ブロムシュテットとカペレによる「シューベルト交響曲第9番」を聴く
文:松本武巳さん
シューベルト
交響曲第9番ハ長調「グレート」
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1981年3月23−27日、ドレスデン・ルカ教会
ETERNA(東独盤8 27 679-680)LP■ カペレ在任時代がブロムシュテット黄金期のスタートだった
ヘルベルト・ブロムシュテットは、1927年アメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドで、両親ともにスウェーデン人の家系に生を受けた。2歳で帰国し、5歳からはフィンランドに移住。さらに5年後に母国に戻った。その後、音楽学を専攻し、現代音楽や古楽を研究したいわば学究肌の人物である。その後長じて、1975年から85年まで、縁あってシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務めた。アメリカ生まれのスウェーデン人が、旧東側の名門オーケストラの首席指揮者を長年務めた経緯については、「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝−音楽こそわが天命」(ヘルベルト・ブロムシュテット著、力武京子訳)アルテスパブリッシング社(2018年初版)に、本人により詳しい事情が語られているので、ぜひ参照願いたい。まさに一読の価値ある書物である。
間違いなく言えることは、ブロムシュテットの在任期間が、シュターツカペレ・ドレスデンの絶頂期と重なっていたことである。この時代を支えたのが、政治体制のまるで異なる国の出身であるブロムシュテットであったのだ。そしてブロムシュテット自身にとっても、演奏家としての最初の黄金期に相当するのである。その後、シュターツカペレ・ドレスデンが旧東側のオーケストラとしての足元が揺らぎ始める1985年まで、ブロムシュテットが成し遂げた功績は、ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集を始めとした多くの優れた録音によって、疑いなく証明されているのである。■ これまであまり取り上げてこなかったブロムシュテットの録音
私は、かつてブロムシュテットについて、あまり取り上げてこなかった。それは、彼が決して嫌いなのではなく、むしろ私にとってあまりにも身近な存在であったからなのである。私が1978年に初めてシュターツカペレ・ドレスデンの生演奏を聴いたのは、ブロムシュテットの指揮によるオール・ベートーヴェン(確か交響曲第6番と第7番であった)の演奏会であり、その後も、NHK交響楽団との多くの共演だけでなく、チェコ・フィルとの2009年の来日では、伝説ともなっているブルックナーやドヴォルザークの演奏など、個々に挙げればきりがないほど、彼の指揮姿には接してきているのである。長年連れ添った奥様を亡くされた翌年だったかの来日公演では、長身を傾けながら歩かれる少々元気のない姿を目の当たりにし、とても心配したこともはっきりと覚えている。
■ ブロムシュテットの置き土産、ベートーヴェンとシューベルトの全集
ここでは、ベートーヴェンはさておいて、シューベルトの交響曲第9番「グレート」を取り上げたい。ブロムシュテットは、後年サンフランシスコ交響楽団と再録音し、さらにライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とも、同曲の録音を残しているが、ここでは、1981年3月にシュターツカペレ・ドレスデンと残した、全集中の1枚について取り上げたいと思う。
ドレスデンのルカ教会で録音された、長大な交響曲「グレート」の演奏は、一般的な演奏よりも若干アクセントを明確に刻みつつ、かつ古楽の演奏様式も一部考慮に入れたような、とても端正でかつ実に美しい、まさに天国的なゆったりとしたテンポで第1楽章が開始されるが、なんと言っても開始早々のホルンの柔らかい響きに、まずは心を奪われるのである。第2楽章では、木管を中心とした響きがとても古風な雰囲気を醸しており、これこそシュターツカペレ・ドレスデンが、俗に「いぶし銀」と言われる理由なのかと、そんな風に納得させるような渋い味わいを感じ取らせてくれるのだ。続く第3楽章ではトリオを過ぎたあたりから、徐々に全体的に明るく近代的な響きに変わっていき、終楽章では弦楽器と管楽器が美しく溶け合うような素敵な雰囲気を充満させて、無事に曲を閉じるのである。
この演奏に限らず、ブロムシュテットの指揮は、基本的に開始前に全体像をしっかりと確立した上で、曲全体の一体感を何よりも重視するために、終楽章に向けて徐々に高揚感を高めていくような指揮とは、明らかに一線を画している。そのために、会場全体を巻き込んで興奮の坩堝となるような、そんな熱狂型の指揮をブロムシュテットに期待しても基本的に無理なのである。そのために、ブロムシュテットの指揮が、上手いけれど聴後の印象がかなり薄いとか、演奏全体がとても淡白であるなどの意見が出ることは、ある程度はやむを得ないと思われる。ただし、この長大な交響曲に於いて、たとえば後半のリピートを基本的に省略しているのは、それだけでも全体を引き締める効果があり、彼の指揮の特性と合わせると、この長大な交響曲の指揮としては、一部のリピートの省略は見識だと言って良いだろう。■ 改めて今のカペレに想うこと
旧東側の閉鎖的な空間に閉じ込められていたからこそなしえた、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの特質であり美質であるという意見も、実際に多く聞かれる。しかし、私はそのような意見に与しない。世の中全体がグローバル化していく中で、オーケストラの特質をどのように残していくのかと言った議論は、シュターツカペレ・ドレスデンだけの話では決してない。確かに、旧東側が崩壊した直後、旧東側の名門オーケストラはどこも人材の流出と、技術的な実力低下に一時期悩んだのは間違いない。しかし、後のシノーポリの時代や、ティーレマンの時代に於いても、何をドレスデンの音として求めるのかといった点や、昔の響きを基礎とした観点から捉えると、各々何らかの不満が渦巻くとしても、オーケストラの格まで下がってしまったとは思えないのである。機能性の維持という面では、彼らは十分に任を果たしているのである。
しかしながら、ブロムシュテットが首席指揮者を務めた10年間は、まさにシュターツカペレ・ドレスデンの絶頂期であったと思うのである。一見、接点がなさそうな旧東側のオーケストラと、アメリカ生まれの北欧人による、奇跡的な10年間であったことは、今後も語り継がれるべき大きな成果をもたらした10年間であったと思うのである。もちろん、ブロムシュテットの着任前に、ベーム、ケンペ、スウィトナーらによって、シュターツカペレ・ドレスデンの礎が築かれていたことも功を奏したと思われる。この10年間は、なんという至福の10年間であったのだろうと、今なお思わずにはいられない10年間であったことが、このディスクからもはっきりと聴きとることができると、私は常々考えている。(2023年10月21日記す)
2023年10月21日、An die MusikクラシックCD試聴記