ヘボウ聴き比べシリーズ
ドヴォルザークの交響曲第8番を聴く(文:青木さん)
ドヴォルザーク
交響曲第8番 ト長調 作品88この「コンセルトヘボウの名録音」シリーズ、登場する指揮者にちょっとばかり偏りがあったようでして、デイヴィスやジュリーニやアーノンクールやバーンスタインはいったいどうなっておるのか?というご意見を頂戴してしまいました。まことにごもっとも。このうち最初の三人に共通しているのは、コンセルトヘボウ管を指揮してドヴォルザークの後期三大交響曲を録音していることです。つまり「新世界より」の聴き比べをすればとりあえず彼らに一気にご登場願えるわけで、たいへん好都合(手抜き?)。9番にはドラティやシャイーの録音もありますし。
しかし9番よりは8番の方がよいのでは…というご意見もいただきました。そちらの方にもセルやハイティンクらの録音があります。私自身も9番より好きでして、たしか伊東さんの奥様もお好みの曲だったはず。よし、第8番(旧第4番、旧名:イギリス)の聴き比べだ!
と方針が決まったのはいいのですが、やってみるとこれが結構たいへんでした。オケコンと違って、こういう細部にこだわる聴きかたにはあまり向いていない曲だったのかも知れません。
■ 各ディスクのプロフィール
(1)ジョージ・セル指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1951年9月、デッカ
(国内盤:ポリドール POCL3907)〔10:02/9:48/6:13/8:57〕
モノラル録音。前日に録音されたブラームス3番との組み合わせでCD化されている。セルとコンセルトヘボウのデッカ録音は珍しい。なお今回の比較には輸入盤CDを使用。
(2)ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1963年6月、フィリップス
(輸入盤:PHILIPS 462 077-2)〔9:45/10:01/6:11/9:18〕
ハイティンクの初期の録音で、オランダ盤"DUTCH MASTERS"シリーズでCD化されている。その二枚組CDには同年録音の第7番も収録されているが、第9番は1959年にドラティがコンセルトヘボウとフィリップスに録音していたためか、ハイティンクは録音しなかった模様。
(3)カレル・アンチェル指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1970年1月(LIVE)
(輸入盤:TAHRA TAH124-125)〔9:37/9:37/6:15/9:30〕
NPS RADIOによる放送用ライヴ録音(拍手入り)で、全曲コンセルトヘボウ管による二枚組CD"KAREL ANCERL EDITION VOLUME 2"に収録。同じく二枚組の"GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY"のアンチェル篇に収録されているものも、これと同一音源らしい(左写真は"GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY"盤)。
(4)コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1978年11月、フィリップス
(国内盤:日本フォノグラム 25CD-5070)〔9:40/11:07/6:33/9:42〕
アナログ録音末期の名盤。ストラヴィンスキーの三大バレエと同時期に録音されたドヴォルザーク後期三大交響曲の完結篇。なお今回の比較には輸入盤CDを使用。
(5)カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1990年12月、ソニー・クラシカル
(国内盤:ソニー SRCR8593)〔11:16/11:38/7:16/11:33〕
「ジュリーニとコンセルトヘボウの初録音」という記述を見かけるが、「マ・メール・ロア」(本盤にフィルアップ)と「火の鳥」の方が先に録音されている。三大交響曲の第一弾として録音された。ちなみにシカゴ響との旧録音(1978、グラモフォン)の演奏時間は10:48/11:25/6:48/10:38。
