シュターツカペレ・ドレスデン来日公演2009

文:ゆきのじょうさん

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プログラム2009

ファビオ・ルイジ指揮シュターツカペレ・ドレスデン

4月25日(土)、ミューザ川崎シンフォニーホール

プログラム

  • R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30
  • ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98

アンコール

  • ウェーバー:「オベロン」序曲

コンサートマスター:ローラント・シュトラウマー

 

■ 連れのことば

 

 今回のカペレの演奏会には、私には連れがいました。連れはクラシック音楽については「ど」が付く以上の素人です。私も事前にあれこれ講釈をするのはどうかと思っており、今回もどこのオーケストラの演奏会なのか、曲目は何なのか(それを知っても事前に予習することもないので同じことなのです)、知らずに演奏会に連れ立ってきました。そんな連れのことばです。

 (会場でどこの国から来たのかを初めて聞いて)

 まあ、そんな遠くから川崎まではるばる来て、大変だったろうに。

 オーケストラの団員は、何だか親しみやすく気の良い人々のようだ。

 (演奏会が終わって)

 音が出てきたときに、どこかにスピーカーがあって、そこから出ているのではないかと思うくらいにまとまっていた。沢山の人間が演奏しているとは思えない。

 今まで聴いてきたオーケストラ(いかなる演奏会に来たのかは、ここでは触れません)の中で、一番うまいと思う

 いったいどうすると、あんなにまとまるのか不思議だ。

 以上、一切脚色のない、連れのことばでした。

 

 

 

 最初の「ツァラトゥストラはこう語った」では、ルイジは大きなスコアを置いて、それを見ながらの指揮でした。しかも、1ページ、1ページを逐一めくっていくのではなく、ところどころでめくっているのです。席がやや遠かったのでしおりが付いていたのかどうかは分かりません。後半はスコアを見ずに指揮していました。

 これを見ながら、個人的な妄想としては、ルイジはリヒャルト・シュトラウスの曲はあまり馴染みがないのだろうなと考えました。と、同時にカペレはカペレなりのリヒャルト・シュトラウスに対する語法を持っているのだろうとも感じました。そして、これも個人的な勝手なる想像ですが、ルイジが目指そうとしている音楽の呼吸と、カペレが本来受け継がれてきた呼吸とには微妙なずれがあるようです。

 当夜に買い求めたパンフレットのルイジのバイオを読むと、ルイジは元々ピアニストとして音楽を始めているようです。だから、という短絡的な発想は慎むべきかもしれませんが、カペレの特に管楽器奏者たちとの呼吸に、その「ずれ」が感じられました。カペレの奏者たちは自分たちでアンサンブルを合わせる息づかいがあるように思います。管楽器奏者たちは、その息継ぎの際にお互いの出だしや音楽づくりの「合わせ」を本能的なくらいにしているようです。ところがルイジの棒はそれより一瞬早く「出」を要請しています。したがって、ルイジの棒に合わせる奏者と、カペレの伝統的な「合わせ」をする奏者との間に「ずれ」が出ているところがあちこちありました。

 それでは、お前は演奏を楽しめなかったのかと言われると、これが不思議なことにはっきりと「楽しめた」と断言できるのです。ルイジは「カペレのリヒャルト・シュトラウス」に新しい輝きをもたらしていると思います。ちょっと聴くとルイジの棒は(悪い意味ではなく)「浅い」と感じました。それが「深い」呼吸をするカペレとの間に「ずれ」を作っていると思ったのです。しかし聴き続けると、ルイジの前に進んでいこうという推進力と、カペレが本来持っている、力のある響きとが合わさって、ルイジの言う「レッド・ゴールド」の輝きを作っていると感じることができました。

 それにしても不思議なのは、今回の来日に合わせて「ツァラトゥストラはこう語った」の新譜が出るのだろうと思っていたのに、出なかったことです。他に採り上げている「英雄の生涯(原典版)」「アルプス交響曲」と同等の大曲である「ツァラトゥストラはこう語った」だけが録音として出ていません。同じく未録音の「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」とカップリングして来日記念盤で売り出すことは当然考えられるでしょうに。さらにもしかしてと勘ぐるのは、今回の来日中に「ライブ録音」と称して日本で収録することはないのだろうかと考えたりもしてしまいます。

 閑話休題、今回「ツァラトゥストラはこう語った」を聴いて考えた、もう一つのことは、ソニーで進行中のリヒャルト・シュトラウス全集における録音スタイルです。既存の録音と同じルカ教会で収録しているのに、正直聴いた印象ではあまりに違う響きに戸惑いがありました。それが実演を聴いてみると、録音とは異なる響きでした。会場が違うという要素を除いても、ルイジ/カペレの録音は実演とは違う響きの重なりでした。これはルイジの作る音楽の新しい輝きに録音スタッフが惑わされ、カペレの持っている呼吸の深さと響きに比べて過度の強調をされたのではないかと妄想するくらいのことでした。

 さて、後半のブラームス/第4は大変な熱演でした。ルイジはこの曲をどのような音楽にするのかということが明確になっているのでしょう。今度は暗譜で指揮をしていました。カペレもルイジの意図をよく理解して演奏していると思いましたが「ツァラトゥストラはこう語った」でも感じたルイジの(悪い意味ではない)棒の浅さと、カペレが持っている、より深い呼吸とのずれはありました。侘び寂びの世界より真っ赤な情熱を帯びた第4というのは珍しい体験で、私自身はとても満足したのですが、批判される方々もいらっしゃることと思います。

 お約束の、行為そのものが目的になっているとしか思えない「ブラヴォー」が連発される中で演奏されたアンコール、ウェーバー/オベロン序曲が一番良かったと考えた方は多いだろうなと思いました。

 ルイジ/カペレの演奏を聴いて、このコンビはリヒャルト・シュトラウス以外ででも、もっと録音を出せば世評も変わるのではないかと思いました。と同時にこの新しく魅力的な響きをどうやって音として遺すのか、は課題の一つだとも考えます。

 

(2009年4月26日、An die MusikクラシックCD試聴記)