ブロムシュテットの「英雄の生涯」を聴く

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■ 前編 奇跡の録音

CDジャケット

R.シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」作品40
ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
バイオリン演奏:ペーター・ミリング
録音:1984年9月10-14日、ルカ教会
DENON(国内盤 COCO-75005/07)

 

 これは私にとって大変思い出深い1枚である。というのも、私が熱狂的カペレファンになったのはこの録音によるところが大きいからである。確か大学4年生の時だったと思うが、オケでクラリネットを吹いていた友人が、「とても面白いCDを買ったから聴きに来ないか」と私を誘ってくれた。何でもブロムシュテットが指揮した「英雄の生涯」だという。オケはドレスデン国立歌劇場管弦楽団だとか。いかにも渋そうな組み合わせだったので、ちょっと二の足を踏んだが、友人は「とにかく聴いてみろよ!」というのでやむなく一緒に聴き始めた。そして、冒頭に現れるチェロ、ビオラ、ホルンのユニゾンを聴いて飛び上がらんばかりに驚いた。何という渋い音であろうか? 渋い。渋すぎる!でもすごいぞ!どうしてこんなサウンドが出せるんだ?一体このオケはどうなっているんだ?渋いサウンドなのに、干からびた感じはないし、豊饒な音だ。それからの45分間は、私にとって驚きの連続であった。このCDを聴かせてくれた友人は、呆気にとられる私を見てニヤリとしていた。彼がその後カペレの熱狂的なファンになったわけではないようだが、私はこのCDによって熱烈なファンになり、しかも10数年後にはカペレのページを作り始めてしまったのだから、1枚のCDが与える影響は極めて大きい。

 今聴き返してみても、この「英雄の生涯」はあらゆる同曲の演奏の中でも抜きんでて地味!である。少しも華々しくないし、強烈でもない。だから、派手な演奏を好む方にはお薦めしない。「英雄の生涯」には、カラヤン最晩年のド派手な演奏もあるので、カッコいい「英雄の生涯」を聴きたければ、迷わずカラヤン盤を買うべきである。カラヤン盤は私のようなリスナーが思い描く「英雄」像をそのまま音にしてくれており、まことに華々しい。私だって、ブロムシュテットのCDにわずかばかり遅れて発売されたカラヤン盤を聴いたときは、「やっぱり<英雄の生涯>はこうでなくては!」と思った(本当)。

 しかし、印象に残る演奏という意味では、ブロムシュテット&カペレ盤である。この演奏が他の演奏と一線を画していることは、聴いてみれば誰にとっても明らかだろう。「英雄の生涯」は長大な交響詩であるわりには、どの指揮者も豪華絢爛さを押し出そうとするせいか、どれを聴いてもあまり変わり映えのしない音楽に思えるが、そうではないことをブロムシュテット盤は完全に証明している。オケの音色はまるで現代的でなく、全体に木質感が感じられる。金管セクションにその傾向が強く、素材が違うのではないか?とまで思わせる。だから、ピカピカしたサウンドは聴かれないが、それが不満につながるどころか、驚異的ですらある。ホルン軍団の音色など、オケから飛び出すこともなく、完全にブレンドされている(ソロ・ホルンの柔らかい音色を聴く限り、ダム先生がトップを担当している模様)。ティンパニの強打さえもオケの豊饒な響きの中に沈み込んでいる。楽器のブレンド感は、一体何と表現すればよいのか。

 もっとも、これは派手な演奏ではないが、充実した演奏であることは明記する必要がある。ブロムシュテットは奇を衒わない正攻法で音楽を展開しているが、音楽に隙がない。比類なきサウンドを楽しむだけでも十分に価値のあるCDであるが、音楽の燃焼もすばらしい。強奏時においてまろやかに溶け合う各楽器の音色を聴きながら、情感溢れる演奏を堪能できる。派手ではないが聴かせる演奏で、汗をかきながら聴いてしまう。このCDを聴けば、このようなアプローチが可能であったのかと思い知らされることもあるだろう。

 東ドイツは閉鎖的な空間であった。が、それにしても現代離れした音である。どのセクションをとっても19世紀のザクセンから突如現れたような古風さがある。これは不思議な録音だ。国際化という名前の無国籍化、無機質化が進行するオケの世界でこのようなサウンドが収録されたのは奇跡に近い。この録音はDENONによるデジタル録音の傑作である。音質的にもこれ以上望み得ない水準に達している。大音量で再生してもうるさくならない名録音が、壁が崩壊する以前のドレスデン・サウンドを見事に収録していると思う。歴史的にも極めて価値の高いCDである。ヘッドフォンだけでクラシック音楽を聴いておられるファンもいると思うが、このCDばかりはスピーカーを通して、渋く豊饒なサウンドを楽しむべきだ。

 私は単に音を正確に発するだけのオケが優れていると思ってはいない。この録音に聴かれるような独自の特色を楽しませてくれるからこそオケを聴く醍醐味があるわけで、ただ単に技術だけを求めれば、究極的にはシンセサイザーの奏でるオケが一番ということになりかねない。そうではないのである。オケは有機体なのだ。それぞれが独自の歴史を持ち、サウンドを維持している。このCDはカペレの歴史であり、サウンドのひとつのサンプルなのである。

 こんな渋い「英雄の生涯」、聴いていない方は騙されたと思ってCDショップに走るべし!