(6)ニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1998年12月(LIVE)、テルデック
(国内盤:ワーナー WPCS-10250)〔10:47/10:02/6:09/9:31〕
三大交響曲の第二弾として録音された。ライヴだが拍手は入っていない。アンチェル盤のような純正ライヴとは異なり、おそらくは複数テイクのライヴ音源やリハーサル音源等を素材として編集された、スタジオ録音の代用品とでも言うべきもの。フィルアップは交響詩「真昼の魔女」。
(7)参考盤:ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1974年5月、ドイツシャルプラッテン
(国内盤:徳間 TKCC-70433)〔9:45/10:58/6:34/10:10〕
伊東さんのレビューでもおなじみの名盤。初出LPはブロムシュテットの国内デビュー盤だったらしい。カペレ450周年記念のCDセット(輸入盤)にもセレクトされていた。
〔以下、タイミングはデイヴィス盤のもの〕 ■ 第1楽章 〔形 式〕 ソナタ形式ではあるものの、展開部が省略された自由な形式となっている。各種の解説類を元にその構成を整理しておくと、まず冒頭のゆったりした旋律は序奏風だがこれが第一主題であり、長調に転じてフルートが奏でる旋律(0:43)はその第一主題の後半部分ということになるらしい。これに続いても魅力的な旋律が次々と出てくるが、第二主題は意外にもフルートとクラリネットが短調で吹いてすぐに弦が長調で引き継ぐメロディ(3:01)とのこと。そして大きく盛り上がって冒頭の第一主題に戻る(3:53、デイヴィス盤ではここで編集の跡がかすかに聴き取れてしまう)。ここからは変幻自在に展開していくので展開部かと思いきや、なぜかそうではないらしい。第二主題がどこに出てきたかよくわからぬまま、またまた第一主題が今度は金管主体で登場し(6:44)、再現部に入る。第二主題も無事に再現され(8:23)、そのまま盛り上がって畳み掛けるように終了。
ところが、ブロムシュテット盤の国内盤ライナーノートにはこれとは違うことが書いてあるから驚きだ。冒頭のチェロ主体の旋律はやはり「序奏」で、第一主題は「フルートの旋律から開始される三つの部分」とされているし、中間部は「展開部」だと明記されている。さらに別のCDの解説では「四つの部分からなるラプソディと見る人もある」とまで書かれていた。
このように異なる解釈が成り立つこと自体がこの楽章の形式上の特色で、そのフリーな構成感がメロディアスな曲想によくマッチしている。あまり形式にこだわって聴いても仕方ない、というのが結論のようだ。
〔比 較〕 さて本稿は楽曲解説ではなくCDの聴き比べなので早く本題に入らねばならないが、コンセルトヘボウの各録音はいずれも魅力的であり、オーケストラ演奏の比較という観点からは、それらに優劣などはない。木管の鄙びた雰囲気、響きに厚みをもたらす渋い金管。弦は大きく暖かく歌い、ティンパニが要所で印象的なアクセントを打ち込む。コンセルトヘボウ管弦楽団の個性は、俗に言う「民族性」「本場物」とは別の意味で、この曲の独特の魅力にぴったりマッチしている。
とはいうものの、そのサウンドにはかなり差がある。トランペットやティンパニ等の音がかなり異なっているのはレコード会社や録音スタッフの相違によるものだとしても、楽器間の音量や溶け合いのバランス上の相違は、やはり指揮者の解釈の差なのだろう。アーノンクール盤のライナーノートに書かれているように、金管と木管の音量調整が特にポイントとなるようだ。響きの溶け合いが理想的なのはデイヴィス盤とハイティンク盤で、さすがはフィリップス…という予定調和的な結果はつまらないが、ハイティンク盤のトランペットは黒光りしているかのような渋く鈍い光沢が実に魅力的で、デイヴィス盤とは違った質感がなかなかいい。
これらに対してアーノンクール盤の音は分離重視で、その良し悪しは好みが分かれるところだと思う。セル盤はモノラル、アンチェル盤はライヴなので単純な比較はできないとはいえ、どちらも結果は悪くない。前者の音は鮮明で質感もあるし、後者のやや不自然なバランス感も、ライヴならではの勢いや高揚という魅力の前ではあまり気にならない。またバランスといえば、ハイティンク盤の録音は楽器配置が右と左の両端に偏り気味で、ステレオ初期に特有の「拡がり強調型」の音響設計。また、ティンパニの音はデイヴィス盤が最高だ。
