ブロムシュテットの「第九」

文:ゆきのじょうさん

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前編

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調作品125
ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1979年4月、80年3月
BERLIN Classics(輸入盤 0021992BC)

声楽陣

  • ソプラノ:ヘレナ・デーゼ
  • アルト:マーガ・シムル
  • テノール:ペーター・シュライヤー
  • バス:テオ・アダム
  • ライプツィヒ放送合唱団

 ブロムシュテットはカペレ首席指揮者就任直後から旺盛な録音活動を開始している。ベートーヴェンでは、1975年2月に交響曲第7番を皮切りに全曲録音に着手、1980年までに完成させている。ほぼ同時に進行した企画にはシューベルトの交響曲全集がある。いずれも優れた録音であるが、残念ながらマスコミ受けしないようで、名盤として紹介されることは滅多にないようだ。ブロムシュテットが指揮したカペレの録音にハズレはないので、私は安心してお薦めできるのだが、世間は本当に冷淡なものだ。DENONから発売されたブルックナーや、モーツァルトは相応の評価を受けているのに、旧東独のレーベルによる録音だというだけで日陰者にするのであれば、「音楽ジャーナリズムとは一体何なのだ?」と私は思わずにはいられない。

 シューベルトの全集など、演奏内容だけを取っても驚くべき完成度である。また、今や高齢化が進んでいるか、引退したカペレの首席奏者達による絶頂期の音が聴けるため、カペレ・ファンならずとも固唾を呑んで聴き入るだろう。あえて書いてしまうと、有名なベームの全集(DG)など、足下にも及ばない出来映えだと思う。にもかかわらず、国内盤が姿を消しつつあるのは悲しい。

 同じことはベートーヴェンの全集にもいえる。いかにも地味なCDジャケットではあるのだが、清新なベートーヴェンを最高のサウンドで聴ける。旧東独のレーベルによる録音だったから、少なくとも日本ではさほど脚光を浴びなかったのだと思うのだが、それが音質面では逆に良かったようにも思う。DGが本格的にこのオケの録音に取り組んでいれば、豊饒なオケの音色がマイクのミキシングでずたずたにされ、しかも厚化粧を施されて全く違う音で収録されていたことだろう(この件については今後、別途扱う)。少なくともドイツ・シャルプラッテンはそんな荒っぽいことをせずに、自然な録音を心がけていたため、今になっても不自然さを感じさせないバランスでカペレの絶頂期を今に伝えることに成功している。ブロムシュテットのベートーヴェンは、輸入盤では全集でしか買えなくなっているようだが、もしそうだとしても躊躇なく買って構わない。ブロムシュテットとカペレを見直すことになるはずだ。

 さて、前置きがやたらと長くなったが、「第九」である。交響曲第9番の一部は1980年に録音され、それをもってベートーヴェン全集が完結している。1979年に最初の3楽章を録音し、声楽を伴う第4楽章だけが80年に収録されたのだろうか。私の聴いた限り、第4楽章だけ少し違った表情が窺えるので勝手にそう憶測しているのだが....。

 この演奏は最初の3楽章が秀逸である。私は不満を感じない。第1楽章はスケール雄大、振幅が大きく取られたカペレの重厚な響きが味わえる。木管、金管セクションはこの楽章から見事な音色を聴かせている(ホルンにはダム先生!)。第2楽章では、名人ティンパニスト、ゾンダーマンの華麗な技を楽しめる。まさか他の人は考えられない! 指揮者の指示なのか、録音スタッフの好みなのか、あるいは本当にそのように聞こえたのか(多分これか?)、ティンパニの音がやたらとリアルに収録されているのも面白い。ティンパニ協奏曲と化したこの曲はゾンダーマンの大活躍。革張りのティンパニを小気味よく叩いている。それを聴いて、他のセクションもじっとしてはおれなかったのか、木管と金管セクションのサウンドはさらに磨きがかかっている。

 第3楽章は全楽章の白眉で、聴き物は木管楽器の豊麗なサウンドである。どのパートも信じがたい巧さだ。楽器が絡まりながら音楽が進行する様は、音楽を聴く醍醐味を感じさせる。カペレのサウンドはこの楽章に集約されている。

 第4楽章は、熱狂的というよりも端正な演奏で、丁寧な指揮ぶりがいかにもブロムシュテットらしい。

 

後編

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調作品125
ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1985年3月30,31日、ゼンパー・オパーにおけるライブ
LASERLIGHT(輸入盤 15 826)

声楽陣

  • ソプラノ:エディット・ヴィーンズ
  • コントラルト:ウテ・ワルター
  • テノール:ライナー・ゴルトベルク
  • バス:カール・ハインツ・シュトゥリチェク
  • ドレスデン国立歌劇場合唱団
  • ドレスデン交響合唱団

 私が持っている輸入盤のCDはとても安っぽい作りで、どこからどう見ても三流どころの演奏家達による廉価盤だ。レーベルもLASERLIGHTという怪しげなところだ。こんなCDを買う人は、私のようなカペレファンか、あるいはお金がなくて他のCDを買えなかった人だろう。しかし、最初に書いておくが、このCDをどこかで見かけたら迷わず買うべきだ。新品でも1,000円以下だろうし、中古なら500円以下で買えるはずだ。家に帰ってこのCDを聴けば、自分の幸運に感謝したくなるだろう。

