シュターツカペレ・ドレスデン来日公演2000
拍手鳴りやまず

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前編

シュターツカペレ・ドレスデン日本ツアーのチラシ

カペレ来日公演。おおよその日程は以下のとおりだった。

場所

プログラム

15日(土)

横浜みなとみらい

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

16日(日)

NHKホール

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

17日(月)

聖徳大学川並記念講堂

シューベルト:交響曲第7番「未完成」
モーツァルト:交響曲第40番
ベートーヴェン:交響曲第7番

22日(土)

サントリーホール

モーツァルト:交響曲第40番
マーラー:交響曲第5番

23日(日)

サントリーホール

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第一幕
「神々の黄昏」抜粋

24日(月)

札幌コンサートホール

モーツァルト:交響曲第40番
マーラー:交響曲第5番

 

 伝え聞くところによれば、16日NHKホールにおけるベートーヴェンの第9交響曲は今ひとつの出来だったらしい。終演後には力のないブラボーが一本だけで、拍手も大きくはなかったという。儀礼的な拍手だったらしい。聴衆は正直だから、自分で良いと思わなかった場合、大した拍手は贈らないものだ。第9交響曲といえば、熱気溢れる第4楽章を聴かせることによって聴衆を大満足させうる曲なのだが...。

 当日はペーター・ダム先生も登場した。ダム先生はカペレのアンサンブルの要としてひときわ重要な役割を果たし続けてきたが、高齢のために来日しないのではないかと噂されていた。その姿を拝めただけで感激した人も多かったであろう。しかし、あろうことか、天才ダム先生でも老齢には勝てなかったようで、NHKホールではいくつかの痛いミスを放ってしまったようだ。

 さはさりながら、一部のミスくらいではコンサートは影響を受けない。そうなると、気になるのは指揮者の実力だ。「やはりシノーポリにはベートーヴェンの演奏は無理なのか?」と私は大変不安な気持ちになった。

 しかし、22日(土)、サントリーホールで行われたコンサートを聴きに行った私は、文字通り熱狂的な聴衆を目撃する。聴衆は、盛大な拍手と、数知れぬブラボーを贈り、そして指揮者シノーポリをオケが完全に退場してからなおステージに呼び戻していた。延々と続く拍手。私も熱狂した。伝え聞いたNHKホールでの「不出来」とはうって変わったすばらしいコンサートであった。

 以下、22日のコンサートの模様を簡単にコメントしておく。

モーツァルト:交響曲第40番

 私の意表をついて、意外にも華麗な演奏であった。シノーポリは弦楽器を対向配置にし、さざ波が寄せては返すような面白い音響効果を聴かせていた。それにもまして注目すべきは、弦楽器の音色だった。透き通るような美しさとそのきらめき。古楽器ブームの中、シノーポリは今やオールドスタイルとなったモダン楽器による演奏を敢行しているわけだが、カペレを指揮する限り、大正解と言えるだろう。「耽美的」とまでは言わないが、カペレの透明感のある弦楽器のサウンドの上にヨハネス・ワルターのフルートがしっとりと響き渡った。ワルターのフルートは、ソロCDで聴くとビブラートがかかり過ぎているように思えるのだが、こうしたアンサンブルで聴くと、やはりすばらしい。ビブラートも適度だし、その冴えた清澄な音色が頭から離れなくなる。また、この曲のホルンにはダム先生が登場した。NHKホールではやや不調だったようだが、当日は地味ながらも完璧な演奏をしていた。演奏後、まるでメインプログラムが終わったかのような盛大な拍手が沸き上がった。さもありなん。なお、コンサートマスターはカイ・フォーグラー(Kai Vogler)。

マーラー:交響曲第5番

 ダム先生は舞台に現れはしたが、残念なことにアシに回ってしまった。故にパート・ソロでもほとんど吹いてくれなかった。モーツァルトでは目立ったソロがなかっただけに期待していたのだが....。痛恨の極みである。

