「いぶし銀の響き」とは?

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 カペレの音色を表現する際によく使われる言葉に「いぶし銀の響き」がある。最近はさすがにそんな言葉は影を潜めたようだが、私がクラシックを聴き始めた20年前、カペレやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の音色を表現するのに「いぶし銀」という言葉がほとんど枕詞のように使われていた。

 そもそもカペレとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の音を同列に「いぶし銀」と表現してしまうのはおかしいのだが、理由は考えられる。99年3月15日の「CD試聴記」にも書いたとおり、日本であれば音大生でも使わないような貧弱な楽器を使っていたという風説が最大の原因だろう。私は彼らの所有する楽器を間近に見た経験がないので、その噂が本当かどうか確認できないが、あってもおかしくはない。貧弱な楽器の音が混ざり合って、味のある音色がつむぎ出されたということは十分に考えられる。そうだとすると、同じ貧しい東ドイツのオケであるカペレとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の音色を「いぶし銀」と呼んでお茶を濁していたいう事情もあったかもしれない。

 しかし、これは変な話だ。日本語では本来「いぶし銀」とは褒め言葉だと思うが、そうとは思われない使われ方をされたのだ。ここではっきり言ってしまうと、少なくともカペレに関していえば、私はとても貧弱な音には思えない。「ゴージャス」とはいえないが、これだけ深みのある音を出すオケはめったにないのではないか? 私が思うに、「いぶし銀」などという表現が使われたのは、カペレが旧東ドイツにあり、その実演に接したことがない人が、適当な憶測だけで文章を書いてしまったことによるのではないだろうか? その証拠に、カペレの実演に接した読者からは「いぶし銀の響き」などという陳腐な言葉を聞いたことが一度もない。そもそもカペレはヨーロッパ随一の力量を持つオケであるから、音色が「貧弱な」わけはないのである。したがって、「貧弱楽器」説はどうも「いぶし銀」の理由としては使えない。

 そこで登場するのが、カラヤンの言葉である。カラヤンはカペレの常連指揮者ではないが、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(EMI)の録音を行い、カペレの録音史に大きな足跡を残した。そのカラヤンがカペレの音色について次のように述べているのだ。

"Wie Glanz von altem Gold"(ドイツ語)

これを英語に訳すと、

"Like the lustre of old gold"

となる。これはどう考えても「いぶし銀の響き」と和訳せざるを得ない(金と銀の違いはあるが)。ということは、紋切り型の「いぶし銀」発言の元凶はカラヤンなのか?

 私には情報が不足しているので、カラヤンがどのような意味を込めて"Wie Glanz von altem Gold"という言葉を使ったのか、よく分からない。カラヤンの「マイスタージンガー」を聴くと、すごい音がする。重厚であるし、祝典的な明るさもあり、また、透明感もある。だから、上記表現には、「派手にきらびやかな音を出すオケではないが、ただならぬ光を帯びている」というカラヤンの賛辞が込められていると私は信じている。少なくともカラヤンは前後の分からぬ日本の音楽評論家とは違って、カペレを絶賛している。「銀」ではなく「金」をもって音色を表現している点も注目されて良いだろう。

 ただ、その言葉が「いぶし銀」と訳されていたのであれば、言葉だけが一人歩きした気配は感じる。私の勝手な勘ぐりだが、カラヤンの影響力を考えると、「いぶし銀」という言葉だけが日本の音楽評論家の脳裏に刷り込まれてしまった可能性がある。カラヤンの言葉を利用すれば、すべて事足りてしまうわけだから、これ以上簡単なことはない。なにしろ、帝王カラヤンがお墨付きを与えているのである。それが紋切り型の表現につながったのかもしれない。また、困ったことに、"Wie Glanz von altem Gold"は「いぶし銀」と訳したくなるが、やはり「金」と「銀」では言葉の持つニュアンスが違う。このニュアンスの差を評論家諸氏が理解していたかどうかは全く疑問である。

 何度も言うが、私は「いぶし銀」という表現は好きではない。また、カペレの音色をそう表現することには大きな疑問を感じている。「いぶし銀」という言葉が、あまりにも安直にカペレの音色を表現するために濫用されたからでもある。私はカペレの音色の本質は柔らかな「木質感」にあると思っている(特に60年以降)。ゼンパー・オパーで実演に接した時も真っ先にそう感じた。カラヤンのように「金」を連想する人もいるが、私は「木」である。

 これはすごいことだ。全く違う感じ方である。かたや「金」(あるいは「銀」)、かたや「木」。どうしてこれほど相反する素材が同一オケの音色表現に使われるのか? もしかしたら、このように幅広い表現が産まれるところにカペレの魅力があるのかもしれない。読者の方々のご意見を窺いたいところである。

 

1999年10月1日、An die MusikクラシックCD試聴記