フンガリカとフィリップスに録音している(へボウのオケコンとのカプリングで再発されたこともある)。なんというか、一貫性のないことおびただしい。マンダリンや弦チェレもへボウとフィリップスに入れてほしかった…とないものねだりをするよりも、このオケコンがデトロイト響とデッカに録音されなかったことを祝福しよう。

CDジャケット

シャイー指揮コンセルトへボウ管(1995年5月21-22日録音、デッカ)

〔9:56/6:13/8:03/4:36/10:01〕

 録音から6年を経過してようやく発売。シャイーのバルトークは初めてか(国内盤 UCCD-1046)。

 

ショルティ指揮コンセルトへボウ管(1994年ライヴ録音)

 おっとこれは裏面が緑色の非正規盤、買うのは勝手だがこういうところで採り上げてはなりませぬ。

 コンセルトへボウ盤は以上だが、そのうち最初のベイヌムのものは同一演奏の別ディスクがなぜか手元に三種類もある。

 ひとつは1998年にポリグラム社から発売された純正デッカの国内盤(オビには「世界初CD化」とある)、二つめは1999年に米MUSIC & ARTSから出た"The Artistry of Eduard van Beinum"という四枚組CD。もうひとつは2000年に蘭NM Classicsから発売されたベイヌムのボックスセットで、放送録音集と銘打たれているにもかかわらず、どういうわけかこの録音だけがデッカ音源と明記され流用されている。わざわざそんなことをした割には音が冴えず、そのSP復刻技術のほどは前二者からかなり落ちるといわざるを得ない。

 デッカ盤はM&A盤より若干ノイズが多いが音質には大差ないので、以下では代表としてデッカ盤を使用することとする。しかしながら、もっとも音がよさそうな気がする英DUTTON盤が手元にないことは痛恨の極み。

 

※ 以下は参考盤

CDジャケット

ショルティ指揮シカゴ響(1981年5月録音、デッカ)

 デジタル録音初期の名盤で、ショルティにとっては再録音。シカゴ響のディスクには他にライナー(RCA)、小澤(EMI)、レヴァイン(DG)、ブーレーズ(DG)の各録音やショルティの映像版があるが、今回はこのショルティのデッカ盤を代表盤とする(国内盤 POCL-5075)。

CDジャケット

ドラティ指揮ロンドン響(1962年録音、マーキュリー)

 ドラティの旧録音で、35mm・マグネティック・フィルムによる、異様に鮮烈かつパワフルな録音(国内盤 PHCP-10215)。

CDジャケット

ガッティ指揮ロイヤル・フィル(1997年6月18-20日録音、BGMコニファー)

 初稿版のエンディングが本編のあとに追加収録されている(国内盤 BVCO-1504)。

 

ムント指揮京都市響(2000年録音、アルテ・ノヴァ)

 いわゆる一流クラスとはされていないオーケストラの代表として。 

〔以下、タイミングはドラティ/コンセルトへボウ盤のもの〕

 

■ 第1楽章「序章」

 

 不穏なムードの序奏部では、フルートから受け渡されるトランペットの旋律(1:44)が最初の比較ポイント。といってもあまり違いはないが、ハイティンク盤はやや慎重な感じ。むしろショルティをはじめとするシカゴ響との違いに驚く。シカゴのあくまで明晰な音色に対して、コンセルトへボウにはしっとりとした渋さがある。これを「いぶし銀」と言わずしてなんと言おう。

 この旋律はさらに変形しつつ盛り上がっていく。その頂点で強打されるティンパニ(2:38)の音色の違いはどうだろうか。ベイヌム盤のものは録音のせいか音量がかなり小さく、ハイティンク盤のは残響の多い妙な音だ。伝統的な牛の本革を使用しているという、あの独特の重量感と深みのある響きを聴くことができるのは、やはり録音の新しいドラティ盤とシャイー盤。これらと比較すると、シカゴ響やロンドン響はプラスティック・ヘッドらしく、ドライな響きだ。

 ここから主部に入るまでの、短いフレーズが執拗に繰り返される部分、ベイヌムは速いテンポであっさりと処理していて物足りないのに対して、シャイーはグッとテンポを落としている。現時点はこれを新鮮な感じで楽しめるものの、繰り返し聴くうちに鼻についてくるのかどうか、まだわからない。

 主部に入り、第一主題に続いてトロンボーンに出る旋律(3:57)は、解説書では推移主題とされているが、このあと二回活躍する重要なフレーズだ。オーボエに第二主題が出て、提示部は終了。第二主題のバックで活躍するハープの音量が、シャイー盤で弱いのが気になる。

 展開部のお楽しみは、もちろん最後に置かれた金管によるカノン。この部分、ベイヌム盤はつらいものがある。トランペットが、どう聴いてもヘタクソなのだ。ハイティンク盤はホルンが弱い。やはりドラティ盤のバランスのよさは最高だな…と思ってシャイー盤を聴くと、その瑞々しい響きにハッとする。強奏させていないことで、風通しのよい繊細さがあるのだ。これは素晴らしい。そしてシカゴ響はというと、なんというか、音がでかい。