 しかし、このマーラーはカペレの底力を見せつける圧倒的な演奏であった。シノーポリはマーラーを得意としているため、かなり期待をもって聴き始めた演奏であった。もちろん、冒頭のトランペットから度肝を抜くような熱演。冒頭のトランペット・ソロは割合ゆっくりとしたテンポだったので、その音色を如実に聴き取れたのだが、渋く太い独特の音色だった。実は、このトーンが全曲を支配していたのだ。驚かれると思うが、シノーポリはこの曲をパワーで乗り切ることなく、カペレの音色を完全に活かしながら、渋く、熱い演奏を繰り広げたのである。これには正直声も出ないほどに感動した。金管楽器の強奏時にさえ、その音色は弦楽器群の音色に溶け込み、突出しない。楽器のバランスは絶妙であった。弦楽器のアンサンブルは驚異的で、弱音部分における美しさは凄みを感じさせた。

 シノーポリはエキセントリックな表現は全く取らず、指揮は最後まで正攻法。しかも、力で圧倒するのではなく、カペレの持つ比類なきアンサンブルとその渋い音色で勝負したようだ。このマーラーは、華麗であった上記モーツァルトと正反対で、あえて言うならば、渋さの極みである。そのようなマーラーを私は全く想像もしていなかった。

 私はこれに似たショッキングな演奏をひとつ知っている。ブロムシュテット指揮によるカペレの「英雄の生涯」である。私はあのような演奏はもはや過去の録音でしか接することができないと思っていた。にもかかわらず、当日、私が聴いた音色はあの「英雄の生涯」に近いものであった。ゼンパーオパーで私がカペレを聴いたときも、決して刺々しくなることのない、ブレンドされたフォルテッシモに感動したものだったが、よもやシノーポリのマーラーでそれを再び味わえるとは夢にも思わなかった。

 大熱演であったし、この演奏の価値は多くの聴衆に理解されたようだ。大きな拍手となるのも当然だろう。サントリーホールが割れるような拍手であった。シノーポリも大満足、おそらくは会心の演奏であっただろう。

エリヒ・マークヴァルト

 

 なお、ホルンのソロはエリヒ・マークヴァルト(Erich Markwart)。ダム先生、ヴィンツェ先生と並ぶホルンセクションの首席である。マークヴァルトは、ワイマール音楽院で学び、1989年以降カペレに在籍。ダム先生と違ってインターナショナルな音色を持つ。しかし、大変な風格があるソロを聴かせた。

 

後編

 

 23日(日)の演目はワーグナーの「ワルキューレ」第1幕と、「神々の黄昏」からの抜粋であった。「神々の黄昏」の抜粋とは、「夜明けとジークフリートのライン騎行」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」でる。

 シノーポリは1985年以降バイロイト音楽祭に出演し続けている。しかも、今年の「ニーベルングの指輪」はシノーポリが指揮するという。それが実現すれば、バイロイト史上、最多出場になるらしい。その事実を知って私は目を丸くしたのだが、私の認識不足だったようだ。シノーポリのオペラで本当に評価されてきたのは他ならぬワーグナーであったのかもしれない。

 サントリーホールでシノーポリは見事なワーグナーを聴かせた。バイロイトでも、まず間違いなく大成功するだろう。シノーポリ、オペラ指揮者として並々ならぬ実力を身につけていたようだ。

ワルキューレ:第1幕(コンサート形式)

 あっという間に終わったワルキューレであった。気がついたら、終わっていた。それが演奏に関する唯一の不満である。

 このステージにはダム先生をはじめ、カペレの錚々たるメンバーが勢揃いしていた。私は双眼鏡で顔ぶれを眺めていたが、それだけで興奮してしまった。しかし、「ワルキューレ」ではアンサンブルの乱れが少なくなかった。精緻なアンサンブルとは言えなかったと思う。それでも聴衆が熱狂したのは理由がある。シノーポリの指揮だ。シノーポリは意外と語り上手な指揮者だ。第1幕後半、フンディングが眠り、ジークムントとジークリンデだけの舞台になると音楽はどんどん白熱化してきた。シノーポリは言葉をゆっくり、丁寧に語らせ、歌わせ、情熱的に音楽を盛り上げる。ステージ上の熱唱に感染した私は思わず感涙にむせんでしまった。音楽は豊かな情感を伝えるものだ。少々のアンサンブルのキズがあったとしても、熱く燃え上がる演奏は聴衆を熱狂させる。