 「第九」には、人それぞれにいろいろな想い出があるだろう。クラシックファンなら、コンサートでこの曲を聴いて感激した経験が必ずあると思う。聴き馴染んで愛着のあるLPやCDもあるだろう。だから、「第九」のベスト10CDなどを投票で決めようとしても、まず客観的な点数をつけることはできまい。どの録音が何番目に来るか、などということを議論し始めたら大騒ぎになるに違いないのだ。それを承知の上で私は、このCDの演奏は「第九」ベスト10の中に必ず入るべきだと思う。この録音を知っている人なら、誰もが納得するはずだ。

 
再建直後の記念コンサート

1985年3月30,31日、ゼンパー・オパーにおける演奏会が終了し、万雷の拍手を浴びる演奏者達。

 録音されたのは1985年3月30,31日。これはゼンパー・オパー再建記念コンサートの模様を収録したものなのだ。ドレスデンは、1945年3月13日から14日にかけて、英軍を主力とした連合軍の悲惨きわまる爆撃に会い、市内は灰燼に帰した。爆撃機による被害だけではすまなかった。英軍の戦闘機は酷寒の夜、逃げまどう一般市民を低空飛行で追い回し、機関銃で皆殺しにしたと言われている。死者の数は35,000人を数えた。ドレスデンは地図上から消滅しかかったそうだ(ナチス・ドイツが国外で行った蛮行に比べれば、ものの数ではないかもしれないが)。ゼンパー・オパーもその空襲で焼け落ちている。市の中心にあり、ドレスデンの象徴であったゼンパー・オパーは外壁を残して完全に崩壊したのだ。幸運なことに、外壁が残されていたので、旧東ドイツ政府は国家の威信をかけてゼンパー・オパーの再建を始めた。

 
内側が焼け落ちたゼンパーオパー

外壁だけが残るゼンパー・オパー(この写真で見ると、瓦解したオペラハウスとは思えないのだが、上部ががらんどうになっている)

 

 ゼンパー・オパーが再建されたのは、40年後の1985年3月13日。その日付はまさに空爆が行われた日である。再建記念公演(ウェーバーの「魔弾の射手」、R.シュトラウスの「ばらの騎士」等)は旧東独の首脳などが顔を揃えたといわれている。オペラ公演が一段落した後、カペレはピットから上がり、シンフォニーコンサートを開いたのだ。それが当CDの録音である。

 音楽の話をするのに、音楽以外の要素を持ち込むのはあまり好ましくはない。お涙頂戴の話でCDを買わせようとするマーケティングには閉口することもある。だが、この「第九」に限っては、再建コンサートの実況録音であるという点を抜きにしては語れないと思う。全曲を覆う張りつめた空気は、スタジオ録音とは一線を画している。ブロムシュテットのスタジオ録音は、上述のとおり大変優れた演奏なのだが、こちらは「本当に同じ指揮者による演奏なのか?」と思わざるを得ないほどの気合いの入り方が違う。カペレの奏者達の尋常ならざる気迫を感じさせる演奏で、ものすごい緊迫感と勢いがある。第1楽章冒頭の1分間ほどで異常な緊張感が聴き手にじかに伝わる。その後は文字どおり怒濤の演奏で、宇野功芳調になってしまうが、これこそまさに宇宙の生成である。私は何度もこのCDを聴き、その度に声を失うほどの感銘を受ける。おそらく、交響曲第9番をベートーヴェンが作曲した際に頭に鳴り響いていたのは、このような演奏ではないだろうか。

 私は、クラシック音楽を聴いていてよかった、と思う時がたまにある。このようなCDに巡り会ったときだ。理屈抜きですばらしい。そして歴史的背景を知ると、なお演奏者達の演奏にかける心意気が伝わってきて感動する。そうなのだ。この演奏は多分に浪花節的なのだ。今は亡き旧東ドイツの成立から、その国家としての頂点までがこの演奏に集約されているのだ。これほどストレートに音楽に対する熱い思いを反映させるカペレが私は好きだ。

 この演奏については、もっともっと語るべき内容がある。本来はもっと厳密に分析して読者にも分かるように書くべきなのだろう。しかし、私は自分の感動をこれ以上細かく分析して文章にすることができない。後は皆様の試聴記をお待ちしたい。

 なお、LASERLIGHTは、DELTA MUSICの1レーベルで、DELTA MUSICはCAPRICCIOも傘下に持つ。決して海賊盤ではない。日本ではDENONから国内盤が出ていたと思う。

 

 なお、ブロムシュテットのライブ盤は、CAPRICCIOから発売されていたときは、以下のようなジャケットだったそうだ。CDになってとても安っぽくなったが、演奏内容を考慮すると、LPのジャケットが正しい。すばらしいジャケットなので、今回のみやや大きなサイズで登場させよう!

 
A面
LPジャケット A面

ゼンパー・オパー内部の緞帳が使われている。まさにコンサート開始にふさわしい。

B面
LPジャケット B面

こちらは舞台から見たゼンパー・オパー内部。とても豪華である。

 

2000年10月16、17日、An die MusikクラシックCD試聴記