2000年5月、感動のリサイタル

特別寄稿 by 松本@銀色ホルンさん

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  リサイタルのプログラム
 

 ダムさんの大阪公演に行ってきました。6日土曜日の公開レッスンと8日月曜のコンサートの両方に行くことができました。私にとっては久々の生ダム様でしたが、以前のイメージのままの演奏に感激し、ダムさんの素晴らしさを再確認しました。

 コンサートの演奏曲目は以下のとおりです。

  • モーツァルト:ホルン協奏曲第1番ニ長調 K.412+514
  • モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447
  • サン=サーンス:ホルンと管弦楽のためのロマンス Op.36
  • R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番変ホ長調 Op.11

 使用楽器 E.Schmid Bシングル (イエローブラス製のラージベル)

 モーツァルト1番のみA管を使用。

 クリニックの曲目は、以下の3曲でした。

  • ベートーベン:ピアノとホルンのためのソナタ

    この曲は、ピアノとホルンのソナタであり、ホルンソナタでは無いと力説されていました。

  • モーツァルト:ホルン協奏曲第4番
  • R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番

 まずは演奏技術についての感想を。

 残念ながらコンサートでは多少のミスがありました。今回の来日公演の好評ぶりを考えると、ダムさんの技術力が落ちたのではなく、それ以外の要因があったのかなとも思います。というのは、演奏時のフィンガリングが、いつものダムさんと違うことが多々あったからです。残念ながら伴奏のオケの音程が落着かないものだったので、ダムさんはオケに合いやすい運指を探して吹いていたのかもしれません。だとすると、ミスを犯す確率も高くなりますし。まぁ、それはどうでもいいことです。ミスの無い演奏が聴きたいのならシンセの打ち込みでも聴いてりゃいいんです!

 今回あらためて驚いたのは、そのダイナミックレンジの広さです。土曜のクリニックにおいても、生徒さんに対して弱音をもっと使うように指導されていました。実際に吹いてもらうと、やっと聞こえるくらいの小さな音を自在に演奏されるのです。一流奏者で同様の音量を吹くことができる人がいたとしても、実際にソロを吹くときに、あれだけ広いレンジを使いこなしている人はいないと思います。R.シュトラウスなんかでは、普通の人はフォルテをより大きく吹くことでメリハリをつけようとします。

 #ダムさんも素晴らしい最強音を聞かせてくれました。まだまだ若い人には
 #負けませんって感じです。

 では、モーツァルトではどうでしょうか? サン=サーンスのロマンスではどうでしょうか? さすがに、R.シュトラウスと同様のフォルテを吹いては失笑を買うでしょう。ダムさんもそんなことはしません。その代りに、消え入るようなピアニシモを使うんです。結果としてダイナミックレンジが広くなり、表現の幅も広がります。また、その弱音の使い方が実に絶妙であり、洗練された美しい音楽を聞かせてくれます。都会の喧騒に慣れきった現代人には、ダムさんの微妙な表現を聴き取ることができないのではないかと、いらぬ心配をしたりしています。

 例)レーグナー盤R.シュトラウスHr協 1楽章 1:06, 1:21

 このように消え入るようなディミヌエンドを活かすには、伴奏のオケとの音色や解釈の相性が重要なわけで、そういう意味では、カペレとの共演を一度生で聴いてみたいものです。

 ちなみに、今回のシュトラウスでの最強音は、レーグナー盤でいうと、3楽章の4:41あたりのBの音でした。

 そして、やはり特筆すべきは音色ですね。国際ホルン協会の会報に、ホルンにとっ て音色が最も重要な要素ではないという記事がありました。それはそれで筋の通った論文でしたが、やはり、ダムさんのような柔らかく暖かく、かつ、艶やかな音色を聴くと、それだけで心打たれてしまいます。

 音楽面でもその素晴らしさは衰えるところを知りませんでした。R.シュトラウスのコンチェルトも、私のリファレンスであるレーグナー版よりさらに音量の幅が広がっていて、今回の演奏の録音が出て欲しいと思うくらいでした。それでいて基本的な骨格についてはあまり変わらず、美しさと力強さのバランスのとれた解釈のままだったので、とても嬉しく思いました。

 例)レーグナー盤R.シュトラウスHr協 1楽章 1:12

 ソロの最初のフレーズの最高音である実音Cですが、ダムさんはこれをフレーズにおける最強音にしないんです。その代りに、より艶やかで、アタックもはっきりと、ビブラートも効かせてというように吹いています。楽譜の強弱記号を単純にダイナミクスに置き換えるのではなく、様々な技巧を駆使して具現化する。それによって、単調で粗野な演奏にならないで、お洒落で美しい音楽になるんですね。