テンポ的には、ジュリーニ盤とアーノンクール盤の遅さが目立つ。しかし遅さの質は異なっており、ジュリーニはそのテンポを基軸に据えて、曲をじっくりと進行させている。これは緻密な表現を追求するためのようだが、ホールトーンが効果的に活かされるという結果にもなっている。
一方のアーノンクールは、全体に遅いのではなくてテンポをかなり揺らせており、曲を分節化した上でそれぞれの部分の意味付けに応じたテンポを設定しているかのようだ。テンポだけでなく、木管や弦の音の切り方やつなげ方といったニュアンスがかなりユニークな部分が多々あり、明らかになにかの解釈を説明しようとしている。それを理解する能力が当方にないのが我ながら情けないが、アーノンクール自身がこの楽章を「ブラームスとはまったく異なる独自のソナタ形式」と分析していることと、大いに関連があると思われる。やはり形式の理解をおろそかにしてはいけないのだった。
■ 第2楽章
こんな調子で比較をしていると読まれる方も疲れるだろうから先を急ぐと、まず形式的には自由な三部形式。とはいえ、第二部は低弦の刻みに乗って木管やヴァイオリン・ソロが出てくる部分から(3:10〜)だと判別できるものの、第三部はどこから始まるのかよくわからない。しかしその茫漠漫然たる構成が、この楽章に横溢する田舎風、田園的なムードにぴったり合致していて実に魅力的、そして結果的に聴きどころの多彩さにもつながっていると思う。それらを細かく比較していこう。
1)冒頭に弦で現れる、のどかで少し寂しげな旋律(0:00)
- アーノンクール盤:後の部分との対比を狙ってか、そっけない表情で始まる
- ブロムシュテット盤:弦の質感がヘボウとは異なるが、暖かさは共通している
2)フルートとオーボエが奏でる、鳥の囀りのような旋律(0:47)
- ジュリーニ盤:ヘボウの木管の魅力が最も伝わってくる
- アーノンクール盤:フルートが鋭いアクセントで強調され、この演奏の白眉
3)ティンパニの轟きに導かれて冒頭の旋律が管に大きく現れ、弦と対話(2:11)
- ハイティンク盤:弦のフレーズがなにやら決然とした印象で、独特
- ジュリーニ盤:管がかなり控えめで、異色のバランス
4)第二部の開始(低弦の刻みに乗って木管やヴァイオリン・ソロが出てくる;3:10)
- セル盤:木管のコクのある音彩が濃く、素晴らしい
- ハイティンク盤:艶っぽいヴァイオリン・ソロのバックで木管が雄弁に歌う
- ブロムシュテット盤:リズムを刻むホルンが、なんともいえずよい音色
5)大きく盛り上がる部分(4:21)
- デイヴィス盤:他と異なりトランペットが右に配置されているのが効果的
- ジュリーニ盤:スケール大きく深みのある響きがすごい
- アーノンクール盤:低弦のアクセントが変わっていて、不思議な感じ
6)テンポも音量も落ち、再び鳥の囀り(5:19)
- アンチェル盤:あまり間合いを取らずに進行するので、やや慌しい
- アーノンクール盤:ここでまたフルートが個性的なフレージングを聴かせる
7)ホルンが冒頭の旋律を奏で、緊迫した雰囲気に(6:59)
- セル盤:この部分を速いテンポで駆け抜け、ユニーク
- デイヴィス盤:不穏なムードを強調するティンパニのリズムが素晴らしい
- ジュリーニ盤:セルほどではないが、ここでテンポを少し速めている
- ブロムシュテット盤:ホルンの存在感がただごとではない
8)第二部の旋律が戻り、再び明るい雰囲気に(8:38)
- アンチェル盤:かなりテンポが速く、盛り上がりへ向けて加速するかのよう
- アーノンクール盤:弦のリズム感が抑えられていて、異色
9)冒頭の旋律に続いてティンパニが轟き、最後の盛り上がりを築いたのち、消え入るように終了(10:00前後)
- アンチェル盤:金管がちょっと音を外しており、その盛り上がりに水を差す
- ジュリーニ盤:堂々たるフィナーレだが、のどかな雰囲気には乏しい
■ 第3楽章
どうも第2楽章は比較がコマ切れになりすぎたようで、結局わけがわからなくなってしまった。シンプルな三部形式の第3楽章はストレートな旋律美がポイントであり、細部にこだわって聴くような音楽ではないと思われる。
