セルのシベリウスを通じてオーケストラの個性を聴く

(文:青木さん)

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非推薦盤

シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
ジョージ・セル指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1964年11〜12月、コンセルトヘボウ
フィリップス(国内盤 UCCP-9064

 はじめに白状してしまうと、これはこの曲の演奏として、さほどよいものとは思えない。たとえばベルグルンド盤やデイヴィス盤を聴いて感じられる、なんというかピーンと張り詰めた緊張感のようなものがこのセル盤にはどうも乏しく、いろんな意味で「緩い」という気がする。 などと思っていたので、伊東さんが こちらで、

「実は、そのコンセルトヘボウ盤を私は余り高く評価していない。オケの音色はさすがにすばらしいし、大きく盛り上がっているように聞こえるのだが、指揮者のテンションの低さを隠しきれない」

と書かれたのを読んで、そのとおり!と思わずひざを打ったのだった(実際には打ちはしませんでしたが…)。 にもかかわらず、今回とりあげようと考えた理由には、もちろん希少価値という側面もないではない。セルは1958年から1961年までコンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者(副指揮者的な地位らしい)を務めたが、これはベイヌムの急死からハイティンク就任までの首席指揮者空白期間とほぼ重なっている。その因縁浅からぬ関係の割には、このコンビの録音は意外なほど少ない。そしてセルにとってもヘボウにとっても、シベリウスというのは珍しい録音レパートリーだ。北欧のオーケストラに一見ぴったりとも思えそうな作曲家の録音がほとんど存在しないというこの事実の背景に想像される事情…レコード会社は承知していたのではないだろうか。コンセルトヘボウとシベリウスは相性がよくないということを。

 「ピーンと張り詰めた緊張感」を表現するためのサウンドには、やはり鋭さ、透明感、硬質感といった要素が必要だと思われるが、これは重厚かつ芳醇な暖色系の音彩を持つコンセルトヘボウ(特にフィリップス録音の)とは反対の特徴だ。そして伊東さんも感じられたような指揮者のテンションの低さがこれに加わると、これはもうシベリウスには最もふさわしくない条件が揃ったようなもの。

 しかし。だからこそ逆に、コンセルトヘボウの特徴をストレートに感じられるという結果にもなっている。特に第2楽章。独特の響きで轟くティンパニ、濃い音色の木管、たっぷりと厚みのある弦、シャープさよりも残響を伴った空気感が印象的な金管…。これらはシベリウスには似合わないかもしれないが、その違和感の分、ヘボウの個性がくっきりと浮かび上がる。これは、セルやシベリウスを聴くのではなく、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏、個性を楽しむためのディスクなのだ。その意味では、「コンセルトヘボウの名録音」として敢えてとりあげるのにふさわしいと思う。少々屈折していますけど。

 

■ 伊東より 

 

 上記シベリウス録音は、64年の録音だというのに、見事なステレオ録音で、左右に大きな音場が拡がり、楽器の位置がはっきりと分かる。青木さんが書かれたとおり、木管楽器の音色などとても濃くて、オケのサウンド自体を楽しむのには向いていると思う。

 今回青木さんの文章をアップするにあたり、気になって私も久しぶりにこの録音を聴いてみたが、「指揮者の テンションの低さ」という言葉は変更の必要がなかった。第1楽章はまだしも、第2楽章以降、「どうしてセルともあろうものがこのような録音をしてしまったのか」と思えるほどノリが悪い。もちろん、オケはよく鳴っているし、キズのない演奏なのだが、面白味に欠ける。あの第4楽章の間、私は音楽に集中することができなかった。

 青木さんの主張のとおり、オケの特長をつかめるという意味では名録音なのだが、演奏の善し悪しという観点からは私は推薦盤とすることができない。コンセルトヘボウ管のページの家主である青木さんには大変申し訳ないのだが、CDジャケットは掲載できない。何卒ご容赦願いたい。

 なお、57年録音のメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」(4曲)は音質は落ちるが、音楽に生気が漲る良い演奏だと思う。

 

(An die MusikクラシックCD試聴記)