大名曲「青少年のための管弦楽入門」を聴く
(文:青木さん)
ブリテン
青少年のための管弦楽入門 Op.34
〜パーセルの主題による変奏曲とフーガエドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1953年9月 コンセルトヘボウ、アムステルダム(mono)
デッカ(国内盤:ユニバーサル UCCD3527/輸入盤:440 063-2)ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1969年9月16-18日 コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤:日本フォノグラム PHCP10151/輸入盤:464 037-2)■ 楽曲のこと
この曲のタイトルは「青少年の〜」と訳されますが、原題の”The Young Person”は「純真な少年少女」のことなので「青年」は含まれない、といったことが三浦淳史氏の解説(ブリテン盤ライナーノート)に書かれていました。となると対象は少年少女、つまり子供ということになります。
〔子供向け〕。世間にそういう作品や商品は大きく二通りあって、「子供にゃどうせわかりゃしないんだからまあこの程度でいいだろ」と手を抜くケースと「最初に接するものだからこそ質の高いものを」と努力を惜しまぬケースですが、どうも前者ばかりが蔓延する昨今の世の中…みたいな。でもこの曲は圧倒的に後者ですね。にもかかわらずビギナー専用の二流曲扱いする風潮もいまだあるようで、残念なことです。
もともとは英国政府から依頼を受けたブリテンが、教育映画”Instruments of the Orchestra”(1946)のために作った音楽とのこと。当時ブリテンはヘンリー・パーセル作品のアレンジメントにハマっていたので、このときもパーセルの劇音楽『アブデラザール』に出てくるメロディを「主題」とし、それを変奏させることでオーケストラの各楽器をフューチュアしていこうとしたわけですね。
一方の「フーガ」は自作。この二つが重なるフィナーレはまさに大円団という感じで、聴いていてグッとくるんですが、これを〔敬愛するパーセルと一体になろうとしたブリテンの執念〕ととらえると、ちょっと不気味な気も。純真な子供向けの作品の裏にこっそり仕掛けられた毒のように思えてならないのは、ま、考えすぎなのでしょう。
そんなことより、その映画というのを観てみたいもの。当時のスチール写真がラトル盤のジャケットに使われています。ロンドン交響楽団の面々だそうで、このオーケストラはそんなに昔から映画音楽の仕事をしていたわけですねぇ。
■ 解説のこと
この曲をあまり評価しない方々の中には、「いまさら〔青少年〕でも〔入門〕でもなかろう」というベテラン中高年もいらっしゃることでしょう。そこは副題の「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」という側面に着目していただき、やたらとソロが多い点は一種の「管弦楽のための協奏曲」だとお考えになればよいわけで。また、解説ナレーションをいちいち聞かされるのは耳ざわりでかなわんという声もあり、それはたしかにごもっとも。しかしこの曲のCDは、「ピーターと狼」とちがってナレーション省略版のほうが多いので、そういうのを選べばすむ話です。
その解説に関連して、「ピーターと狼」とのちがいがもう一つ。ナレーションを入れるのか入れないのかでスコア(というか演奏)がはっきり変わってくることです。解説を入れる場合、その語りに必要な時間を確保するために、各変奏の間などで音が引き伸ばされたりつなぎのフレーズが繰り返されたりするわけですね。そういうバージョンの演奏部分だけを聴くと、最初から解説を入れない演奏――仮に「演奏会版」とします――を聴きなれた耳にはかなりの違和感、冗長感が。でもむしろこれが本来の演奏であって、ナレーションを入れない演奏会版の場合にはそれらの経過句を「カット」している、ということなのかもしれません。ですので、そういう演奏会版による録音に後からナレーションをダビングすることは、たぶん無理だと思われます。
