マッケラス指揮によるドヴォルザーク「交響曲第6番」

管理人:稲庭さん

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ドヴォルザーク
交響曲第6番
交響詩「金の紡ぎ車」
マッケラス指揮チェコ・フィル
録音:2002年10月(交響曲、ライブ録音)、2001年6月(交響詩)
ドヴォルザーク・ホール、ルドルフィヌム
Supraphon(輸入盤 SU 3771-2 031)

 

 参考CD

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参考CD1
クーベリック指揮ベルリン・フィル
録音:1972年、イエス・キリスト教会、ベルリン
Deutsche Grammophon(国内盤 POCG-2467/72〔交響曲全集〕)

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参考CD2
クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1981年(ライブ録音)、ヘラクレスザール、ミュンヘン
Orfeo(輸入盤 C 552 011 B)

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参考CD3
ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団
録音:1989年、メイソニック・オーディトリアム、クリーヴランド
London(国内盤 POCL-1100)

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参考CD4
チョン指揮ウィーン・フィル
録音:1999年、ムジークフェライン・大ホール、ウィーン
Deutsche Grammophon(輸入盤 469 046-2)

 

■ はじめに

 

 今回取り上げてみたいと思うのはドヴォルザークの交響曲第6番です。この交響曲は1880年、ドヴォルザークの一生で言えば「スラヴ時代」といわれる民族色を前面に出していた時期の終わり頃に作曲されたそうです。この頃からドヴォルザークは大作曲家への道を歩み始めるのですが(「モラヴィア二重唱曲集」の出版が1875年、「スラヴ舞曲第1集」の出版が1878年)、この曲もそういった時期の作品にふさわしく安定した世界を作り上げています。

 さて、タイトルの通り、今回紹介したいCDは最近発売されたマッケラス指揮のCDです。私は一聴してこのCDの虜になってしまい、是非とも紹介させていただきたいと思ったわけですが、どのように書けばよいものか少し迷っています。そこで、今回は、まずドヴォルザークの第6番の私なりのイメージを述べさせていただいて、その上で、いくつかの演奏とマッケラスの演奏を比較することによってこの演奏の特色を浮かび上がらせ、ひいては、なぜ素晴らしい演奏だと考えるのかを述べることができればと思います。少し煩雑になりますが、よろしくお付き合いください。

 

 ドヴォルザークの交響曲第6番とは?(その1)

 

 さて、私はこの曲を勝手に「田園的」であると思っています。「田園的」とは何かと徹底的に問い詰められると困ってしまう面もあるのですが、とりあえずは次のような要素が含まれている曲ということにしておきましょう。

 1.主要な調が長調であること。

 ドヴォルザークの交響曲第6番はニ長調です。「田園」といえば、本家本元のベートーヴェンの6番はへ長調です。ブラームスの「田園交響曲」といわれることがある第2番はニ長調です。逆を考えてみても良いですね。例えば、モーツァルトの40番(ト短調)を「田園的」であると主張する人はまずいないでしょう。

 2.(とりわけ第1楽章が)中庸のテンポであること。

 「中庸のテンポ」とは何かといわれると、確かに困ってしまう面もあるのですが、例えば、ベートーヴェンの6番の1楽章はこれに当てはまるように思います。また、この場合も逆の場合を考えてみると、例えばグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲を「中庸のテンポ」であると形容する人はまずいないように思われますし、逆に、チャイコフスキーの6番の冒頭のテンポを「中庸のテンポ」と形容する人もまずいないように思われます。

 3.オーケストレーションが派手ではないこと。

 ドヴォルザークの第6番の編成は標準的な二管編成(すなわち、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットそれぞれ2本ずつ、ホルン4本、トロンボーン3本、チューバ、ティンパニ、弦楽5部)です。

 さらに、極端に高い音域もしくは低い音域が頻繁には出現しないということも一つの要素かもしれません。

 これらの要素も、逆の場合を考えて見ましょう。R.シュトラウスは、しばしば、オーケストレーションの上手な作曲家として言及されますが、彼の作品におけるヴァイオリンの音域に注目すると、しばしば非常に高い音域でメロディを奏でていることに気付かれることと思います(もちろん、彼はこれだけではなく、ここぞというときにはユニゾンという最も単純なオーケストレーションを非常に効果的に使うのですが)。さらに、楽器の種類、とりわけ打楽器の種類が多く(例えば「英雄の生涯」では、ティンパニ、大太鼓、シンバル、小太鼓、中太鼓、さらに打楽器ではありませんがハープやテノール・チューバなどが用いられます)、またその用い方も華々しいといってよいように思われます。

