豪華キャストによる夢の「フィガロ」を聴く

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CDジャケット

モーツァルト
歌劇「フィガロの結婚」
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1964年、ルカ教会
BERLIN Classics(輸入盤 0020962 BC)

 私は幸運にもゼンパー・オパーで「フィガロ」を観た経験がある。大変驚いた。序曲が終わって、フィガロが歌い出す歌詞がドイツ語だったからである。バリトンが歌うまで、私はドイツ語での上演だとは露ほども知らなかった。だから、序曲の後で、別の曲が始まったかとさえ思ったのである。ご存知のとおり、フィガロ(バリトン)は
Cinque...dieci....venti....trenta....trentasei....quarantatre...
と歌い出すのだが、ゼンパー・オパーでは
Fuenfe....zehne...zwanzig....dreissig...sechsunddreissig....ja, ja, es geht.
であった。私はあまりの衝撃に我を忘れ、音楽を一瞬聴けなくなったことを今でも鮮明に覚えている。

 それというのも、私は「フィガロ」の歌詞をイタリア語のままかなり覚えていたからである。私が最初に買ったオペラCDは「フィガロ」だった。CDが登場した頃は値段が非常に高く、必ず3枚組になる「フィガロ」は12,000円もした。だから、なけなしのお金をはたいて買ってきた貧しい私は、嬉しさのあまり本当に抱いて寝てしまった。もちろん、隅々まで聴き込んだことはいうまでもない。そうしているうちに歌詞まで覚えてしまったのである。

 同じような経験を持った読者はきっと私だけではないだろう。人気曲としての「フィガロ」の地位は不動のものだし、心底聴衆を楽しませてくれる優れた音楽であると思う。音楽が優れていれば、何も「フィガロ」がイタリア語で歌われる必然性はないのだが、何回も繰り返し聴き、イタリア語の歌詞まで覚えてしまうと、ドイツ語の「フィガロ」はかなり異様に映る。しかし、ドイツ語であっても、モーツァルトの音楽はやはり楽しい。ことに、今回紹介するスウィトナーの「フィガロ」を聴くと、その思いを新たにする。

 スウィトナーのモーツァルトはかねてから評判がよい。地味な指揮者ではあるが、モーツァルト指揮者としての名声は古くからあり、その録音も廃盤になることなく、聴き継がれている。そのスウィトナーが「フィガロ」を残してくれたのだから、たまらない。もちろん、極上の演奏で、録音も1964年であるにもかかわらず、極めて良い(最新録音に全く引けを取らない)。私は超お買い得CDだと思う。このCDを聴いた人はまず間違いなく、「これはすごい名盤だ!」と確信するだろうし、その後愛聴することになるはずだ。宝物のように大事にしている人もいるかもしれない。

 にもかかわらず、このCDが名盤案内の類に登場することはまずない。私は見たこともない。これほどの名録音を落とすから、名盤案内はあてにできなくなるのである。カタログとしての役にも立っていないことになる。確かに今は輸入盤でしか入手できないし、しかも、ドイツ語による歌唱である。通常のCDと同一視はできない。だからといって、演奏は凡庸な指揮者、歌手による駄演に比べるとまさに天と地の開きがある。優れた録音であるのに、どうしてこのCDが語られないのか? 本当にふざけた話である。

 ここでは、モーツァルトの音楽が、喜々として歌われており、終始楽しい雰囲気に包まれている。私の場合だけかもしれないが、いくら名曲の集まりである「フィガロ」でも、CDを3枚続けて聴くのは辛いと感じる。が、スウィトナー盤で聴く演奏には大変勢いがあり、どんどん前に進む。序曲を聴き始めるや、一気に最後まで聴き通してしまう。それほどの勢いがある演奏はそんなにないのではないか? その理由は録音時の雰囲気にあるのではなかろうか?どうも、この録音は大変和やかな雰囲気の中で行われたらしい。CDの解説&リブレットには録音風景のスナップ写真が載っているので、いくつかご紹介したい。

 

ペーター・シュライアーとスイトナー

談笑するペーター・シュライアー(左、バジリオ)とスウィトナーおじさん(右)。シュライヤーさんの方が偉そうに見える。

      

ヘルマン・プライとフィリッツ・オルレンドルフ

見つめ合う二人の男、ヘルマン・プライ(左、アルマヴィーア伯爵)とフリッツ・オルレンドルフ(右、バルトロ)。でこぼこコンビで何となくおかしい。

    

ワルター・ベリーとローテンベルガー

役柄とはいえ、夫婦のように寄り添うワルター・ベリー(左、フィガロ)とローテンベルガー(右、スザンナ)。微笑ましい。

   

全員の記念写真

最後は全員で記念写真だ。後列中央に立つのがスウィトナーおじさん。みんなにこにこしているぞ。

   
 

 いいなあ。これは楽しそうだ。録音当時が、いかに古き良き時代であったか、良く感じ取れる。でっぷり太っていて、仏頂面のイメージが強いスウィトナーさんも、こんな雰囲気を作れる人だったとは。歌手の方々も楽しみながら録音に参加しているとしか思えない。だからこそ、良い音楽作りができたのだろう。

 スウィトナーの作り出すテンポは、結構緩急自在で、それが心地よい。のんべんだらりとしたところがない。音楽が息づいているというのはこんな感じをさすのであろう。

  出演した歌手は以下のとおり。豪華キャストである。歌いぶりについては聴いてのお楽しみにしておこう。

  • アルマヴィーア伯爵:ヘルマン・プライ
  • 伯爵夫人ロジーナ:ヒルデ・ギューデン
  • ケルビーノ:エディット・マティス
  • フィガロ:ワルター・ベリー
  • スザンナ:アンネリーゼ・ローテンベルガー
  • マルチェリーナ:アンネリース・ブルマイスター
  • バルトロ:フリッツ・オルレンドルフ
  • バジリオ:ペーター・シュライアー

 私はこのCDを聴いて、ドイツ語の歌唱が全く気にならなくなった。音節の区切り方がイタリア語と違う場所など、歌手にも苦労がありそうだ。が、ドイツ語で歌われるからこそ、このようにアット・ホームになったのであれば、もっとドイツ語でCDを制作すべきだと思う。

 最後に。この演奏を支えたのがカペレであることは明らかである。序曲冒頭の柔らかく、コットンのような弦楽器の響きを耳にして溜息が出る人も後を絶たないであろう。指揮者とオケ、歌手が渾然一体となっている。私は自分の結婚式で、披露宴開始直前に「フィガロの結婚」序曲を流した。その時にはまだこのCDを持っていなかったが、もし、このCDが私の手許にあれば、序曲どころか、全曲を使っていただろう。これは名盤である。見つけたら、必ず買うことを強くお勧めしたい。

 

1999年10月19日、An die MusikクラシックCD試聴記