で、その語りの内容といえば、まぁ正直なところ他愛ないもの。特徴が少し解説される楽器もありますが、だいたいは楽器の名称と実際のサウンドとを一致させることが主眼です。映画の場合は画面に字幕を出せば済む話で、CDやSACDでもテキスト機能で代用できそうな程度。実は、変奏ごとにリズム形式も次々に変わっていくのがこの曲の魅力のひとつなのですが、解説がその点に及ぶことはありません。
■ コンセルトヘボウ盤の新旧聴きくらべ
例によって前置きが長くなりました。コンセルトヘボウ管の音盤はベイヌムとハイティンクによるもので、いずれも解説なしの演奏会版です。新旧と書いたものの新のほうでも約40年前、旧に至ってはモノラルのヒストリカル・レコーディング。もうちょっと新しい録音はないものか。とはいえ、この二種類があればヘボウ・ファンはおおむね満足できるでしょう。どちらも一長一短があって、たがいに補いあっている、という意味なのですが。
● 総論
演奏内容はベイヌム盤のほうがすぐれていると思います。ちょっと意外な遅めのテンポとていねいな表現で凛々しい風格を感じさせるところが、まずすばらしい。けっしてカッコよく流麗に進行するわけではないのですが、そのぶん雄弁で説得力があるのです。一方のハイティンク盤は、悪い演奏ではないものの全体に未熟な感じで深みが乏しく、あっさり無難にまとめてみましたという印象。こういう短めの曲を、格調を保ちつつしっかりと聴かせる構成力と演出力はベイヌム先生のほうがはるかに上手、ということでしょう。各楽器の名技や美音もベイヌム盤>ハイティンク盤で、それはオーケストラの状態に加えて録音傾向のちがいも関係しています。
● 演奏
個々の楽器に耳を澄ませると、ちがいが顕著なのは打楽器、特にティンパニ。ベイヌム盤ではオンマイクで鮮明に収録されているだけでなく、適度な残響を伴ってなんともよい音で響きます。その点ハイティンク盤のティンパニは残響過多で鋭さに欠けますが、ヴォリュームを上げるとグッと迫力がアップ。あと、ベイヌム盤の木管群はまったくもって最高というほかありません。絶妙な節回しと音彩の濃い音色。各楽器の個性がこれでもかとアピールされているかのようです。一方で弦楽の厚みや暖かさはハイティンク盤のほうが魅力的。
そして最後のフーガの盛り上がりですが、最後までじっくり落ち着いたテンポで堂々たる風格を保つベイヌム、対するハイティンクはフレージングに迷いが感じられるといいますか、なんとなく不安定な雰囲気で終わるので、上記のような感想になってしまうのでした。
● 録音
かなり対照的なサウンドですねぇ。トータル的な音場感を創ろうとするフィリップスとディテールの明晰さを重視するデッカ、とまとめてしまうと乱暴すぎますけど、モノラルという事情もあってか、ベイヌム盤のサウンドはかなり作為的に聴こえます。ソロをとる楽器にスポットライトがくっきりと当たるがごとく急に音がクローズアップされ、この曲固有の特性を加味してもなお不自然さをぬぐいきれないものです。ふつうならば。しかし演奏しているのは並みのオーケストラではありません。音色も技術もおそらく最高の水準にあった、黄金時代のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団! その圧倒的な魅力を最大限に引き出し盛り立てている録音なのですからこれでOK。この音響設計そのものが芸術とさえいえるでしょう。
これにくらべるとハイティンク盤はずっと自然なサウンドですが、さてそもそも〔自然〕とはなんでしょうか。録音されたものを自宅の装置で再生してもコンセルトヘボウ大ホールの音響はぜったいに再現できないのですから、結局はある意図で人工的に創られた再生音にすぎず、実はその意味でベイヌム盤と大差ないことになります。とはいえ70年代直前のフィリップスのステレオ録音は、これはこれで別の音響芸術を完成しつつあり、〔自然らしさ〕を楽しむには十分な水準。こういったことは、なにを重視するのかによって評価が変わってくるので、単純に「優秀録音」とか「音が悪い」と言ってしまうといろいろ誤解が生まれるものです。
● 音盤