 4.概ね古典的な形式が守られていること。

 ドヴォルザークの第6番の各楽章の形式を見てみると、ソナタ形式(アレグロ・ノン・タント)―3部形式(アダージョ)―3部形式(プレスト、舞曲的要素)―ソナタ形式(アレグロ・コン・スピーリト)というように、ハイドンが確立した形式が守られていることが明らかです。この場合、5楽章形式をとるベートーヴェンの第6番は例外ということになってしまうかもしれません。しかし、ベートーヴェンの第6番の場合も第4楽章のみが例外であるだけで、例えばマーラーのだ9番のように、終楽章が緩抒楽章であったり、逆に、ショスタコーヴィチの第6番のように3楽章形式でなおかつ冒頭楽章が緩抒楽章であったりするような作品から見れば、おおよそこの原則も当てはまるかと思います。

 5.細かい動機が緻密に組み立てられているわけではないこと。

 長くなって申し訳ありませんが、もう少しお付き合いください。例えば、ベートーヴェンの第5番は緻密な動機の組み立てを有する曲の代表格でしょう。この場合、動機は2小節で一応完結しますし、音程の動きも3度の降下という単純なものです。これに対して、ドヴォルザークの第6番の第1楽章の主題は8小節、音程の動きももう少し様々です。そして、実はこのことによって、ドヴォルザークの最大の特徴とされる豊かなメロディが可能になっているのです。

 

■ ドヴォルザークの交響曲第6番とは?(その2)

 

 さて、以上長々と、曲の外面的な特徴を述べさせていただきましたが、今度は、これを演奏者側から見てみたいと思います。上記のような諸特徴を有する作品は演奏者側から見た場合どのような作品なのでしょうか。

 まず、力技(例えば、打楽器を派手に鳴らすとか、とにかく大音量で聴衆を圧倒するとか、そういうことです)は不可能とは言わないまでも、それだけでは不足が残りますね。何せ、標準的な二管編成(上記要素2)で打楽器といえばティンパニだけですから。さらに、古典的な形式が概ね守られている、中庸のテンポである、などの要素(上記要素3および4)は、なにか意外なことをして聴衆をあっといわせることをも禁じているように思います。例えば、ベートーヴェンの第6番の第1楽章を、聞きなれたテンポの1.5倍の速さで演奏したらどうでしょう?はじめの1分くらいは驚いてはっとするかもしれませんが、後は呆れるだけですよね。逆に、遅く演奏する分には良いのではないか考えられるかもしれませんが、そうすると今度は第2楽章をものすごく遅く演奏しないといけなくなってしまいますよね。

 ということは、ベートーヴェンの第6番と同じように「田園的」であるドヴォルザークの第6番に対して、演奏者が可能なアプローチは、メロディを良く歌わせ(上記要素5)、かつ、基本がきちんと守られた常識的なアプローチでありながら、細部において生き生きとして聴衆を退屈させないアプローチでなくてはならない、ということになるのだろうと思います。また、メロディを生かすための音色や、派手ではないオーケストレーションをも生き生きと音を響かせるための音の重ね方も重要になるかと思います。

 

 いくつかの演奏

 

 さて、ここですぐに、マッケラスの演奏は上記のアプローチを非常に高いレヴェルで実現しているから良い演奏であるといっても(結局はそういうことなのですが)、あまり面白くありません。そこで、いくつかの演奏を取り上げてマッケラスのものと比較してみたいと思います。あえて、チェコ・フィルの演奏ははずしておきました。というのは、マッケラスとチェコ・フィルの演奏の特徴を浮かび上がらせるにはその方が分かりやすいと考えたからです。取り上げる演奏は以下の演奏です。

クーベリック指揮 ベルリン・フィル(参考CD1)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団(参考CD2)
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団(参考CD3)
チョン指揮 ウィーン・フィル(参考CD4)

 

 (1)クーベリック指揮の二つの演奏

 

 この曲に関してクーベリックの演奏が高い評価を得ていることにはあまり異論はないと思われます。ここでのアプローチよりはもう少し大きな視点からではありますが、これらの演奏は当サイトのクーベリックのページでも取り上げられています。

 ベルリン・フィルとの演奏は、非常にがっしりとした構築力と、堂々としたオーケストラの鳴らし方が魅力です。また、ティンパニの生かし方(録音のおかげもあるのかもしれませんが)も素晴らしいものがあります。しかし、私はこの演奏に不満がないわけではありません。第一に、クーベリックの構築力があまりにもしっかりしているために、予定調和的に聞こえてしまう場面があること、第二に、ベルリン・フィルがそれほど緻密な演奏をしているとは思えないこと(とりわけ、弦楽器のパート内の音程)、この二点が気になります。