ところが、演奏面で細部にこだわりすぎているようなのがハイティンク。ここにきて未熟さが露呈されたものか、旋律美を際立たせるような大きな流れをつくりきれていないことが、こうして聴き比べるとよくわかる。ティンパニといっしょに合いの手を入れるトランペットも、第1楽章での活躍が嘘のように目立たない。これに対してジュリーニはさすがに老練というべきか、相変わらずのスローテンポを、ここでは旋律をたっぷりと歌わせることに活かしており、見事だ。中間部もゆったりしているが弛緩するようなことはない。実に個性的で印象的な演奏となっている。
セル盤は楽器の響きがなんとも艶やかで美しく、やはりコンセルトヘボウ管の全盛はベイヌム時代だったのか…と感じさせる。デッカの録音技術もモノラル期におけるピークにすでに到達したようで、みずみずしい音質が素晴らしい。放送用実況録音のアンチェル盤はその点やや不利で、ライヴならではの躍動感を期待させる中間部もレガート多用気味で流しているなど、演奏面でもいまひとつという印象。
さてアーノンクールはというと、やはり独特の歌いまわしが随所に聴かれ、さすがにこの楽章ではそれが成功しているとは思えない。そしてその耳直し?に聴いたせいもあって、ブロムシュテットの素晴らしさには瞠目させられた。作為の感じられない自然なフレージングはデイヴィス盤と双璧、滑らかさと腰の強さが並存するオーケストラの典雅なサウンドはセル盤とは別の意味で最高で、ヘボウ各盤に勝るとも劣らぬ出来栄え。
■ 第4楽章
そのままブロムシュテット盤を聴く。冒頭のトランペットが終わったところで、突然乱入したジュリーニ&シカゴ響盤にチェンジ、あまりの違いに驚く。ひたすら輝かしく朗々と鳴りまくっているシカゴに対してカペレは加工前の原石の輝きのような質実さ。この両極端を先に聴いてしまうと、ヘボウに対するコメントができなくなってしまった。
話題を逸らせて形式を確認しておくと、この最終楽章は変奏曲だ。その主題はトランペットの序奏の次に出るチェロの旋律。アーノンクール盤の解説によるとドヴォルザークはこの主題を7回も書き直したというが、よく聴くとこの主題そのものが第1楽章第一主題の後半部分の変奏になっている。以下、どの部分からが第何変奏かといったことはあまり重要でなさそうなので割愛。大きく捉えると緩−急−緩−急という構成になる。
演奏は、その緩の部分でどのような表現をとるかによって二分できる。ここをゆったり進めて急の部分との対比をはっきりさせるタイプと、緩とはいってもメリハリを持たせてキビキビと運ぶタイプの二通りだが、セル盤とハイティンク盤とが後者だ。その結果、変奏曲としてはやや一本調子になったのがハイティンク。しかしセルのように全体を速いテンポで通せばまた違った説得力を感じさせるから面白い。アンチェルは急から緩へ移行する経過句の部分でグッとテンポを落とすという、ユニークなメリハリの付け方をしている。
前者のうちアーノンクールは細部がいろいろと気になるものの、全体としては意外と平凡。逆に恐ろしく非凡なのがジュリーニで、全体に驚くほどテンポが遅く、急の部分でさえゆっくりめのテンポが設定されている。しかしここでも流れが緩むことなく緊張感に貫かれているのがすごい。なんというか、別の境地にイッてしまっているかのような演奏だ。
デイヴィスは中間的で、いちばん作為を感じさせない自然な構成になっていると思う。急の部分では、金管と弦とのバランスも素晴らしい。
■ 感想のまとめ
デイヴィス盤:<大推薦>
テンポ、ダイナミズム、フレージングなどすべてが妥当かつ中庸的なこの演奏は、ある意味で個性に乏しいのかもしれないが、この曲の理想を体現しているとも言える。また全体を通じて、骨っぽいというか男らしいというか、キリリとした風格が感じられるのがいい。オーケストラも絶好調という感じで、メロウで質感のある木管をはじめ、各楽器の音色の美しさも最高。
そしてアナログ末期のフィリップス録音が究極ともいうべき完成度であり、オーケストラとホールの魅力を最大限に捉えている。各楽器はきれいにブレンドされていながら、必要な部分ではくっきり分離されるという、魔法のような見事さだ。目の詰んだ響きの弦を右端から左端までいっぱいに拡げ、ホルンを中央にしてトランペットとトロンボーンが右、ティンパニが左という楽器配置も冴えており、クライマックスの部分で特に大きな効果を上げている。