 今回の公演でも、そういう部分が随所に聴かれました。クリニックでの言葉での指導では、強弱についてダムさんの解釈に基づいた指導をされていましたが、実際には、お手本となる演奏を聞けば、単なる強弱以上の仕事をダムさんがしていたのは明らかです。やはり師匠の演奏を盗むようにして覚えないと、あのようには成れないのですね。

 さて、今回の大阪公演、実は83年の大阪公演と同一オケによる同一プログラムの再現演奏会だったのです。

 83年は私が大学2年生のときで、その前年に出会った師匠=ダムさんの弟子に洗脳されてダム信者になってしまい、初めて生ダムさんを体験した年でした。そのときステージに現れたダムさんが、コンチェルトの前奏の間、首にマウスピースを押し当てて、直立不動で指先まで伸ばして、目を閉じて出番を待つ姿を見て、これは立ち姿を見ても神様のようだと思ったものです。そして、今年。今度こそダムさんの引退公演だと言われ、公演のパンフレットでの、モーツァルト室内管弦楽団の門良一氏の言葉は、以下のように結ばれていました。

・・・
今夜が最後の協演の機会となることは大変にさびしいことではあるが、すばらしい思い出を胸に感謝とお別れを申し上げたいと思う。ダムさん、本当にありがとうございました。そしていつまでもお元気で、さようなら。

 大阪公演は今回のツアーの最終公演でもあり、これが日本での最後のソロかもしれないわけです。本当に感慨深いものがありました。土曜のクリニックで、ダムさんは「モーツァルトの演奏では、ルバートは許されるだろうか?」と、会場に質問を投げかけました。会場の反応は半々といったところでしたが、ダムさんの答えは当然YESです。もちろん、他の作曲家と同じようにしてはいけませんが、モーツァルトの演奏にだって、微妙なルバートをかけてテンポを揺らし、音楽を活き活きと表現することが必要なわけです。モーツァルトにビブラートは不可欠だと語る有名ホルン奏者が多いのも、同様の発想だと思います。

 そして、コンサートではそれのお手本となるモーツァルトが聴けました。R.シュトラウスは、私のこれまで聴いた最高の演奏でした。10数年前の最初の共演の時よりも良かったのではないでしょうか?巷で評判のバボラクには残念ながら行けず、ビデオでしか見れなかったので、厳密には比較できませんが、大雑把に言ったとしてもダムさんの表現力の素晴らしさが際立っていたと思います。

 今回の座席は前から4列目、ちょうど伏目がちなダムさんと正対する位置で、間には誰もおらず、あたかも私に向かって演奏してくれているように感じました。アンコールでもう一度演奏してくれたサン=サーンスのロマンスは、本番のものよりもさらに素晴らしく、日本での最後の曲にふさわしい名演でした。

 CDで聴くダムさんの音は、時に軽すぎると思うことがあり、ダムさんの音楽表現は真似したいと思うものの、私の音色の目標は違うところに置くこともありました。ヴィンツェさんとのハイトーンでの共演や、フランス音楽のCDなんかは特にそうでした。でも、レーグナー版や、ベートーベンのソナタの録音は、目標にしたい音色に近いもので、そこでのダムさんが理想に近いかなと思っていました。今回の生ダムさんを聴いて、今現在のダムさんの音色が一つの理想であることは間違いないと思いました。

 私自身、技巧的には進歩しないものと諦めていますが、せめて音色だけでも近づけるようにいろいろと悪あがきをしています。ダムさんは、どんな楽器を吹いてもあんな音が出せますが、私はいつも、自分があんな音を出すのに適した楽器を探し続けています。そのうち少しは技術もつくでしょう。あと10年の間に、あの雰囲気を出せるプレーヤーになるのが目標です。

 オケから離れているので、最近ちょっと弱気になっていましたが、ダムさんの演奏を聴いて、勇気がでてきたというか、血が騒いでしょうがないという感じです。あの音色を目指すアマチュアが他にもいて、そういう人が集まったホルンセクションがあれば、結果としてカペレサウンドを残していくことにもつながるなぁなどと、分不相応な夢を抱いたりもしています。伊東さん、ダムさんは引退しても、私はダムファンを辞めません。

 

2000年5月15日、An die MusikクラシックCD試聴記