シベリウスの音楽が持つ官能性を上手く引き出したカペレの伴奏
文:松本武巳さん
シベリウス作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
アンネ−ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
アンドレ・プレヴィン指揮ドレスデン・シュターツカペレ
録音:1995年5月、ドレスデン、ルカ教会
ドイツグラモフォン(輸入盤447895-2)■ はじめに
この録音は、ムターが年の離れた最愛の夫を病気で亡くした直後に、何とその後再婚することになる相手(彼とも後に離婚)と録音した協奏曲である。本来は演奏者のきわめてプライヴェートな部分を、しかも冒頭で紹介することは、とても勇気がいることなのだが、今回の試聴記の根幹をなす事実であるので、あえて紹介した次第である。
■ シベリウス没後50年の年にフィンランドを訪れて
昨年2007年は、シベリウスの没後50周年の年に当たったが、私はフィンランドを昨夏2回に分けて訪問した。その際にシベリウス公園や周辺を数時間かけて歩き回った際に、シベリウスの音楽に対する自身の価値観が微妙に変化したことを、ここで吐露しておかなければならないと思う。気候の厳しいフィンランドが、本質的に持っている内省的な部分は、とても良く語られているが(特に交響曲4番にからめて多く語られる傾向にある)、この国と風土と民族がそもそも反面として持っている、明るく開放的な雰囲気は、一方で政治的な緊張を強いられる地理的関連も含めて考慮してもなお、私が夏に訪れたせいもあるとは思うが、すべてを忘れさせるほどに私を感動させたのである。そして、シベリウスの音楽が持っている晦渋な部分を含めて、彼の音楽の本質が、フィンランドの明るく開放的な本質に近いことを感じるようになったのである。そして、彼の音楽の持っている官能性に関しても、とても興味を持つに至ったのである。
《シベリウス公園にあるオブジェとシベリウスの像》 《コンサートホールをオペラハウス東側の湖から南側に向かって見た遠景》 《オペラハウスの正門(ここから西に徒歩10分程度でシベリウス公園)》 《シベリウス公園のすぐ西側の内海の様子》 ■ ある方のホームページから引用します
『肌を刺すような極寒の湖の水面に、灼熱の意思を胸の奥底に秘めた女神が舞い降り、今まさに始まろうとする珠玉の舞踏に対峙する時の一個人としての責任と恍惚・・・。第一楽章の冒頭を聴く度に、たかがCDをかけ、「音楽を聴く」という凡庸な行為の裏側で、私の右脳はいつもヒリヒリと緊張している。とても心地良い緊張。背筋を氷の針が伝うような凛とした緊張だ。ヴァイオリニストを目指し、挫折した経歴のあるシベリウスが、「弾けるものなら弾いてみろ。」と呪いを込めて練り上げたような楽曲(以下省略)』
私はこれほどまでに見事な、この曲の関する紹介文をかつて読んだことが無かったので、ここに執筆者の了解を得ないままではあるが、紹介させて頂きたく思った次第です。
■ 今度は宮沢賢治に話が飛びます
宮沢賢治とシベリウスの関係については、現実に専門的な研究がなされている。二人の共通性について書かれた論文である。その中から、これまた引用であるが、下記の文章をぜひ紹介したい。
『もし機会があったら、賢治が妹を亡くした年の夜空を見上げて構想した「銀河鉄道の夜」と、シベリウスが弟クリスチャンを亡くした年に作曲した「交響曲第6番」とを、聴き比べて欲しい。悲しく叙情的な賛美歌の中からコトコトと天空を走る銀河鉄道にジョバンニが乗り込む第1楽章、プリオシン海岸や渡り鳥の出てくる神秘的で静寂に満ちた第2楽章、リンゴの香りの中から現れた姉弟と草原を走るインディアンが聞こえる幾分リズミックな第3楽章、そして暗黒星雲の前で親友カンパネルラを見失い泣きながら走るジョバンニを切なく描く第4楽章....と、まるでお互いの作品を知っていたかのような見事なシンクロニシティがここには聞こえるのだ。』