ベイヌム盤は、同じブリテンの「ピーター・グライムズ」からの曲(4つの海の間奏曲とパッサカリア)と組み合わされた輸入盤LPも持ってまして、組み合わせとしてはオリジナルの形態なんでしょうが、擬似ステレオ化された再発盤でまぁひどい音質。話になりません。CDのほうはちゃんとモノラルのままで、4つの海の間奏曲とともに「春の交響曲」の余白に収録。国内盤が2006年の「20世紀の巨匠」シリーズで出ましたので、かつて呈した苦言は撤回いたします。
ハイティンク盤の録音データは「ピーターと狼」と同日なので、そのカプリングがオリジナルLPの形態と思われます。LP末期のグロリア・シリーズ(「フォンタナ」レーベル)ではもう別々にされていて、この曲は別の演奏者による「動物の謝肉祭」とくっつけられましたが、CDでも国内盤はそれと同じようなカプリングでした。輸入盤CDはDUOシリーズの”Great Orchestral Showpieces,Vol.2”に入っており、ハイティンクとロンドン・フィルの「惑星」、デイヴィス指揮ロンドン響によるティペットのオケコンやエルガーの「エニグマ」などの英国物が集められています。
それにしても、これら両録音のよさが融合したディスクがもしあれば…たとえば1977年のマリナー指揮のコンセルトヘボウ・セッションで、ホルストとエルガーのほかに当曲を含む「ブリテン集」が録音されていたとしたら…そのすばらしさを想像するだけで思わずうっとりしてしまうのですが、なんかみみっちい妄想ですねどうも。
■ 米国のオーケストラ
● シカゴ
気をとり直して他のオーケストラのCDも聴いていきます。まずはシカゴ響。録音はたった一つしかなく、その稀少価値ははかり知れず。しかもちゃんとシカゴ響らしさを引き出していて、これはセイジ・オザワの大偉業というべきでしょう。とにかく金管群(特にトロンボーン)の朗々たる大音量を聴けば、「やってるやってる」と自然に笑みがこぼれるほど。重量感に乏しいRCAの平板な録音はリビングステレオ時代からむしろ後退しているようで、その点は残念。というわけで奮発して買ったXRCD盤は、かなりメリハリの利いた密実な音響となっていました。なおこれは解説抜きの演奏ですが、ボストン響との再録音ではオザワ自らがナレーターを務めています。
● ボストン
でもそのCDは未聴でして、手持ちのボストン響盤はアーサー・フィードラーが指揮したボストン・ポップス管のもの。ボストン響から首席奏者が抜けるとこのオーケストラになる、となにかで読んだ覚えがあるのですが、この曲の場合もそんなメンバーで録音したのでしょうか。”Classics for Children”というアルバム原題、絵本のようなジャケット、「動物の謝肉祭」とのカプリング…こういうコンセプトにピタリと沿った、軽めの演奏というほかありません。ここでのナレーター氏は名アナウンサーとのことで、その端正な語り口には好感が持てます。
● フィラデルフィア
フィラデルフィア管といえばオーマンディ。旧録音の廉価LP(CBSソニー〔オーマンディ「音」の響宴1300〕シリーズ)はワタシの刷り込み盤でした。RCAの新録音のほうはデヴィッド・ボウイのジャケットが印象的でしたが、ボウイがナレーターを務めていたのはLPカプリング曲「ピーターと狼」だけで、ブリテンについては旧録音と同じく演奏のみの版。〔オーマンディ&フィラデルフィアの芸術〕シリーズのCDではコープランド集にフィル・アップされていました。新旧いずれも恰幅のよいグラマラスな演奏で、金管楽器の輝かしい響きのせいで華麗な印象もありますが、よく聴くとオーマンディがアピールしたかったのは弦楽器群ですね。彼曰く「フィラデルフィア・サウンドなんてない、あるとすればオーマンディ・サウンドだ」。そのオーマンディ・サウンドとはつまりたっぷりとした響きのストリングスを基調にした音づくりだということが、全楽器が活躍するこのような曲だからこそよくわかります。
■ 英国のオーケストラ
● LSO
国民的大作曲家の代表曲ともなれば、英国オケの録音が多いのは当然ですが、その代表盤は作曲者本人がロンドン響を指揮した自作自演盤とされております。実際にいろいろ聴きくらべた後でこれに戻ると、やはり「むむぅ・・・」と唸ってしまう。変わったことはなにもしていないのに強い説得力のようなものが感じられ、深く満足できるのです。初演者ロンドン響のほれぼれする巧さ、また録音も上等で、まさに「決定盤」というほかありません。解説が入っていないことは別として、引っかかる点が一つだけありますけど。