 

■ 中編:音楽を語るには...

 

 ブロムシュテットがカペレ在任中に録音したLP、CDには優れたものが多い。上記ブロムシュテット&カペレの「英雄の生涯」も地味ながら、すばらしい出来だ。さすがに音楽ファンの間では常に聴き手を獲得しているらしく、DENONも廃盤にしたことはないようだ。しかし、しかしである。この盤についての良からぬ論評もあるので、あえてここで取りあげてみたい。ご存知洋泉社MOOK「クラシック名盤&裏名盤ガイド」の一節である。

 「英雄の生涯」の項ではドレスデンの録音3種(ケンペ、ブロムシュテット、シノーポリ)の中でブロムシュテット盤が薦められている。曰く、「指揮者の新しさと、オケの古さが絶妙にマッチして、安心して聴いていられる。オケの上手さも3枚の中では一番で、余裕のある雄大な音楽が展開される」。なるほど、そうかもしれない。でも、その後が気になる。

この録音の現場を知るディレクター氏によると、あの時代、西側のレコード会社と東独シャルプラッテンが共同制作を行う場合、ドレスデンの録音はいわば国家の威信をかけたものだったそうで、管のソリストなどはベルリンやライプツィヒなどから呼び集められ、いつもはお世辞にも上手いとはいえないドレスデンのオケが、見違えるようになったとか。なるほどね。

(p.155 阿佐田達造)

 この数行の文章は、私を絶句させるに十分なインパクトを持っていた。旧東ドイツのオケが時として謂われのない誹謗をされることがあるのは承知していたが、最愛の団体の、最愛の録音がこのような形で論評されるとは思ってもみなかった。しかし、「いつもはお世辞にも上手いとはいえないドレスデンのオケ」という部分を一笑に付すことは容易だが、「管のソリストなどはベルリンやライプツィヒなどから呼び集められ」という部分の真偽を確かめるのは難しい。私は「もしかしたら、本当にそうなのだろうか?」と何度も思った。旧体制下では、当局の命令のもとでどのような演奏家だって集結させられるだろうから、あり得ない話ではない。そのため私は悶々とした日々を過ごしてしまうことになるのだが、ひとつ自分でできる解決方法を見つけた。それは「カペレのCDをメジャーなものから、誰も知らないドマイナーなものまで含めて片っ端から聴いてみよう。いくら何でも全てのCDに旧東ドイツのオールスターが参加しているとは考えにくい。どのCDを聴いても共通に感じられるサウンドがあれば、阿佐田氏による文章が正しいかどうか分かるかもしれない」というものだった。

 私はそれを実行し、結論を出した。すなわち、「もしかしたら、エキストラとして数人が録音セッションに加わった可能性は否定できない。が、首席クラスなどの重要なポジションなどで、録音時のみ首のすげ替えが行われたとはとても考えられない」ということである。カペレのページを公開以来ずっとお読み下さった方は、何故マイナーなCDばかりが登場し、しかも、各セクションの奏者を検証する文章ばかり登場するのか疑問だったろう。それは、この検証活動を知っていただきたかったからである。他のCDを聴いて、カペレの一部なりとも理解できたならば、一体どのセクションのどの人を入れ替えて録音する必要があったのか想像もできないのではないだろうか。阿佐田氏は、管のソリストがベルリンやライプツィヒから呼び集められたというが、それは誰だったのだろうか。まさか、フルートのソロを吹いていたヨハネス・ワルターがはずされ、別の団体の奏者が吹いていたとでもいうのだろうか? あり得ないと思う。管のセクションだけをとってみても、誰も変える必要がないはずだ(別に旧東ドイツに限らず、西側のオケでもトップ奏者にエキストラが入るのは珍しくないようだ。が、それは生のコンサートの時であって、カペレともあろうものが、わざわざ録音セッションを行う際、トップ奏者にエキストラを入れるのだろうか?)。「英雄の生涯」などの大編成の曲で末端にほんの数人エキストラが入ったのは可能性として否定できないが、私は阿佐田氏の文章は否定して構わないと思う。

 阿佐田氏の文章のもとになったのは、「この録音の現場を知るディレクター氏」の発言である。だから問題は、本当は阿佐田氏ではなく、そのディレクター氏が正しい情報を持っていたかどうか、にあると思う。そのディレクター氏とて、まことしやかに伝えられる風聞を、これまたまことしやかに語って伝えただけなのかもしれない。旧東ドイツの情報は希少であった。だからこそ、わずかな情報に振り回される。当時の事情を考慮すれば、やむをえない点もあるかもしれない。しかし、こうした文章が要らざる検証活動を要求する羽目になるのだから、影響力は甚大なのである。もしかしたら、私以外にも阿佐田氏の文章を読んでショックを受けた方がおられるのではないか?ご安心あれ、私が保証する。あれは紛れもないカペレサウンドであると。私もゼンパー・オパーでカペレのサウンドを聴いてきた一人である。しかも、壁の崩壊直後で、カペレの弱体化などが囁かれたいた矢先であった。その当時でも私を完全に魅了したカペレなのだ。私は自分の耳を信じたいと思う。