 これに対して、後年のバイエルン放送交響楽団との録音はライブであること、また、クーベリックがより大きな音楽を奏でるようになったことなどから、非常に満足のいくものになっていると思います。ベルリン・フィルとの録音で見られた予定調和的な面もここではなく、とりわけ第4楽章のコーダは手に汗握るスリリングな演奏になっています。ただ、あえて言えば、もはやこれは完全に好みの問題なのですが、音色にもう少し「軽さ」がほしいとき、リズムにもう少し「楽しさ」がほしいと思うときがあります。

 

■ (2)ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

 

 ドホナーニの演奏は、非常にまじめな演奏です。この指揮者は、なにをやってもまじめな演奏をするのですが、それがうまくいく場合と、いかない場合があります。この演奏はうまくいっていると思います。

 ドホナーニも基本的にはこの曲を「田園的」であると捉えているように思われますが、それでも、クリーヴランド管弦楽団の演奏はなかなか中欧風の田園というわけにはいきません。各楽器の音色、何もかもがはっきりしないと気が済まないかのような弾き方、吹き方、この辺の好き嫌いがこの演奏の評価を分けるでしょう。私は、初めて聞いたときにそれらの点に抵抗を感じたのですが、今は結構好きです。これだけ徹底的にチェコ・フィルとは別の世界で、かつ一貫した世界を作ってくれるのなら、それはそれで面白いと思っています。

 ところで、もしドホナーニとチェコ・フィルがこの曲をやったらどうなるのでしょう。こういう厳格な音楽作りでチェコ・フィルをねじ伏せるのでしょうか。それとも、チェコ・フィルがそれに反抗して好き勝手な演奏をするのでしょうか。それとも、両者がうまくかみ合って(反発しあって?)おおらかなでありながら要所がぴしっと締まった音楽作りをするのでしょうか。

 

■ (3)チョン指揮 ウィーン・フィル

 

 チョン・ミュンフンは今とても人気のある人ですね。しかし、いくつかのCDで演奏を聴く限り、私の好みとはあまり合わない指揮者なのかもしれません。このウィーン・フィルとのドヴォルザークのCDは、確かに、オーケストラは上手ですし、録音もスプラフォンの録音に比べれば、というより、比べるまでもなく優秀です。また、音楽そのものも非常に意志力に満ちた音楽です。それでも、何かがしっくりきません。例えば、第1楽章のテンポです。少し早すぎはしないでしょうか? このテンポのためかピアニッシモの部分はすらりと流れるのに対し(例えば、第二主題を弦楽器がピアニッシモで歌う部分などはただ綺麗な響きが流れているだけになっています)、フォルティッシモの部分は豪快に鳴ります。私はときどき、チョン・ミュンフンは「下手なカラヤン」だと思うときがあります。オーケストラの鳴らし方はカラヤン流に大きな音で鳴らすのに対し、カラヤンの演奏の美質の一つである見通しの良さや、それぞれの部分のバランスに対する配慮が欠けている場合があるように思うのです。

 マッケラスの演奏と比べると、チョン・ミュンフンの演奏はまさに力技に近い演奏という印象を抱かせます。マッケラスがフレージングや歌い方をきちんと示していくのに対して、チョン・ミュンフンの音楽はもっと豪快で、ある意味、大雑把です。

 しかし、もしかするとチョン・ミュンフンはドヴォルザークの第6番を全く「田園的」な曲ではないと考えてこのような演奏をしているのかもしれません。時代の最先端を行く人の考えていることは、凡人には全く理解できないということは、良くあることです。

 

■ マッケラスの演奏

 

 さて、上記のように4つの演奏について述べてきましたが、マッケラスの演奏は私がそれぞれの演奏で不満に感じている点をうまい具合に満たしてくれる演奏といえばよいでしょう。すなわち、最初に述べた「田園的」な曲というイメージに最も近い演奏であり、そして、技術的な水準も高い演奏であると言えばことが足りてしまいます。

 ライブ録音です。ですから、小さな傷は色々見つけることができるでしょう。スプラフォンの録音です。ですから、DGやDeccaの録音とは明晰さでは比べようがありません。

 しかし、この丁寧な音楽作りと、全てを見渡したかのような流れのよさと構築力、それでいながら飽きさせることがない細部の生き生きとした表情を是非聞いてみてください。

 

■ 蛇足

 

 カップリングの「金の紡ぎ車」も非常に面白い演奏です。この演奏も、私が聞いた中では最も人に勧めたい演奏です。アーノンクールに期待していたのですが、この曲だけは、どうもそれほどできがいいとは思えませんでした(逆に、「真昼の魔女」はすごいと思いましたが)。録音状態も、スタジオ録音であるため、ドヴォルザークの第6番より満足な録音です。

 スプラフォンの録音は明晰さがないので好きになれないという方は、もしかすると、いつもより少し音量を大きくしてお聞きになると、少し違った風に聞こえるかもしれません。

 

(2004年7月18日、An die MusikクラシックCD試聴記)