ドレスデンの想い出

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その1

今日もビールがうまいぞ!

 また古い話で恐縮ですが、1991年のドレスデン滞在中、私は大変な経験をしました。車にはねられてしまったのです。ゼンパー・オパーでプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」のすばらしい舞台を観た後、私はホテルに戻る道をトコトコ歩いておりました。交差点で信号が青であるのを確認して渡っていたところ、猛烈な勢いで飛び出してきた車がありました。私は身をかわす間もなく接触し、吹っ飛んでしまったのです。その時は「ああ、俺は異国で死んじまうのか」と思いました。が、道路に叩きつけられたはずなのに、なかなか死にません。「はて、どうしたことか?」と我に返ると、体はほとんど何ともありませんでした。

 信号は確かに青だったし、私の前を歩いている人もいました。私をはねた運転手は、私がどうやら何ともなさそうなのを遠目で確認するや、さっさと走り去って(逃げ去って)しまいました。が、前を歩いていた人はご親切にも私のことを心配してくれて、いろいろ面倒を見てくれました。ホテルに戻ると、右手がすりむけて血まみれでしたので、コンシェルジュのお姉さんに「傷の手当をしたい」と言ったところ、よほど哀れに感じたのか、丁寧に包帯を巻いて手当をしてくれました。ドイツ人の親切ぶりは、ドイツに行ったことがある人なら誰もが経験していることでしょうが、その際は本当に有り難く感じました。おかげで、軽傷だったこともあり、私をはねた運転手に対する憤慨も特に感じませんでした。

 ところで、なぜ私が軽傷ですんだかと申しますと、当の車が「トラバント」であったからです。ご説明申しあげますと、「トラバント」は旧東ドイツの国民車です。旧東ドイツは、東欧諸国の最優秀国であったのですが、工業技術や原料が不足していたのか、車体はプラスチックと段ボールでできていたといわれるすごい車です。サイズは小さく、体の大きなドイツ人家族が4人も乗れば、さぞかし狭かったろうと想像されます。旧東ドイツの国民は、それでもこの「トラバント」を手に入れたくて、申し込んでから10年も待ったとか。なんだか東欧諸国の現実を象徴する車であります。しかし、そんな車だからこそ、はねられても手が血まみれになる程度ですんだのです。もし、頑丈なベンツであったならば、私は即死していたかもしれません。

 なお、「トラバント」はドイツでは「トラビー」の愛称で親しまれていました。洗練されておらず、何となく愛嬌のあるデザインがそう呼ばせるのでしょう。旧西側のアウトバーンでは、きたない煙を吐きながら、よたよたと走っている「トラバント」を何度も見かけました。私をひいた車ですが、「トラビー」を見かける度に「がんばれ、トラビー!」と私は叫んだものでした。

 去年ドイツに行った時には、さすがの「トラビー」もすっかり姿を消しており、ちょっと寂しくなりました。せめて昔ドイツを徘徊していた頃に、各地で売られていた「トラビー」の模型を買っておくんだったと悔やまれてなりません。

 

1999年9月22日、An die MusikクラシックCD試聴記