 案の定、演奏終了後すさまじい拍手とブラーボーの嵐。その激しさは前日のマーラーを上回っていた。ワーグナー指揮者シノーポリと歌劇場オケとしてのカペレの面目躍如たるステージであった。惜しむらくは、コンサート形式による上演であったことだ。ジークムントとジークリンデには熱烈に抱擁して終わってもらいたかったが...。コンサート形式とは何と味気ないものか。

 さて、面白かったのはジークリンデの役だ。声量でジークムントとフンディングを圧倒していた。ジークリンデを歌ったソプラノのイヴリン・ヘリツィウス(Evelyn Herlitzius)という人は、ベートーヴェンの第9では金切り声を張り上げてしまい、あまり評判が良くなかったようだ。それもそのはず、この人は猛烈なワーグナー歌いだ。大オーケストラを向こうに回して一歩も退かない。パンフレットには

<この年(1997年)にドレスデン国立歌劇場管弦楽団に「フィデリオ」のレオノーレでデビューし、同時に3年間の出場契約を同歌劇場と結んだ。1999年ドレスデン国立歌劇場よりクリステル・ゴルツ賞を受賞。シノーポリの信頼の厚い歌手の一人である>

と記載されている。なるほど、これでは信頼が厚いだろう。ワーグナー以外でも、おそらくエレクトラなどを歌えば、完全にはまってしまうタイプだ。やや大味なのかもしれないが、ジークリンデを歌ってすっかり聴衆を熱狂させるのだから大したものだと思う。私も痺れた。

 このソプラノと比べると、ジークムント役のローラント・ワーゲンフューラー(Roland Wagenfuehler)はどうしてもひ弱に感じてしまう。ワーグナーを各地で歌っているそうだが、ヘルデン・テノールとしては今ひとつだろうか。

「神々の黄昏」

 「夜明けとジークフリートのライン騎行」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」が続けて演奏された。ダム先生は完全に退場し、ホルン首席はマークヴァルトが担当していた。

 シノーポリは前日のマーラーとは違って、この3曲ではカペレのパワーを全開させた。すごいパワーだった。天地を揺るがす大音量でホールを埋め尽くした。と同時にピアニシモにおける静謐さも有効に活かしていた。ここではシノーポリのこころ憎い指揮ぶりを堪能することになる。

 特筆すべきは「ジークフリートの葬送行進曲」。当日の演目ではこの曲が最もすばらい。壮麗の極みであった。ホールではあまりの迫力に、咳の音すら全く聴かれない。聴衆は固唾をのんでシノーポリとカペレの作るドラマティックな音楽に聴き入っていた。もともと名曲だが、これほどの壮麗な音楽を聴けるとは。まさに圧倒的。シノーポリは一小節毎劇的効果を確認しながら渾身のタクトを振るっていた。彼としてもオケにしても会心の出来だったろう。実は当日のアンコールにはこの「ジークフリートの葬送行進曲」が再演された。シノーポリがこの演奏に自信を持っていたことがこれでも分かる。が、面白いことに、第1回目ほどの劇的効果を実現できていない。音楽はやはり1回性のもので、全く同じ演奏を二度繰り返すことはできない。興味深い実例であった。

 もちろん、終演後盛大な拍手が贈られた。ブラボーもすさまじかった。遠目で見てもシノーポリは大変ご満悦だった。私としても、期待以上の演奏を聴けて大満足。白状してしまうと、シノーポリをすっかり見直した。その意味では、私にとって非常に重要なコンサートだったと思う。

 

2000年1月24日、25日、An die MusikクラシックCD試聴記