● CBSO
それに気づかせてくれたもう一つの重要盤が、ラトル指揮バーミンガム市響。ポイントはヴァイオリンの対向配置です。各楽器が次々とフューチュアされる変奏部において、ヴァイオリンは第一と第二が同時に出てくるのですが、楽器は同じでも別々のパートであるということをはっきり示すには対向配置にすべきなのです。今回聴きくらべた中でそれを実践しているのはこのラトル盤だけでした。同形のフレーズが掛けあいになる部分などじつに効果的に作曲されているにもかかわらず、自作自演盤が通常配置なのは解せませんねぇ。
● RPO
ドラティ指揮ロイヤル・フィルはナレーション入り。その担当はなんとショーン・コネリーで、ジャケットにもドラティと並んでご登場、初出の国内盤にはわざわざ”007”のレコード番号がつけられたそうです。へんな演出臭のない魅力的な語り口、さすが名優と思わせます。なぜかチューニングの場面から始まる演奏のほうもメリハリのきいたドラティらしいストレートなもので、フェイズ4方式の細部拡大的な録音もたいそう効果的。オーケストラの技量はロンドン響ほど目ざましくは感じられませんが。
同じロイヤル・フィルでも、プレヴィンの新盤はもっと穏健な演奏で、意外なことに録音も冴えません。テラークのワンポイント(に近い)方式の録音は、この曲には不向きなようです。プレヴィンの場合はオザワと逆に、この新録音が解説なしの演奏会版で旧録音(ロンドン響)が自らの解説入りでした。
● その他
これもLSOを指揮したベッドフォード(コリンズ)はおとなしめの演奏、ヒコックス指揮ボーンマス管(シャンドス)はキビキビとした進行でメリハリをつけたダイナミックな演奏。当然のことながら、同じ英国のオケが演奏してもタイプはいろいろです。
■ 欧州のオーケストラ
●独
本国とはうってかわってヨーロッパ大陸でブリテンはよほど不人気らしく、彼の作品の商業録音は数えるほどしかありません。特にこの曲に関しては、ベルリン・フィルやウィーン・フィルさえ公式録音を残していないという有様。シュターツカペレ・ドレスデンやチェコ・フィルといった当サイトでおなじみのオーケストラも同様で、この惨状こそ「当曲=凡作」主義者の方々の拠りどころとなっているのでは?
バイエルン放送響(マリス・ヤンソンス指揮)のソニー盤は、新しい録音ということも含めて貴重な存在といえそうです。手堅さと熱っぽさが両立している演奏も、なかなかの出来ばえ。サウンド面の魅力が乏しいのは、オーケストラの個性なのかライヴ録音のせいなのか。
● 仏1
パリ管弦楽団のEMI盤はマルケヴィチの指揮で、これは解説が入る版。何度か出ていた国内盤はLP時代から栗原小巻さんのナレーション入りでした。手持ちの輸入盤CDではPeter Ustinovsという人がフランス語でしゃべっています。なかなか耳に心地よく、英語のようにじゃまにならず音楽に集中できるのですが、それは単にワタシが理解できないからだけでなく、仏語の響きのせいもあるのかも。録音に加えて演奏も意外と平凡ですが、打楽器のパートに来ると急にテンポが速くなってハッとさせられるあたり、いかにもマルケヴィチらしいこだわりのようで、なんとなくうれしくなりました。彼は他にもこの曲の録音を残しているそうです。
● 仏2
フランス国立放送管を指揮したマゼールのDG録音を、最後にご紹介。LP時代には小山田宗徳氏の日本語ナレーション入りでした。手持ちのCDは二種類で、ひとつは演奏だけのヴァージョンですが、本来は解説が入るべき版なので前述のとおりあちこち間のびして聴こえます。いろんな組み合わせで何度も出ている国内盤CDは、いずれもこのナレーション省略ヴァージョンだったようです。もうひとつは輸入盤のマゼール・ボックスに収録されているナレーション入りのもので、その語りはロリン・マゼールご本人。これがオリジナルの形態なのでしょうか、なかなか珍しいものです。しかも、オーケストラのチューニングに続いてはマゼールの自己紹介、さらにパーセルの原曲をバロック風に弾かせたり変奏の一部を担当楽器に少しだけ演奏させて「トレビアン!」