カール・ベーム怒濤の「死と変容」を聴く
R.シュトラウス
交響詩「死と変容」作品24
カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1972年8月、ザルツブルク祝祭大劇場
DG(輸入盤 463 190-2)カール・ベーム指揮の交響詩「英雄の生涯」の余白に収録されている「死と変容」。ザルツブルク音楽祭におけるライブ録音である。これは余白埋めとはとても思えないすごい演奏だ。時に1972年。カール・ベームは既に重厚長大おじさんになりかけているのだが、この演奏を聴く限り、そんな様子は微塵も感じられない。カール・ベームは昔からスタジオ録音ではつまらない演奏を聴かせるが、ライブでは燃える演奏を聴かせるといわれているが、全くごもっともだ。こんなすごい演奏を聴くと、「ベームのスタジオ録音は一体何なのか?」と首を傾げたくなる。ベームは「燃えている」というより完全に我を忘れているのではないか?
しつこくいうが、R.シュトラウスの管弦楽曲は、私にはやかましくて、うるさくて、鼻につくことが多い。ウケを狙った音楽作りが好きになれない。しかも、この「死と変容」はどこをどう聴いてもハリウッドの映画音楽っぽくて、何だかまじめに聴いていられなくなる。
にもかかわらず、これほどすごい演奏を聴かせられると、感動せざるを得ない。まず、風圧を感じさせる重量感に圧倒させられる。また、壮麗に鳴り響く怒濤の音楽が、いつものように空虚な音響に堕することなく迫真のドラマとして迫ってくる。ここでは大変生々しい音楽になっていると思う。カール・ベームはR.シュトラウスから全幅の信頼を置かれた指揮者だというが、これを聴けばそれも頷ける。おそらくカール・ベームはR.シュトラウスの音楽を心から愛していたのであろう。だからこそ、全身全霊で打ち込んだ、このような演奏ができたのだ。映画音楽並みのスタイルをもった交響詩が、忘我の境地に達したカール・ベームの手にかかると、まるで黙示録の世界に様変わりしてしまう。私のようにR.シュトラウスの交響詩に冷ややかな人間でもドキドキしながら聴いてしまうし、怖いほど感動する。落涙する人もいるに違いない。
このような優れた演奏は、聴けるだけでも有り難い。おそらくはORFが放送用に録音したものだろうが、それをCD化してくれたグラモフォンには感謝しなければならない。また、ORFがステレオでこの名演奏を録音してくれたことはまさに天佑である。ステレオ録音といってもその水準はいろいろあるが、これはマイクの設定などを考えると、最高の音質ともいえる。
さて、この怒濤の感動大作を支えているのがカペレであることはいうまでもない。「死と変容」は音量の差が甚だしい音楽で、静寂が支配したかと思うと、突如天地を揺るがす大音響になる。ソロも多いし、オケの技術が問われる曲である。カペレはベーム渾身の指揮に見事に応え、変幻自在の壮麗な音色を聴かせている(とても「いぶし銀」などではない)。ホルンセクションを中心とした金管の分厚くもまろやかな響きがここでもすばらしい。特筆すべきは木管群である。シュターツカペレ・ドレスデンの木管は意外なことに褒める人がいないが、大変魅力的な音色を放っている。まずフルート。「死と変容」では特に重要なパートで、これが貧弱では話にならない。カペレの演奏ではまさに天上の響きが味わえる。それと、オーボエ。これは残念ながらこの曲ではフルートほどの見せ場がない。それでも魅惑的な艶やかさが十分楽しめるであろう。カペレの木管楽器群の音色は、伝統的な音色が失われつつある現在でも十分残っているように思われる。伝統を維持するための継続的努力が、よほど真剣になされているものと思われる。
なお、この録音が行われた1972年は、カペレにとって極めて重要な年である。カペレの名盤の数々はこの年に録音されている。それが何故なのかは、また別の機会に考えてみたい。
カール・ベーム指揮の「死と変容」は他にもあるので、念のためご紹介申しあげる。まず、アムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮した56年盤。
コンセルトヘボウの名指揮者たち
PHILIPS(国内盤 PHCP-3476/8)これはコンセルトヘボウ管とゆかりの深い6人の指揮者、すなわち、ベイヌム、ベーム、ケンペン、モントゥー、セル、コンドラシンの名演奏を集めた3枚組企画CDである。ベームの「死と変容」はそのDISC 1に収録されている。聴衆のノイズが全く聴き取れないことを考えると、おそらくスタジオ録音であろう。テープが伸びて音質劣化が激しいところもあるのが残念であるが、演奏は克明に聴き取れる。
56年といえば、ベームは全盛期だ。だから、それ相応の演奏を期待したのだが、少し期待はずれである。コンセルトヘボウ管も名器だから、その織りなす大音響はすごい。が、どうもベームさん、少しノリが悪そうである。最後まで聴いているのが辛い。やはりベームはライブでなければ燃えないようだ(この演奏が当CDのすべてではないので念のため)。
そこで登場するのが、ウィーンフィルとのライブだ。
シェーンベルク
交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5
録音:1969年
R.シュトラウス
交響詩「死と浄化」作品24
録音:1963年
カール・ベーム指揮ウィーンフィル
DG(国内盤 POCG-2622)このCDに収録された2曲は、いずれもウィーンのムジークフェラインザールで行われたライブである。しかもシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」はベームとしては極めて珍しいレパートリーで、歴史的価値が高いCDだと思う。
ここで聴く「死と変容」(このCDでは「浄化」と書いてある)はライブならではの猛烈な迫力を持った演奏だ。オケが天下のウィーンフィルだけあって、大波が押し寄せるような大音響を聴かせる。さすがにウィーンフィルはR.シュトラウスの演奏などお手の物という感じがする。名演奏だから、有名な洋泉社MOOK「クラシック名盤&裏名盤ガイド」にもこの録音は取り上げられている(p.193)。例によってその文章を抜粋してみよう。
...怒濤のような演奏ぶりである。ベームのどこにこのような感情のたぎりがあったのだろう。息の長いフレージングがことさらに劇的緊張感を高め、ティンパニーの強打がせき止められていた感情を一気に解き放つのである。
そして、静寂から次第にアッチェランドしていき、巨大な感情の渦に引き込み、フルトヴェングラーのごとき演奏をするのである。たとえベーム本来の姿とは別であり、一時の例外的な演奏だとしても、真に輝かしい演奏の記録が残されたことを喜びたい。
(渋谷和邦)
なるほど。確かにこうした印象を強く受ける演奏だ。しかし、私が思うに、ベームとはそんな演奏をする指揮者だ。私もずっと誤解していたが、ベームは燃えたぎる演奏をガンガンやっていたらしいのである。だから、「ベーム本来の姿とは別」というのはちょっと変な気がする。
さらに、洋泉社MOOKで上記引用部分を読むと、「これは72年ドレスデン盤のことを指しているのではないか」と錯覚してしまう。批判を恐れずに申しあげるが、シュターツカペレ・ドレスデンとのライブを聴いた後では、さすがのウィーンフィルとのライブも色褪せて聞こえてくる。ウィーンフィルもシュターツカペレ・ドレスデンもR.シュトラウス演奏にかけては大変な伝統をもつのだが、この曲に限っては72年ドレスデン盤が大きくウィーンフィル盤を凌駕していると断言したい。もしかしたら、執筆をした渋谷さんもカペレとの演奏を聴いていなかったのかもしれない。
1999年10月7日、11日、An die MusikクラシックCD試聴記