 この部分は大きなクライマックスを築いて終わるので、その後の静かで短い再現部はいたって地味に思える。そういえば同じバルトークのピアノ協奏曲第1番の第1楽章も、そんな構成だ。そして推移主題を朗々と奏でてエンディング。シャイー盤もさすがに最後はパワフルに締めている。

 

■ 第2楽章「対の遊び」

 

 まずは小太鼓の比較。ティンパニには難ありのベイヌム盤も小太鼓は明瞭に録音されている。ハイティンク盤はティンパニ同様に残響過剰気味、ドラティ盤は固く締まった音色、シャイー盤は不気味なエコーが付加、というように同じオーケストラとは思えないほど音色がさまざまで面白い。リズム感もずいぶん違う。

 続いて、次々と現れるソロ楽器が、タイトル通り一対となってメロディを綴っていく。ファゴット〜オーボエ〜クラリネット〜フルートと木管群総出演の後、ミュート・トランペットが出てくる。このあたり、木管の音色が濃いコンセルトへボウ盤はいずれも魅力的だが、ピチカートを中心とした弦の伴奏が表情豊かである演奏のほうがより楽しめる。ドラティ盤はこの伴奏が地味めで、意外とハイティンク盤がよい。しかしもっとすごいのがシャイー盤で、表現力に富んだ伴奏に耳が奪われて木管のソロに集中できないほどだ。

 中間部は「君が代」みたいなメロディーの金管コラール。この部分は、伴奏の小太鼓の音色が違うものの、第1楽章のカノンほどは各盤の差が感じられない。

 第一部に戻ると、前半と同じ順序と音程で出てくる二本のソロ楽器に三本目が加わったり伴奏が複雑化したりして、面白さは最高潮に達する。ここもやはりシャイー盤がいい。

 他のオーケストラでこの楽章を聴いてみると、

  • ロンドン響:ずいぶん勢いがあるが、これは録音のせいかも
  • 京都響:下手ではないものの…どうも非力な印象
  • シカゴ響:「巧い」の一言に尽きる

といった感じだが、まあ聴く前の先入観もないとはいえず、目隠しテストで聴き分けられるかは自信がない。

 

■ 第3楽章「悲歌」

 

 この楽章は都合により割愛させていただきます。

 

■ 第4楽章「中断された間奏曲」

 

 AA'A-B-A'Aという複合三部形式で、A'(1:10)の弦によるノスタルジックな旋律ではコンセルトへボウ管の温かみのある弦の魅力が全開、シカゴ響と比べれば瞭然だ。

 「中断」というのはAを中断するB(2:14)のことなのか、Bの有名な旋律が途中で「哄笑」(2:25)によって中断されることなのか、どちらかよくわからないが、その哄笑の中で出てくるトロンボーンのフレーズが強烈だ。ここでグッとタメを効かせる表現に慣れると、ベイヌム盤のそっけなさがもの足りなく感じる。ハイティンク盤はBの部分が慎重すぎて軽妙さが足りず、これもいまひとつだ。ドラティ盤も少々あっさりめで、シャイー盤が最も余裕と洒脱さを感じさせる

 「有名な旋律」とはつまりショスタコヴィチの交響曲第7番の主題だが、それ自体がレハールの「メリー・ウィドウ」のパロディだということが、シャイー盤の日本語解説に譜例付きで書かれている。

 

■ 第5楽章「終曲」

 

 この楽章も複合三部形式だが、その構成は複雑。ホルンの豪快なイントロに導かれて急速調の主部A(0:14)に入るが、その前にごく短いリズム提示部がある。ベイヌム盤とハイティンク盤はここをあっさり仕上げていてすぐに主題に入るのと対照的に、ドラティ盤とシャイー盤は(加速しながら)そのリズム音形をはっきり提示している。これは後者の方が断然いいと思う。またドラティ盤はイントロとリズム提示部を重ねず、間に一瞬の無音部をとっており、ロンドン響との旧盤も同じなので、これはドラティのこだわりなのだろう。このロンドン響盤は全編でキレのよい聴き応えある演奏を展開しているが、この部分が特にすごい。そしてすごいといえばシャイー盤の冒頭のホルンの音色。デッカのへボウ録音がフィリップスを超えた瞬間かもしれない

 続いて、冒頭のイントロ主題が木管のカノンで出る部分がA'(2:13)。このようなどちらかというと静の部分では、シャイー盤がもっとも精妙で美しい響きを聴かせる。

 急にリズムが変わる部分からがB1(2:56)で、トランペットによる新たな主題が登場する。ここでもベイヌム盤のペットは苦しそうだ。首席奏者が録音に欠席したのだろうか(この難曲が一日で録音されている)。ハイティンク盤、ドラティ盤、シャイー盤はいずれも、トランペットと他の楽器群とのバランスが絶妙で、このあたりはホールの響きのよさが出ているのかも知れない。他のオーケストラの録音では、トランペットが突出していたり逆に埋没していたり、なかなかうまくいかない例が多い。シカゴ響のトランペットは実に流麗、巧すぎて唖然とするが、コンセルトへボウのようなコクには乏しい。京都響はここでもパワーの不足が目立ってしまっている。またB1の最後で全合奏が連打される部分は固く威圧的な響きになりがちだが、ここでもコンセルトへボウ盤はホールの残響が効いて美しい響きを保っている。

