伝統とは...
オケの国際化は急速に進展しているらしい。オケの団員は事実上フリーランサー化しているともいう。団員は、少しでもランクが上と目されるオケに次から次へと転籍していくので、どこもかしこも独自色のない音色になりつつある。人間だけでなく、楽器まで変わるから、伝統を守り、維持していくのは生半可なことではないだろう。
シュターツカペレ・ドレスデンにはその「伝統」という言葉がよく似合う。「伝統の響き」とくれば、まず、カペレかウィーンフィルの話だろう。
では、カペレはどのようにして伝統を創り上げ、維持してきたのだろうか?おそらく、それは長きにわたる師弟関係によってである。伝統の継承は、師匠から弟子へと匠の技を実地で訓練することによって行われてきた。ドレスデンにはオケに付属する音楽大学があり、カペレの主要メンバーは教授職を努めている。各楽器の主席クラスは、次代を担う若手を少しずつ育成していくシステムがあるのだ。そうすることによって、伝統のサウンドが維持されてきたのである。こんなことは、フリーランサーの集団ではとてもできない。「伝統」という言葉が似合う二つの団体、シュターツカペレ・ドレスデン及びウィーンフィルの共通項はこの継承方法にあると私は見ている。
しかし、伝統という言葉は本当に難しい。伝統を維持するというのは、本当はどういうことなのだろうか。あるセクションの奏法などを徹底的に揃え、クローン(生き写し)を作っていくことなのだろうか?多分、違う。例えば、カペレの名物フルーティストにフリッツ・ルッカー(Fritz Rucker)という人がいた。カペレの歴史に残るフルーティストだったらしい(戦前から戦後バイロイトに参加 1937年、1951年−1956年のバイロイト メンバーリストに登記があるという)。おそらくベーム、コンヴィチュニー時代などの録音で聴くフルートはこの人が吹いているのだろうが、私は彼のソロCDを持っていないため、その音色を確認することはできない(実は、1962年5月、スウィトナー指揮でドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」を収録している。BERLIN Classics 30342BC ただし2000年3月現在未聴)。
ではあるが、この人の弟子は現在立派に活躍している。首席フルーティストのヨハネス・ワルター、エッカート・ハウプトがそうだ。いずれもルッカーの指導を受け、カペレの首席に就いている。二人の音色を聴けば、ある程度ルッカーのフルートが想像できると考えられる。結果はどうか。
最近のヨハネス・ワルター教授 ヨハネス・ワルターは1937年生まれ。ルッカーのもとで修行を積み、1958年カペレの第2フルート奏者、1960年ドレスデンフィルの首席フルート奏者を経て1963年、カペレの首席フルーティストになっている。これは師匠であるルッカーの退団に伴う異動であったらしい。26歳でカペレ首席となったのも師匠の推薦があったのだろうが、ずっとその位置を守り続けているのだから、すごい。
ヨハネス・ワルターは2000年3月現在63歳。定年は65歳のはずだから、もうじき退団する。カペレのフルートを支え続けたヨハネス・ワルターはすっかり好々爺状態である(一説では、ハンチィング帽をかぶった容姿はなかなかダンディーとのこと)。しかし、彼の経歴を見ると、プリンスそのものであったことは容易に想像される。CDも何種類か出ている。今回はそのひとつをご紹介する。
モーツァルト
フルート四重奏曲集
フルート演奏:ヨハネス・ワルター
ドレスデン室内合奏団(Dresdner Kammersolisten)
- バイオリン演奏:ラインハルト・ウルブリヒト(Reinhard Ulbricht)
- ビオラ演奏:ヨアヒム・ウルブリヒト(Joachim Ulbricht)
- チェロ演奏:ヨアヒム・ビショーフ(Joachim Bischof)
録音:1971年11月、ルカ教会
BERLIN Classics(輸入盤 0031922BC)収録曲はモーツァルトのフルート四重奏曲全曲で、フルート四重奏曲第1番から第4番まで順に並べられている。この録音はワルターがバリバリの若手であった頃に行われただけあって、実に美しい音色を楽しめる。全く清澄なフルートである。清澄ではあるが、ワルター教授のフルートは大変繊細で、神経質になる一歩手前にあるのではないかと感じるときもあるほどだ。ただし、ワルター教授が参加したとおぼしきカペレの諸録音で、フルートのビブラートが気になったことはない。ソロCDを作る段になって初めてこのような表現を行ったのかもしれない。
面白いことに、同じ曲の録音をエッカート・ハウプトも残している。ルッカー門下の新旧対比ができるのでご紹介しよう。
モーツァルト
フルート四重奏曲集
- フルート演奏:エッカート・ハウプト
- バイオリン演奏:ペーター・ミリング(Peter Mirring)
- ビオラ演奏:ペーター・シコラ(Peter Schikora)
- チェロ演奏:ゲルハルト・プルスクヴィック(Gerhard Pluskwik)
録音:1988年、ルカ教会
Capriccio (輸入盤 10 282)こちらは収録曲は同じだが、フルート四重奏曲の第1番から始まり、4番、3番、2番の順になっている。エッカート・ハウプトの異動もヨハネス・ワルターと似ている。ハウプトは、1962年から1967年に ドレスデン、ライプツィヒでルッカー、エーリッヒ・リストに師事、作曲法をマンフレード・ワイスに学び、ドレスデンフィルに一時在籍し、カペレ首席として迎えられている。そして同門の先輩と同じ曲を録音しているわけだが、この比較をすると、意外にもワルター教授との違いに驚かざるを得ない。
本当に同門なのか?ハウプトのフルートは繊細と言うよりも芯が太く、ふっくらとした感じがする。ビブラートはさほど目立たない。少なくともソロCDを聴いた印象はまるで違う方向を向いている。
どうしてこんなことになったのか?実は、私は二人が同門ということを知って驚いたのだが、もしかしたら、こういうことではないだろうか。
「ルッカー教授は別に自分のコピーを作ったわけではない。ルッカー教授が伝えたのは第一に匠の技である。確かに、次世代を担うことができる英才を発掘した。しかし、その個性は伝統の中でつぶさないよう、最大限に重視しつつ育成した」。
この二人の演奏を聴くだけで、クローンが製造されてきたわけでないことは明らかだ。伝統を維持するとは生易しいものではないのだろう。常に新しい血を混入させ、良いものを取り入れていく姿勢がなければ、ただの骨董品になってしまうのである。個性を活かしながら、カペレ全体としてはまとまりのある伝統のサウンドを維持し、ある時は発展させていかなければならない。おそらく、私ごときには窺い知れない見えない努力が山ほどあるのではないだろうか。
なお、ハウプト盤の演奏者の母体はペーター・ミリング(Prof. Peter Mirring)率いるミリング弦楽四重奏団。1969年結成の同カルテットは1995年位まで活動していたが、チェロのプルスクヴィック(Gerhard Pluskwik)の引退で活動停止。しかし他3名はドレスデン・バロックゾリステンに活動の場を移し、ハウプトと演奏活動、レコーディングを続けている。1999年5月15日、ドレスデン城でドレスデンゆかりの音楽の演奏会を450年シーズン記念に開いた模様。
2000年3月31日、An die MusikクラシックCD試聴記