驚きに満ちた名演奏、ベイヌムのシェエラザード
(文:青木さん)
リムスキー=コルサコフ
交響組曲「シェエラザード」作品31
エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ソロ・ヴァイオリン:ヤン・ダーメン
録音:1956年5月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(輸入盤:IMG Artists 7243 5 75941 2 7)実に瑞々しくストレートな「シェエラザード」だ。標題性にとらわれることなしに、たいへん充実した演奏が展開されている。ふつうはそれを「純音楽的な演奏」と形容するのだろうが、これは曲に対するアプローチの違いの結果であって、純音楽/標題音楽という二元化は不適切ではなかろうか(標題音楽は不純?)。
それはともかく、標題の描写を重視するアプローチの場合には「語り口」がポイントとなり、繰り返し現れる主題を場面に応じて描き分けたりストーリー展開をていねいに表現したりという演出が多くなるので、じっくりとしたテンポによる華麗・濃厚・劇的な演奏になりがちだ。むかし聴いたロストロポーヴィチ指揮のEMI盤がそういうコテコテの演奏だったが、バレンボイムやシャイーもどちらかといえばその系統かもしれない。伊東さんのCD試聴記によるとゲルギエフもその系統らしい(当方未聴でして、不勉強ですみません)。
しかしこのベイヌムの演奏は、そういう意味ではしごくあっさりしている。一部でテンポを揺らせているものの全体としては速いテンポで進行し、ストーリーの説明にはあまり関心がないようだ。だがリムスキー=コルサコフは、各楽章に付けた「海とシンドバッドの船」「若き王子と王女」「バグダッドの祭、海、船の難破」といった表題を楽譜出版の際に外してしまって標題性を弱めたらしいので、このベイヌムのアプローチはむしろ作曲者の意向に則したものといえる。もちろんいくら意図を尊重しても結果として演奏がつまらなければ無意味だが、物足りなさはまったくなく、過度な演出がないのに素晴らしく内容充実した聴きごたえある演奏となっている。驚きだ。
さらに驚かされるのが、その速いテンポにピタッと付けているオーケストラのアンサンブル。当時のコンマス(1948〜1957)だったダーメンのヴァイオリンを始め、木管や金管のソロも超絶技巧を披露している。しかも、技術が優れているだけでなく、コクのあるその音色がもういちいち魅力的なのだ。「コンセルトヘボウはベイヌム時代にピークを迎えていた」などと言われるゆえんが納得できる。
格調を保ちながらも颯爽とした指揮にはマーキュリー盤の「幻想交響曲」や「新世界より」などで聴かれるポール・パレーと共通する部分があるように感じるが(ラテン的熱気を除く)、オーケストラのこの芳醇なサウンドはパレーが指揮したデトロイト響にはないもので、キリッとした品格ある造形とオーケストラの魅力とが絶妙にバランスしている。
第1楽章の冒頭からして重すぎず軽すぎず、いきなり本題に入るかのようなストレートさが小気味いい。夢のような音色のホルンに導かれて主部に入るとテンポの速さがいよいよ際立ち、実際にこの楽章と第3楽章はともに9分を切るという異例の演奏時間なのだが、演奏がていねいなせいかセカセカした印象はない。
第2楽章の途中で現れるトロンボーンにもわざとらしさがなく、どこまでも風格が保たれている。終結部近くの畳みかけるような疾走感もすごい。第3楽章の弦の主題はさすがによく歌われているが、テンポはやはり速めに設定されており、このあたりはオーケストラの抜群の表現力が効いているようだ。木管のちょっとした吹き方にもなんともいえない粋なニュアンスが感じられる。
最終楽章に入るとますます絶好調で、疾風迅雷、直截簡明、快刀乱麻、眉目秀麗、縦横無尽、勇往邁進、なにがなんだかわからぬが、最後もあまり余韻を引きずらずにあっさりと終了する。全編を通じて大げささや野暮ったさがまったくなく、なんとも洗練された演奏だ。そして、終わるとまた聴きたくなる。一度聴けばしばらくご遠慮したくなるタイプの曲だと思っていただけに、このこともまた驚きだった。
ところでこの録音はモノラルなのだが、それがちっとも気にならない。音の解像度もバランスも水準以上で、フィリップスとしてはやや寒色系に近いながらも、ふっくらとした美しい響きが捉えられている。1956年といえばRCAやデッカではステレオ録音が実用化されていたわけだが、たとえばRCAのシャープではあるが潤いの乏しいステレオ録音よりは、モノラルではあってもこのフィリップスの録音のほうが好ましいと思う。
かように素晴らしいこの音源がここ何十年も入手困難な「幻の名盤」状態だったという事実も、別の意味で驚きだ。ベイヌムのフィリップス録音が国内盤でまとまって再発売されたのは1979年10月の「ベイヌム1300」シリーズが最後で、その8タイトルの中にもこの「シェエラザード」は入っていなかった。翌1980年の『LP手帖』誌に掲載されたベイヌムのディスコグラフィでは、この曲のレコード番号は〔EL4536〕というえらく古い型番で、廃盤の印が付いている。
CD時代になるとブラームスやブルックナーなどは何度か発売されたし、オランダ盤"DUTCH MASTERS"シリーズ等でドビュッシーやシューベルトなどもCD化されたが、やはりこの録音は無視され続けた。今回も本家フィリップス=デッカからの発売ではなく、IMGアーティストとEMIの共同企画である"GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY"シリーズでようやく日の目を見たという格好だ。なんという怠慢、何という文化的損失だったのか…改めて愕然とする。
こうなると、いまも入手困難で聴くことができない「ハーリ・ヤーノシュ」「ポストホルン・セレナード」「火の鳥」「くるみ割り人形」「弦チェレ」「フィンランディア」なども大いに気になってきた。CDがあまり流通していない「水上の音楽」「ボレロ」「ラ・ヴァルス」なども名演だ。これら人類の至宝を早急に再発売することは、レコード会社に課せられた最急務の社会的使命といえよう。なんちて。
■ 伊東からの補足
青木さんも指摘されているとおり、上記シェエラザードは素晴らしい演奏です。音質も驚くほどすばらしいです。聴いていて、これがモノラルであることが不思議なほどです。よくあれだけ細大漏らさずにコンセルトヘボウ管の音を収録できたものだと感心せずにはいられません。第1楽章から演奏に引き込まれ、第4楽章では一緒に難破してしまう気になります。ぜひご一聴下さい。
(2003年5月25日、An die MusikクラシックCD試聴記)