マーラー
交響曲第4番ト長調
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ロバータ・アレグザンダー(ソプラノ)
録音:1983年10月3、4日
PHILIPS(輸入盤 412 119-2)
1988年の9月、ハイティンク指揮ベルリン・フィルが演奏するマーラーの交響曲第1番「巨人」が発売された。超優秀録音として前評判が高かったそのCDは、CDプレーヤーを導入して二年目のわたしにはなかなか魅力的なもののように思え、新譜にしては割安な2,800円という特別価格だったこともあって、さっそく購入した。
再生してみると、なるほどこれは音がよい。重量感に満ちた低音、生々しいブラスの響き、そして途轍もなく広大なダイナミック・レンジ、なんというかもう凄まじいまでに壮絶な音響だ。第4楽章冒頭など臓腑がエグられるようなド迫力。だがその音の傾向はあくまで冷たい寒色系、それも極寒のメタリック・トーンで、どうも曲想にマッチしておらず、聴いていてちっとも楽しくない。「ダメだこりゃ」とすぐに中古屋に叩き売り、ある期待を持って、ハイティンクのコンセルトヘボウ盤を買いに行った。当時の標準価格3,200円で、旧盤なのに割高だ。音の鮮度も落ちる。しかしそれは期待通りの暖色系コンセルトヘボウ・サウンド全開で、わたしは大いに満足した。そしてその期待の根拠となったのは、すでに所有しており好感を持っていた、第4番の方のCDだったのだ。
ヘボウとマーラーの深い関係については当時よく認識していなかったものの、たしかにベルリン・フィルよりもコンセルトヘボウ管弦楽団の方がマーラーにはふさわしいという印象を、数千円の代償を支払ったこの聴き比べによって実感したことになる。そして改めて第4番の方を聴いてみると、こちらの方がさらによい。72年録音の第1番(旧盤と書いたがさらに古い62年の録音もある)と比べて、これも再録音にあたる第4番は83年の鮮明な録音で、ヘボウ・サウンドがずっと巧みに捉えられている。
コンセルトヘボウ管弦楽団の特徴の一つは、木管楽器の音彩の濃さだと思う。フルートはフルート、オーボエはオーボエというように、それぞれがくっきりと濃い音色を持ち、それも原色やパステル調ではなく、やや翳りのある渋めの色調で統一されている。そこには往年の大映京都撮影所製作による時代劇の趣きがある。東映のような安っぽい色彩では決してない。その木管群が重要な役割を果たし、ツヤとコクのある落ち着いた音彩が最大限の効果を発揮するこの曲(とりわけ第1楽章)は、まさにヘボウのためにあるような音楽だ。
メンゲルベルクやベイヌムの数少ないマーラー録音の中に、ともにこの第4番が残されているのは、単にマーラー交響曲中で規模が最小の手頃な曲というだけの理由ではないだろう。また、デッカが1961年2月20日から23日の4日間、ショルティとフィストラーリの指揮で久々にコンセルトヘボウ管弦楽団の録音セッションを持った際に、ショルティが選んだのもこの曲だった。その録音はショルティ自身が気に入っていたと言われており、後にロンドン響とシカゴ響で70年代に完成したマーラー交響曲全集を、80年代に入ってシカゴ響で統一するために60年代のものを再録音したとき、この曲のシカゴ録音は最終年まで着手されなかったのだった。3つのオーケストラを使い分けて制作されたバーンスタインの新全集(DG)でも、この曲にはコンセルトヘボウ管弦楽団が起用されている。もちろんシャイーの録音もあるし、ハイティンクではクリスマス・マチネーのライヴ盤も発表されている。それらの中で、このハイティンクの83年盤がもっとも魅力的である理由は、やはり当時のフィリップスの録音技術と音響設計のセンスとが最高のバランスで結びついていたということに尽きるだろう。
演奏の内容からすると、当盤はあるいは目立った特徴に乏しい部類に入るのかもしれない。終楽章のソプラノ独唱も含めて、かなりあっさりした印象だ。しかし音そのものにこれだけコクがあるのだから演奏上の表現自体はむしろこれくらいでちょうどよい。というとやや乱暴だが、この豊饒な音響を楽しむためには、個性的な演出はない方がいいのだろう。むろん木管だけでなく、柔らかく響くホルンやあくまで渋く輝くトランペット、暖かみとたっぷりとした厚みのある弦の響きも最高だし、第3楽章の終盤のクライマックスで轟くティンパニの独特の重量感もすばらしい。なにより、これらの楽器の溶け合いのバランスが絶妙だ。この音響設計はもはや、ホールの特性や録音技術だけではどうなるものではなく、指揮者の造形力の功績に依るものではないだろうか。
ハイティンク指揮の同曲盤としては、再発売の回数も多く全集にも入っている67年の旧盤と、92年のベルリン・フィルとの新盤に挟まれて、当83年盤の影が薄いという現状は、なんとも残念なことだと思う。 |