ちなみに、フィンランド大使館のホームページには『1926年12月、ラムステットフィンランド初代公使(G.J.Ramstedt 1873-1959)は東京国際クラブで農業についての講演を行った。講演の最後に彼は「農業技術の近代化によって伝統的日本の栽培方法は時代遅れのものとなる」と不用意な発言をしてしまった。これを快く思わなかった聴衆は、講演者に話し掛けることなく会場を去った。唯一人その場に残ったのは、花巻農学校職員の宮沢賢治(1896〜1933)であった。彼はこの日本語を話す外国人に興味を持った。宮沢は、自らの文学作品の中で好んで方言を使用したので、2人はすぐに方言という共通の話題を見出した。』と紹介されている。
宮沢賢治 ラムステット ■ 日本人の好む話題をひとつ…
なぜか日本人が好む、偶然性についてもほんの少し触れておきたい。
ひとつは、宮沢賢治の没したのは1933年9月21日であり、シベリウスの没したのは1957年9月20日であること。両国の時差を勘案すると、どうも同じ日に没したようである。
ふたつは、初代公使ラムステットは、私の生まれた同年月に没していること。
みっつは、1926年12月は、大正天皇が崩御し、昭和に移り変わった激動の月であること。
よっつは、宮沢賢治の写真が、An die Musik運営者の伊東さんに酷似しているように思えてならないこと。実は初めてお会いしたときに思ったことです。非礼があれば何卒ご容赦ください。かつ、両者は東北地方のご出身であることも追加しましょう。
■ ようやく本題に入ります
要するに、この曲の持っている本質がどうであるかはさておいて、私が現在求めているこの曲に関する官能性を見事に表現したディスクであるのだ。ただ、ムターが自身の演奏傾向をこのころから大きく変容させてきた事実と、むしろ以前のムターの方が好きであると表明される方が多いこと、これらは重要だと考える。しかし、このシベリウスは、後に結婚することになるプレヴィンの伴奏である。かつ前夫を亡くしたばかりの境遇であったムターは、自らの情念をさらけ出した演奏に終始していると思われてならない。これだけであれば、個人的感情をむき出しにした、崩れた演奏に過ぎないと思われる。実際に、シベリウスの音楽に対する様式違反であると切り捨てる評論すら存在している。
しかし、ここで私が思うことは、プレヴィンはかつてこの録音の25年前に、チョン・キョンファとの共演で、DECCAに窮極の名演を残していることと、さらに重要なのは、このディスクの伴奏を務めるオケは、本質的にシベリウスと最も遠いと思われるドレスデン・シュターツカペレであることである。指揮者とオケはそれぞれの立場から、崩れそうになる一歩手前で、ヴァイオリニストを上手くサポートし、結果としてこのヴァイオリニストの持っている、官能性の強い音色を、下品に堕することなく、かつ、シベリウスの音楽が本質的に持っているものの、普段は前面に出てこない官能性を、引き出すことに成功したと思えるのである。特に、ドレスデン・シュターツカペレは、普段あまり演奏しないからこそ逆に可能な、客観的なスコアを見つめる視点を重視した伴奏に徹したことが、このディスクに関してはきわめて有効な演奏形態となったように感ずる。
■ まとめ
このディスクが、教科書的な演奏であるとは思えない。しかし、これほどまでに、聴き手を惹きつけ、心を揺さぶる演奏はあまり無いと信じる。ある側面とはいえ、作曲家の隠れた本質をここまで見事に抉り出した演奏を、私はほとんど知らない。しかし、その凄みは、ムターが身内を亡くした直後であるからこそ成し遂げた、そんな凄みであり、かつそんな個人的情念をオブラートに包み込んだドレスデン・シュターツカペレの功績なくして、このディスクの価値は存在し得なかったことをお伝えしたかったのである。なお、蛇足であるが、同じ境遇で作られたと考えられる、前述のシベリウスの交響曲第6番と、宮沢賢治の銀河鉄道の夜は、ともに通好みの作品であることも敢えて付言したいと思う。それほどまでに、このディスクは客観的な評価や曲の解釈を超えて、私の琴線を突き刺したのである。そして、このことは昨夏、私がフィンランドを訪れたことも相俟っているとも信じているのである。
(2008年6月1日記す)
2008年6月1日、An die MusikクラシックCD試聴記