カラヤン、アンダ、シュターツカペレ・ドレスデンによるザルツブルクライヴを聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

バルトーク作曲
ピアノ協奏曲第3番(ピアノ:ゲザ・アンダ)
シューマン作曲
交響曲第4番作品120
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
録音:1972年8月13日、ザルツブルク祝祭大劇場(ライヴ)
DG(輸入盤447 666-2)

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《ゲザ・アンダ&カラヤン》(参考盤1)

バルトーク作曲
ピアノ協奏曲第3番(ピアノ:ゲザ・アンダ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮RAIトリノ交響楽団
録音:1954年2月12日、トリノ(ライヴ)
TAHRA(輸入盤TAH611-613)

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《ゲザ・アンダ&カラヤン》(参考盤2)

ブラームス作曲
ピアノ協奏曲第2番作品83(ピアノ:ゲザ・アンダ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年9月
DG(輸入盤=写真はLP)

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《カラヤン指揮、シューマン交響曲第4番》(参考盤3)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1957年4月
EMI(輸入盤=写真はエレクトローラLP)

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《カラヤン指揮、シューマン交響曲第4番》(参考盤4)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1971年2月
DG(輸入盤=写真はLP)

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《カラヤン指揮、シューマン交響曲第4番》(参考盤5)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年5月
DG(輸入盤431 095-2)

LPジャケット
エテルナLP
LPジャケット
エレクトローラLP

《カラヤン&シュターツカペレ・ドレスデン》(参考盤6)

ワーグナー作曲
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(全曲)
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1970年12月
EMI(輸入盤=上はエテルナLP、下はエレクトローラLP)

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《アンダ&フリッチャイによるバルトーク》(参考盤7)

バルトーク「ピアノ協奏曲全集」
ゲザ・アンダ(ピアノ)
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団
録音:1959年9月
DG(輸入盤447 399-2)

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《サヴァリッシュ&カペレによるシューマン》(参考盤8)

シューマン「交響曲全集」
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1972年9月
EMI(輸入盤5677712)

 

■ 当該ディスクについて

 

 シュターツカペレ・ドレスデンが、1972年のザルツブルク音楽祭に出演した際に実現した、祝祭大劇場におけるコンサートのライヴ録音です。直近には、カール・ベーム指揮によるカペレとのコンサートも行われており、その際のR.シュトラウスの録音(死と変容)も発売されておりますが、ここでは楽曲が異なるため、比較視聴の対象から外させていただくことにします。

 

■ カラヤンとゲザ・アンダの共演

 

 両者は以前から、意外なほど多くの共演を重ねており、バルトークの3番だけでも何度か共演の機会があったようですし、他にブラームスの2番の共演もあり、ブラームスの方は、ドイツ・グラモフォンによる正規スタジオ録音(参考盤2)も残されております。予想外に、気心の知れた関係であったのかも知れません。

 

■ カラヤンとシュターツカペレ・ドレスデンの共演

 

 こちらは、何と言っても、EMIへのワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲の録音(参考盤6)がまず挙げられると思います。また、ザルツブルク音楽祭に、1965年、1972年、1976年に招かれた際に、いずれもカラヤンとシュターツカペレ・ドレスデンの共演が残されています。1976年には、ショスタコーヴィチの10番の演奏も行っていますが、1972年以外の共演は、現時点では未発売です。

 

■ バルトークのピアノ協奏曲第3番

 

 カラヤンとアンダによる同曲の録音は、1954年のトリノでのコンサートも、正規ライヴ録音としてCD化されております(参考盤1)が、スタジオ録音は結局残されませんでした。他にも何度か共演し、録音も残されているようですが、正規盤として発売されているのは、この2種類の音源だけであるようです。

 

■ シューマンの交響曲第4番

 

 カラヤンは、シューマンの4番を1957年にベルリン・フィルとEMIに録音(参考盤3)し、1970年代初頭には、ベルリン・フィルとDGに全集を録音(参考盤4)し、さらに最晩年にはウィーン・フィルとDGにライヴ録音(参考盤5)を残しております。つまり、正規録音だけでも4種類の録音が存在しています。加えて、映像での記録も何点か残されているようです。

 

■ アンダの同曲録音

 

 何と言っても著名なのは、フェレンツ・フリッチャイとDGに残した、バルトーク・ピアノ協奏曲全集(参考盤7)でしょう。LP2枚に、作品1のラプソディも含めて録音が残されており、名盤の誉れ高い録音です。

 

■ シュターツカペレとシューマンの交響曲

 

 カペレが音楽祭の終了後、ドレスデンに戻った直後の9月に、サヴァリッシュを指揮者として、EMIにこれまた歴史的名盤として有名な、シューマン交響曲全集(参考盤8)を録音されました。現在でもこのシューマンの交響曲全集は、シューマンの交響曲の代表盤としての価値を持ち続けている稀有な録音です。

 

■ この盤の一般的評価

 

