私のカペレ
第1回 「シュターツかぶれ」さん

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 小生が当オケを実際に体験したのは大学時代。当時大学のオケでオーボエを初めて2年目頃のことです。梶本音楽事務所の方が実はこの大学オケの先輩OBでありまして、ある日、当オケの来日公演の楽器運び(トラックの搬送ではなく、会場での上げ下ろし)のバイトをやらないかというアリガたーいお話を頂いたのです\(^o^)/。

 1978(7?)年のことでした。初日は東京文化会館、午後2時頃だったでしょうか。楽器を運び終わると「ステリハやるから自由に聴いていってイイよ」と更にアリガたーいお言葉ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ。

 客席は我々トーシロの学生10数名だけ。指揮台にはブロムシュテット氏(当時は「銀行マン」のような風貌で、ちっとも指揮者然としていませんでした。

 始まったのは、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死。冒頭そっと入って来るチェロの響きには背筋が震えました。木管の溜息のようなフレーズを経て、前奏曲の主題が始まる瞬間、低弦のピチカートはそれこそ「堰を切る」ような力感に溢れていたのを、そして「愛の死」のクライマックスでも、管のよく溶け合った響きが決して弦の音を消さなかったことを覚えています。リハーサルとはいっても、全く止まることなく最後まで。日頃数小節単位で苦労していた我々トーシロ集団には別の世界の出来事でした。

 後半はブルックナーの5番、冒頭のピチカートがずらり並んだ低弦セクションの「一点からしか聴こえない」ことにまたまた驚きました。一緒にいた先輩は「ピッチが合うって事はこういうもんやなぁ…」

 どうやらホールの響きを確認するためのリハーサルだったのでしょう。第3楽章スケルツォの細かい音符のアンサンブルにボウイングの指示を繰り返したことを除けば、この大曲も殆ど通してしまいました。また第1楽章ではブロムシュテット氏が演奏を止めずに指揮台を降り、客席の我々の隣で腕組みしながら響きをチェック、という光景も。客席に人がいないせいか、本番より良かった様な…(^^;)

 リハーサル終了後、ステージマネージャーが指揮台で「本日の予定…云々」と皆の喜ぶことを言ったのでしょう。突然歓声とともに弦の刻みがオルガンのように鳴り響きました。さすがプロ…

 私が感じたのは実に柔らかく、かつ芯のある響きだということ。これはピッチの正確さとお互いの音を実によく聴き合っている事、加えてそれぞれのパートがどこでどの様なバランスを取ったらいいかをよく理解している事、そしてこれらが日常的に徹底されていることの成果ではないかと感じました。

 この教訓とでも言いますか、今だに私のオケ活動の支柱になっております。そして、Mahn氏のオーボエの音も…

 この来日時には、東京でのコンサートは全てバイトに出勤。ステリハではベートーヴェンのレオノーレ序曲第2番、「田園」及び第7交響曲も素晴らしい体験でした(ダム氏のR.シュトラウスのプロは客席で聴きました)。

 当オケは、ステージに登場するとき、コンサートマスターから率先して出てくるのですね(今回のフォーグラーさんもそう)。そして、全員揃うまで立って待っている…こんなのも伝統でしょうか?

 

 

 

◎以下は付け足し的「番外編」です。この来日時の小さな思い出です。「アマの学生オケのヤツラって、こんなトコばかり聴いてたのか?!」という誤解を恐れずに(^^;)書き込みます。ご笑納下さい

  • ブルックナー5番の第2楽章はObのソロが流れます。ホルツホイザーさんというOb首席は、リハーサル時ミスの連続で、我々トーシロ連中も「これでプロか?」と訝りました。しかし、ドイツとは気温・湿度が全然違う旅先で、リードの調整に苦労していた事が全く解らなかったのは「島国根性の半可通以外の何者でもない」と後で反省した次第。
  • モーツァルト「パリ交響曲」の本番のこと。終楽章は2nd-Vnの細かい音符で始まります。1回目は1st-Vnと合いましたが、2回目はあれよあれよと先に行ってしまって、聴いていて冷や汗ものでした(数秒後のトゥッティからきちんと合いました)。
  • ブラームス2番の本番のこと。第1楽章でObが初めて「D−Cis−D」と奏する箇所、Obのマーン氏とFlのワルター氏が急に肩を寄せて2本のユニゾン。楽器の音が溶け合って全く別の音色に変わりました。これが、マーン氏の芸を知った瞬間です(^^)。本番後、楽屋で自分の楽器ケースにマーン氏とブロムシュテット氏のサインを貰いました。フルネームで「ハインリヒ・クルト・マーン」と読めましたが、マーン氏の横から「ハインリヒ・ヨハネス・ブラームスと書いてない?」と冗談を言ったのはなんとブロムシュテット氏でした。
  • ベートーヴェン「田園」の本番のこと。第4楽章「嵐」のVc,Cbの16分音符が「うわっ、みんなちゃんと弾いてる!聴こえるッ!」(゜O゜)、また終楽章のダム氏の「牧人の笛」は本当に「木管の音色」でした。
  • ベートーヴェン7番の本番のこと。第1楽章再現部でObのマーン氏がなんでもないミスをした途端、続くフレーズでFlのワルター氏、次いでClの…氏と次々連鎖ミス。3者連続珍プレー。「お互いに聴き合い過ぎると、ミスも伝染するんですかねぇ?」「いや、このオケなら「同じように間違える」のも練習してんだよ(゜_。)…」

◎加えて、楽器を運びながら色々見聞きしたこと…昔の記憶ですので、勘違いだらけかも知れませんが、

  • 事故にでもあったら大損失なので、海を渡る演奏旅行には、団所有の良い弦楽器は出さない、とか聞きました。もちろんコンマス等は自分の楽器を個人で持ち歩いてましたが、大部分の楽器は整理ダンスのような番号付きの箱詰で運搬(とても重かった)。
  • 木管楽器などは、主席奏者の楽器まで積木箱のようなモノに無造作に放り込まれていて、各奏者が「エエト、俺の楽器は…」と手を突っ込んで探してました。
  • コントラバスは1台ごとに、巨大なメトロノーム型のケースに格納。糸巻きの部分を上から革紐で釣る「免震構造」でありました。
  • ティンパニは革張りの名器でなく、何故か「米国製」。ひょっとしてその場限りのレンタルだったのかも?
  • 舞台衣装「燕尾服、タイ、靴」も整理ダンスで到着。東京文化会館では、楽屋でなく反響板裏に置かれ、皆さん自分の番号の蓋を開け、やおらズボンを脱ぎだしたのが刺激的でした(首席奏者等は違ってたと思う…)。
  • 何日目か、ついにバイト先の会場に自分の楽器を持参。楽員がリハーサルに出てくる寸前、譜面台や楽譜の並んだステージに勝手に上がり、演奏したり座ってみたりの悪行三昧をやってしまいました。楽員が何人か笑って見てた様な気が……若さのなせる技でしたね。
  • 相手もこちらの顔を覚えたようで、楽屋通路で楽器の片付けに待機する我々と、引き上げてきた奏者さんとが、片言で挨拶する位の親密さに。ドイツ語会話はチンプンカンプンでしたが、楽器のメーカーや特殊用語は逆によく分かるので、サインに加え、自分の楽器やリードを見て貰ったり、はたまた教則本を貰ったりする仲間まで現れました。本当に幸せな経験でした。もうこんな事はありますまい。
 

2000年7月4日、19日、An die MusikクラシックCD試聴記