などと叫んだり、もうなんだかやりたい放題。そんなことに3分を費やしたあと、ようやく本編が始まっても、ナレーションの内容は本来の台本とはかなりちがっています。こんなのとは知らなかったので、最初に聴いたときは驚きました。演奏そのものもなかなか意欲的なもので、少しつんのめり気味の箇所もあったりするほど。さすがは鬼才と呼ばれた男、といったところでしょうか。〔初期のベルリン・フィル録音集〕と題された8枚組にわざわざ収録したくなった制作者の気持ちもわかります。このマゼールしゃべくり版、対訳つきの国内盤が出ればそこそこ評判になりそうなんですけど。
(2008年2月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)
追記:ケーゲルとシュターツカペレ・ドレスデンの衝撃的録音
上記の原稿をアップしていただいて間もなく、下記のCDの発売がアナウンスされました。「カペレの公式録音などございません」と書いた直後というタイミングの悪さでしたが、でも悪いのはよく調べなかったワタシですね。まぁたしかに世界初CD化・国内初発売でオビに「ケーゲルにこんな録音があった」とわざわざ書かれるほどのレア盤ではあるのですけど。などと言い訳しながら発売を待ち、入手して一聴、驚愕。
ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・シュターツカペレ
録音:1971年6月22-24日 ルカ教会、ドレスデン
DENON (オイロディスク Ariola-Eurodisc GmbH)(国内盤:コロムビアミュージックエンタテインメント COCQ84443)まず驚いたのは先に収録されているプロコフィエフ『ピーターと狼』――おおっ!なんという美音! コクがあって味わいあふれる豊かなサウンドに、もう涙が出るほどの感動です。ここに至ってブリテンへの期待は爆発寸前。しかし、それはまったく意外な形で裏切られることに・・・。といっても管弦(+打)楽が奏でる音色それ自体の魅力は、編成が異なるせいか「ピーター〜」には半歩譲るものの、すばらしいものであることに変わりはありません。同一の録音セッションなのでこれは当然。問題は指揮者ケーゲルの音楽づくりなのでした。
ヘルベルト・ケーゲルといえば、一部の評論家連から神格化に近い持ち上げられ方をされていることはご存知のとおり。しかし実際に試してみると、絶賛されていたビゼーやベルクやアルビノーニなどに「美と狂気の世界」だの「人間のむなしさや存在の悲しみ」だの「血も涙もない非情さ」だのはさほど感じず、かっちり丁寧ではあるけどおもしろみのない乏しい醒めた演奏としか思えなかったものでした。しかしこのブリテンを聴いて初めて、彼らがことあるごとに力説していたケーゲルの凄さがようやくはっきり理解できたのです。
いろいろ書きたいことはありますが、楽曲を残酷なまでにクールにつき放し距離を置いたかのようなこの演奏、最大の問題は『青少年のための管弦楽入門』がちっとも名曲に聴こえないという点でしょう。なんとも表層的で白々しく、緻密な構成や深み奥行きに乏しい、一言でいえば「空疎な作品」という側面が異様に強調されています。危険演奏です。これでは当時国内盤の発売が見送られたのも当然と思えるほど。この感想文でもタイトルに「大名曲」とブチ上げた手前、困った存在のCDとさえいえるのですが、しかしカペレの美点のある一面を最大限に引き出した演奏・録音でもありますので、その意味では大推薦盤ということになってしまい、正直もうどうすればいいんだか。
とにかく、たった1260円です。ぜひお買い求めください。聴いた上でニヤニヤするか悩んでしまうかは人それぞれでしょうけど、けっして退屈はしませんよ。
- ドイツ語のナレーションが入った版で、ブックレットには訳文だけ掲載されています
- トラック割りは「テーマ/木管楽器/弦楽器/ハープ/金管楽器/打楽器/フーガ」という、ちょっとかわったもの
- 「オイロディスク・ヴィンテージ・コレクション」シリーズで出たCDですが、原盤のレーベルについては表記がよくわかりませんでした
(2008年4月30日、An die MusikクラシックCD試聴記)