 B2(3:59)ではその主題が弦によるフーガとなる。ベートーヴェンの第5交響曲第3楽章の中間部のような展開で、モノラルのベイヌム盤は不利だ。この主題は、B3(5:29)で木管に移るころにはかなり変化している。

 ティンパニの一撃(二撃?)で再びA(6:03)に戻り、木管の背後の不気味な伴奏が印象的なA'(7:40)を経て、Bの主題が金管で強奏され(8:31)、いよいよコーダに突入。ここから始まる、短いがめくるめくような展開のラストの高揚を、畳み掛けるように一気に駆け抜けるベイヌム盤。対照的にシャイー盤はB主題でテンポを落とし、その後加速するのだが、最後の最後でギョッとするほどのスロー・テンポをとる。なんとも印象的な幕切れだ。ハイティンクはベイヌム寄り、ドラティはシャイー寄り。つまり録音が後になるほどテンポの緩急が自在になっており、演奏時間も順に長くなっている。もちろんいずれも、改訂版のスタンダードなエンディングを使用。

 

■ 感想のまとめ

 

ベイヌム盤

 あまりもったいぶることなく颯爽としたテンポをキープする演奏だが、それがコンセルトへボウのよさを活かしているかどうかはやや疑問。録音も、SPということを考えると驚異的に鮮明ではあるものの、やはりこの曲でモノラルというのはつらい。

ハイティンク盤

 これもあまり演出がなく、スコアを丁寧に再現しようとしているようだが、やや固い部分があるのが残念。打楽器の録音はあまり素直でない。

ドラティ盤

 テンポをかなり動かしているが、それが響きの美しさを引き立てるための計算であると思わせるあたり、さすがに名盤といわれるだけのことはある。全体としてもっともバランスが取れているし、迫力もある。

シャイー盤

 響きの美しさを極限まで追及したような演奏。シャイーがコンセルトへボウにもたらした変化である「明るさ」と「瑞々しさ」が最大限に発揮されていてたいへん魅力的だ。その反面、ドラティ盤のような熱気やショルティ盤のようなパワーには乏しい。とはいうものの、聴く前は「やっぱりドラティ盤にはかなわなかった、という結果になるのではないか…」などと予想していたのだが、そのようなことはまったくなく、シャイーのよさを再認識した次第。

その他

 ドラティの旧盤はやたらとイキのよい演奏で、鮮明すぎる録音のためか他盤では目立たない音をいろいろと聴き取れることもあり、たまに聴くには面白い。ショルティ/シカゴ響は、これまたスタンダードと呼ばれるにふさわしい立派な内容だが、コンセルトへボウに比べると音響面の魅力の乏しさは否めない。ムント/京都響は…これだけ聴いている分には特に不満はないものの…今回は比較の相手が悪すぎた。京都響にとっては得意のレパートリーらしいので、一度実演で聴いてみたいところ。

混成楽団イン・ジュネーヴ

 もう一枚、珍盤を。1995年の国連50周年記念コンサートでこの曲が採りあげられていて、デッカからライヴ盤が出ている。指揮はショルティ、管弦楽はワールド・オーケストラ・フォー・ピース。これはこの演奏会のために14カ国45楽団から選ばれたメンバー79名で構成された臨時編成のオケで、コンセルトへボウ管からは6名が参加。そのうち3名はホルンで、残りの1名はあのシカゴ響のデイル・クレヴェンジャーという、涙モノのホルン・セクションだ。これがもしショルティによる人選だとしたら、と考えると面白い。

 

■ エンディングについて

 

 以下は演奏の比較には無関係だが、第5楽章のエンディングの「初稿版」について。ここまでまったく登場しなかったガッティ/ロイヤル・フィル盤に、その初稿版の最後の2分ほどがボーナス・トラックのようにして追加収録されている。同盤ライナーノーツの解説によると、

  • 初稿版の第5楽章は606小節だった
  • 初演を聴いたバルトークは602小節以後を書き直し、改訂版を作成した
  • これによって、全体は625小節となった

ということで、つまり初稿版はエンディングが短いことになる。実際にこれを聴いてみると、途中でむりやり終わらせたかのような欲求不満の残るものとなっており、正直言ってスカみたいなエンディングだ。ガッティ盤には改訂版が全曲収録されているので問題はないが、小澤征爾の新盤(フィリップス)は初稿版だけしか収録されていないという。初演とおなじボストン響を指揮しているからとはいえ、バルトークはその初演を聴いて改訂をしたわけなので、本人が不本意だった初稿版をいまさら取りあげて録音するというのはいかがなものか。

 またセル/クリーヴランド管盤では、エンディング近くの426小節から555小節にカットがあり、その直前の部分は編曲までされているらしい。本当だとすれば最悪だが、聴いていないのでノー・コメント。

 

(An die MusikクラシックCD試聴記)