スタンダード的名盤として誰にでも薦められる。セル盤:<推薦>
弦や木管の芳醇な音色と、デイヴィス盤以上に格調高いすっきりしたフォルムは、モノラル録音のハンディを超えてたいへん魅力的。というより、ステレオではないというだけであり、驚異的に素晴らしい録音だ。晩年のクリーヴランド管との録音は超名盤とされているが、さもありなんと思わせる。ただ、この曲の魅力の一つである素朴な田園ムードはやや乏しい。
なおデッカの古い録音のCDは、国内盤より輸入盤の方がずっと音質がよい(少なくともコンセルトヘボウにふさわしいリマスタリングがなされている)ケースをベイヌムのいくつかの録音で経験しているので、今回未聴の国内盤に関しては評価保留。
ジュリーニ盤:<推薦>
録音は最高とは言えず、オーケストラのマッシヴな量感はあるものの、かなり音量を上げて聴かないと各楽器がクリアに定位しにくい。しかし演奏は非常にユニークではあるが充実していて、聴いてみる価値は大きいと思う。その独特さのベクトルが、オーケストラとホールに備わった個性と同じ方向性であると感じさせる点も高ポイント。テンションが高めである分、セル盤とは別の意味で牧歌的雰囲気は薄い。
その他
アーノンクール盤もかなりユニークだが、ジュリーニ盤のようにヘボウの個性を活かしているとは言い切れないあたりがちょっと弱い。また、なぜそのような表現をとるのか、正直言ってその意図がわからない部分もある。録音も平凡で、オケやホールのいい素材を活かしきれていないという印象。
ハイティンク盤は、若々しい勢いがあって興味深い反面、後年のどっしりした安定感がまだ感じられない。荒々しさが粗っぽさにもつながっていて、何度も聴きたくなる演奏ではないかも。音の質感はよいけれど、ステレオ・プレゼンスの設定にやや難がある。
アンチェル盤は実演特有の熱気があり、それはそれで魅力的ではあるとはいえ、より完成度の高いスタジオ録音とこうして聴き比べてみるとやはり不満も残ってしまう。
そして、比較の参考として聴いたブロムシュテット盤だが、コンセルトヘボウと比べても不満を感じるどころか、シュターツカペレ・ドレスデンというオーケストラの類いまれな美点を再確認する結果となった。格調ある演奏もデイヴィス盤なみのできばえだが、さすがに音響設計は全盛期のフィリップスには及ばないようだ。
という調子で聴き比べてみたわけですが、比較のポイントがオーケストラのサウンドだったり演奏そのものだったり、あるいは録音状態だったりと一貫しておらず、論旨がボケ気味になっている点は当方の力不足でありまして、申し訳ありませぬ。
好きな曲だけにCDも手元にいろいろあり、文中に一瞬だけ出てきたジュリーニ&シカゴ響のほか、ケルテス&ロンドン響(デッカ)、カラヤン&ウィーン・フィル(デッカ)、メータ&ロス・フィル(デッカ)、レヴァイン&シュターツカペレ・ドレスデン(グラモフォン)、スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリン(シャルプラッテン)、クーベリック&シカゴ響(CSO自主制作)等を部分的に聴き比べたものの、収拾がつかなくなるのでそれらには言及しませんでした。それにしても、十数回も集中的に繰り返し聴いても飽きるどころかますます好きになるこの曲は、やはり最高です。「新世界」はこんなに続けて何度も聴けません。
なおイチ押しのサー・コリンの録音は、第7番と組み合わされた「シルバー・ライン・シリーズ」盤、シフ独奏のチェロ協奏曲と組み合わされた「グロリア・シリーズ」盤、三大交響曲を収めた「DUOシリーズ」盤等でCD化され、昨年12月にはマリナー&アカデミー室内管の管楽セレナードとのカプリングで再発売されたばかりです(名盤1200シリーズ、限定盤)。ところがこれらはいずれも、ジャケットが初出LPのものとは異なっています。あの素朴な田舎の風景画は曲のイメージにピッタリで、ディスクの価値をさらに高めていた名ジャケットだっただけに、オリジナルでの復刻を望んでやみません。
(2003年3月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)