 必ずしも高くは無いように思います。カラヤンが没したあと5〜6年たってから発売されましたが、ザルツブルク音楽祭・ライヴ録音シリーズとして、DGから発売されたものの、国内盤ではついに発売されませんでした。2008年に至って、タワーレコードの企画商品の一環で、ようやく国内盤として初発売された経緯があります。

 日本での評価は、端的に言うと、アンダと共演したバルトークは、アンダがかつてフリッチャイと共演した名盤に、到底及ぶものでは無い。また、シューマンの4番は、この直後にカペレがサヴァリッシュと録音した、シューマン交響曲全集と比べると、やはり到底及ぶものでは無い。また、カラヤンのシューマンが聴きたければ、他流試合では無く、同時期に録音されたベルリン・フィルとの全集の方を聴けば良い。大勢としては、こんな按配であったろうと思います。要するに好事家の話題にほとんど乗ることなく、そのまま一旦は消えかかったのです。

 

■ 個人的なこの盤への思い−バルトーク

 

 私は、子どものころ、ゲザ・アンダのファンでした。70年代に働き盛りで彼が急逝したときには、大きなショックを受けた記憶が今も残っています。彼の演奏スタイルは、基本的なテンポ設定を常に速めに、きわめてあっさりと突き進むタイプのピアニストでした。しかし、彼の紡ぎだす音そのものの持っている、きわめてデリケートな繊細な響きが、独特の印象を多くの聴き手にもたらしたためでしょうか、彼の死後、既に30年以上経過しているにも関わらず、彼の多くの録音が再発売されています。私は、アンダとフリッチャイが残した、バルトークのピアノ協奏曲全集は、永遠に残る名演であると信じていますが、アンダがカラヤンと多く共演した演奏にも、同時に大きな興味と関心があるのです。

 アンダがフリッチャイと共演した録音は、速めのテンポ設定からもたらされる、バルトークの楽曲が本来的に有しているマジャール気質とでも言えば良いのでしょうか、バルトークとフリッチャイとアンダが全員ハンガリー人であることを、何となくではあっても聴き手の期待を裏切ることなく、説得力を持って聴き手に迫ってくる名演であろうと、信じています。一方で、バルトークは、終生ハンガリーの民俗的旋律を収集し続けた側面から、彼の作曲したピアノ協奏曲を捉えてみると、フリッチャイとアンダの共演は、ハンガリー人であれば、言葉抜きに理解できるのかも知れないけれども、民俗としての理解力を有していない異国人にとっては、バルトークのこの面での魅力が伝わって来難いようにも思えてくるのです。

 そんなとき、このカラヤンの指揮したバルトークの、第1楽章冒頭や、第2楽章における、バルトークの別の顔(豪放磊落に見えることがある表面の音構造の蔭に潜んでいる、民俗や子どもを優しく慮る、慈しみ深い幻想的な側面)が、このカラヤンとアンダとカペレの3者、一見諸々の意味で本来的に不一致な側面を有しているはずの3者から、何となく見えてくるだけに留まらず、結果的にバルトークの持っている2面性を、ものの見事に調和し融合した形で、私に提示してくれるのです。これは、カラヤンの美学と、当時のカペレの美質と、アンダの資質が、ものの見事に合一した幸福な結果であると思うのです。

 それゆえ、私には、このバルトークのピアノ協奏曲3番は、どのディスクよりも貴重な宝物となっているのです。日本で、企画物として発売されたときに、一瞬、自分だけの宝物が遂に世間に晒されたような、錯覚に囚われたのです。日本でも広く聴かれるチャンスを得たことが嬉しい反面、自分だけの宝物を奪われたような、複雑な気持ちで一杯だったのです。なお、このような個人的感情は、ピアノ弾きは幼少時から、バルトークの「子どものために」とか「ミクロコスモス」を、レッスンで弾かされているためでしょうか、バルトークと言う作曲家に対する視点が、ピアノ弾き以外の方と微妙に違っているように思えるときがあることと、もしかしたら繋がっているのかも知れません。

 

■ 個人的なこの盤への思い−シューマン

 

 シューマンの4番は、昔からフルトヴェングラーのDG盤が、圧倒的な名演として著名です。ところが比較的最近まで、シューマンの交響曲は、さして多くの演奏機会や録音機会が無かったように思えます。シューマンの作曲技法のせいであるとか、いろいろなことが言われたりしましたが、そもそも演奏の機会そのものが、少なかったように思うのです。そんな中で、この交響曲4番は、カラヤンとクーベリックが、ともにかつてベルリン・フィルと聴き応えのある録音を残しておりましたし、かつ二人とも全集録音しておりました。加えて、1曲目のソリストであったゲザ・アンダとの共演も、カラヤンとクーベリックはともに経験があったのです。特に、クーベリックは、ベルリン・フィルとのDGへの全集録音時期に、アンダとシューマンのピアノ協奏曲の録音を残しています。クーベリックは、カラヤンよりも先にベルリン・フィルと、シューマンの交響曲全集に加えて、アンダとピアノ協奏曲まで録音していたのです。カラヤンは、その7〜8年後にようやくベルリン・フィルと全集を録音することになります。