 なお、「クラシック名盤&裏名盤ガイド」は1996年に出版された大変ユニークな本だ。若手の執筆者を集め、抱腹絶倒、傍若無人、唯我独尊、前人未踏のCD評が満載された。それは某権威的月刊誌とは全く異なるコンセプトであったから、大変新鮮に感じられた。自分の聴き方が某月刊誌の論評やその他の名盤ガイドと違っていたのを気にしていた私はこの本を読んで大いに安心した記憶がある。でも、あのページだけは改訂してほしいと切に願っている。

 

■ 後編:比較試聴

 

 ブロムシュテットの「英雄の生涯」はもうひとつあるので比較試聴してみたい。

CDジャケット

R.シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」作品40
メタモルフォーゼン
ブロムシュテット指揮サンフランシスコ響
録音:1992年2月21,24,25日
DECCA(輸入盤 436 596-2)

 ブロムシュテットは、1975年から1985年までカペレの首席指揮者、85年から95年まではサンフランシスコ響の音楽監督を務めている。96年からは北ドイツ放送響の首席指揮者に就任したが、これは長続きせず、99年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管に移った。オケは多数の人間の集合体だから、指揮者とオケの相性は必ずある。ブロムシュテットの履歴の中でカペレとサンフランシスコ響における地位が10年も続いたのは、その相性の良さを如実に示していると言って良いだろう。

 ブロムシュテットはカペレ時代、契約していたレコード会社がドイツ・シャルプラッテンだったため、非常に地味な印象があった。東ドイツのオケだったから、あまり西側のメジャーレーベルと録音を頻繁に行うわけはないので致し方ないだろう。我がDENONも決して華やかなレーベルではないから、ブロムシュテットの録音はあまり話題に上らなかったように記憶している。

 ところが、ブロムシュテットがサンフランシスコ響の音楽監督になるや、メジャー中のメジャーであるDECCAが彼を獲得し、いかにもDECCAらしい大々的な売り出しを始めた。そのため、ブロムシュテットは一挙に有名指揮者になったように見える。扱いは格段に大きくなった。突然大家になったような感じである。が、この指揮者の本質は何も変わっていないはずだ。断っておくが、否定的に言っているのではない。私は彼の良質が少しも損なわれていないことを言いたいのである。

 事実、DECCAに録音した「英雄の生涯」は、その解釈はカペレ盤とほとんど変わらないうえ、カペレ盤との共通点に少なからず気がつく。当然のことだが、ブロムシュテットにはブロムシュテットの「英雄の生涯」像があるので、旧盤から8年程度が経過しただけでは、際立った違いはないのである。サウンドに対する嗜好も同様で、決してきらびやかさを表面に出さない、しっとりとした音を目指しているようだ。私はサンフランシスコ響を生で聴いたことがないので、実際にこのCDに聴くような音が出ているのかどうか分からない。もしかしたら、私が聴いているのはサンフランシスコ響の音ではなく、DECCAの、それも名物エンジニア・ジェームズ・ロック氏の音かもしれない。が、「英雄の生涯」冒頭の低弦やホルンの響かせ方、バランスからしてカペレ盤とそっくりなのである。私はカペレ盤を聴いたとき、指揮者の存在は二の次で、オケが完全に主導権を握ったオケが主役の演奏だと思っていたが、どうもそうではないようだ。やはりブロムシュテットという名伯楽あってのカペレ盤なのである。

 ではカペレ盤とサンフランシスコ響盤のどちらがよいか。これは聴き手の趣味・嗜好の問題だから何とも言えない。ただし、私はカペレ盤が好きである。サンフランシスコ響盤で聴くサウンドは、確かにブロムシュテットが細心の注意を払いながら、過度にきらびやかにならないように作られてはいるものの、やはり現代的である。機能的に見れば、非常に高いレベルにあり、初めてこの曲を聴く人にとっては、その後のスタンダードとして記憶されるかもしれない。サンフランシスコのオケがこれほど高機能だとは私にとっては大変な驚きであった。演奏上のキズがなく、しかも流麗なサウンドを楽しめる。しかし、新盤は、優れた演奏であるが、それでもなお「one of them」なのである。カペレ盤は、現代離れしており、これを他の演奏と一緒くたにすることはとてもできない。同じ指揮者でもオケが変われば違う演奏になるのである。ブロムシュテットがどちらを気に入っているのか興味があるところだ。

 

2000年6月13-15日、An die MusikクラシックCD試聴記