 私は、まずこのように考えました。少なくともシューマンの交響曲に限っては、カラヤンとクーベリックは、同一の方向性を有し、互いに影響を受けつつ、自身の演奏を形成していったのだと。そんなとき、カラヤンは1972年にザルツブルクで、カペレと共演する機会を得たのでしょう。

 ところで、カペレと72年にシューマン交響曲全集という、畢生の名録音を残したサヴァリッシュは、当時はミュンヘンを本拠に活躍しておりました。ミュンヘンでは、クーベリックも、ケンペも活躍の場があった時代で、この3者の共演すら残されている始末ですし、クーベリックとサヴァリッシュによる、2台のピアノのためのコンサート(2人ともピアノの名手でもあります)が行われたこともあるようです。

 これらを考え合わせますと、カラヤンが72年にザルツブルクで演奏したカペレとのシューマンは、直後にサヴァリッシュがカペレと録音したシューマンと比べて、どうこう(ほとんどがサヴァリッシュに比べて、カラヤンは・・・のスタンスで書かれています)と言う議論は、私個人としては本質的に違和感を持ってしまうのです。50年代から取り組んでいたカラヤンのシューマン演奏の姿勢を上手く取り込んだからこそ、60年代初頭のクーベリックの全集は高い評価を受けたのだと思いますし、その全集を超えるために70年代に入るとすぐに手兵との全集録音に挑んだカラヤンが、全集完成後にザルツブルクでカペレを指揮したシューマンを、良い意味で脳裏に残しつつサヴァリッシュとの全集録音に挑んだカペレは、これまた歴史的な名演を残せたと思うのです。

 そして、そのころ、ミュンヘンで、サヴァリッシュとクーベリックは、ケンペも加えて3名の共演が残されているように、交流が絶えずあったようですが、ケンペは、ドレスデンがそもそものホームグラウンド(ドレスデンに生まれ、当地の音楽大学を卒業)であった指揮者でした。この3名の交流が終わりを告げた直後に、クーベリックはバイエルン放送交響楽団と、2度目のシューマン全集録音に挑んでいます。この全集の評価がきわめて高い事実がある一方で、ベルリン・フィルとの旧全集の方を高く評価する方も多くいます。私は、クーベリックとサヴァリッシュが、それぞれ後世に残るシューマン全集を残せたのは、このような交流が行われていたことと関連があるように思えてなりません。しかし、なぜカラヤンの影響だけが、どこにも見え隠れすることが無いのでしょうか。このことを、カラヤンに対する偏見であると言ってしまったら、私自身もまた、カラヤンへの偏見の罠に嵌ってしまうのだと思います。

 

■ むすび

 

 そこで、私は、このように試聴記をまとめたいと思います。フルトヴェングラーと正面から闘ってきたのは、間違いなくカラヤンでした。そのカラヤンは、フルトヴェングラーの呪縛から、中欧の多くの指揮者を解き放つ役割を演じてくれました。そして、カラヤンは、ベルリン・フィルとクーベリックが全集を録音する際に、呪縛から解き放たれた手兵を提供しました。さらに、カラヤンは、サヴァリッシュがカペレと全集を録音する際にも、同様の貢献を(結果的にではありますが)しました。

 しかし、カラヤンの自身のシューマン演奏は、最後の最後になって、ライヴ録音が残されているディスク(参考盤5)で証明することができました。ところが、このシューマンの4番は、録音直後に訪れた彼の突然の死の結果、カップリングの相手が見つからず、危うくお蔵入りしかかるところでした。幸い既発のドヴォルザークの8番と組み合わせて、数年遅れたものの無事に発売されました。

 実は、モーツァルトのジュピターと、シューマンの4番の組み合わせで、一旦は発売予告がなされたのですが、ジュピターの演奏が細かい部分で録音未了と看做されたために、発売が見送られ、シューマン4番の録音が宙に浮いてしまったのです。このシューマンの4番がそのままお蔵入りしていたら、私は今回の試聴記のような考えには、たぶん至らなかったと思うのです。カラヤンは、若いころから自身の演奏スタイルや楽曲解釈が、ほとんど変化しないことで著名であったのにもかかわらず、シューマンの4番に限っては、大きくスタンスも解釈も異なる部分が、録音ごとに散見されるように思うのです。このことを、私は当初、カラヤンはやっつけ仕事として、シューマンの4番を録音したものと捉えていました。しかし、それは誤解であったことを、彼の死後にようやく理解することが叶ったのです。

 こんな歴史的邂逅の場が、ザルツブルクで1972年の8月にあったのだと、私は考えています。この瞬間があったからこそ、現在、シューマンの交響曲は多くの録音が犇くようになったのだと考えています。私にとって、カラヤンとシュターツカペレ・ドレスデンとの共演は、政治制度のためでしょうか、わずかの機会でしか無かったものの、かけがえのない貴重な出会いの一つであったと思うのです。

 

(2009年9月15日記す)

 

2009年9月23日、An die MusikクラシックCD試聴記