サンソン・フランソワのドビュッシーを聴く
第1回 前奏曲集第1巻を聴く(総論)

文:松本武巳さん

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■ ドビュッシーの作曲技法−ひいてはフランス音楽の特質について

 

  前奏曲集第1巻は1909年から1910年に作曲されました。この曲集を素材として、まずはドビュッシーの作曲技法の特色から入りたいと思います。いきなりですが、作曲家としての理論的側面に限りますと、私は、ドビュッシーこそがフランスの代表的作曲家であると思っています。のっけから申し訳ありませんが、そもそもフランス音楽に対して、一般的に、今なお多少の偏見があるのではないかと思っておりますので、若干のお時間を頂戴して、ドビュッシーの音構造に関しまして、事前に多少のお話をしたいと思います。この前提のお話が、フランス音楽全体に及ぼす理解力の向上に資すると信ずるからでして、そもそもの目的は、フランス音楽への偏見の打破であることをご理解くださると、書き手としてとても幸甚です。

 次に、私のフランス音楽の理解は、フランス人作曲家であったダンディが著した『作曲法講義』(残念ながら、邦訳は無いと思います)を根底として、メシアンやブーレーズが語ったドビュッシーに関する発言や著作、さらにダリウス・ミヨーとそのお弟子さんである別宮貞雄(べっく・さだお)先生の著作に、これから書かせていただく内容は、大きく依拠していることを、予めお断りしておこうと思います。むしろ、別宮先生の授業中のお話と彼の著作の受け売りに近いであろうことも、事前に告白しておこうと思います。別宮先生のこの点に関するご発言等に対する、引用の域を超えていると思われる記述も、もしかしたら出てくるかも知れませんが、本稿の主旨に鑑みて、何卒ご了解をいただければ幸いに存じます。

 

■ 和声上の問題点−協和音概念の拡張

 

 和音には完全協和の和音なるものが存在します。たとえば、「ドミソ」は五度音の完全協和音です。この「ソ」を「ソ♯」に置き換えたものが、五度の上行変質和音であり、「ソ」を「ソ♭」に置き換えた和音が、五度の下行変質和音となります。しかし、前者は和声上では良く見られますが、後者はほとんど見られません。下行変質和音は、上記の例を踏襲しますと、「ソ♭」をオクターヴ下に移動して、「ソ♭ドミ」の形で通常は表れます。通常はさらに属七、属九への転回をした結果、和声的に落ち着くのです。

  ドビュッシーはこのような変質和音を多用していますが、彼の特質はこれを変質と捉えずに、協和音として捉えているのですね。このことは、何を意味するかと言いますと、変質和音であると捉えた場合、その時点から楽曲が転調したものと考えられますが、ドビュッシーは協和音として捉えているために、転調を伴わないことが多いのです。これらに関して、実は和声上は決して禁則ではないのですが、きわめて和声上や音響上、独自の世界が形成されると思います。ドビュッシーならではの音の第一歩は、このような和声上の特則から説明が可能です。

 

■ 和声上の問題点−並行和音

 

 次に、和声をかじった方ならば、一度は聞いたことがあると思いますが、並行五度、並行八度の禁則という、著名な和声上の法則があります。しかし、ドビュッシーは、例外的に禁則を用いるのではなく、彼の作曲上必須の事項として、並行和音を多用しています。これを分かりやすく説明しますと、「ドミソ」が1音上がると「レファ♯ラ」、もう1音上がると「ミソ♯シ」となります。この「ド」と「ミ」の間は長三度ですし、「ミ」と「ソ」の間も長三度ですから、並行移動しても何ら問題はありませんが、ドビュッシーの場合は、「ド」と「ソ」の部分ごと「レ」と「ラ」、「ミ」と「シ」に並行して移動しますので、完全に(連続)並行五度の状態が多々表れてしまうのです。彼は確信犯としてこの作曲技法を常用しております。

  しかし、大昔のグレゴリア聖歌が、中世以後モノフォニーからポリフォニー音楽に進化していった頃までは、実は普通に五度和音の並行移動に関しては、使われていたのですね。後世、特にドイツを中心に、和声上の禁則として理論上形成されたものなのですね。この点では、ドビュッシーはそもそもフランス音楽の旗手であるわけですから、歴史上前例のある作曲技法に舞い戻っただけであるとも言えるのです。

 

■ 旋法上の問題点

 

 長旋法という言葉をお聞きになられたことがあると存じます。ところが昔から、フランスでは、長旋法以外の旋法を好む傾向が見られました。しかし、和声学が進歩するに伴って、また音楽が複雑なものになるに従って、根本的な楽曲構造や骨格は、和声付けを行いやすい長旋法が、圧倒的な優位を占めてきたのですね。そのために、フランス音楽は、近世以後ドイツ音楽に対して、完全に劣勢となってしまったのです。このとき、ドビュッシーは、例えば長旋法に準じた方法で短旋法を用いたり、前述したグレゴリア聖歌を筆頭とする、教会旋法を用いたりして、機能的な長旋法から距離を置く作曲技法を確立したのです。冒頭に私が、ドビュッシーこそがフランス音楽の代表的作曲家であると書いた所以は、ここにあるのです。

 

■ リズム上の問題点

 

 さて、リズムとは決して旋律に伴うものではありません。そして、ドビュッシーの音楽の特質を、リズムの面から捉えますと、何と言っても小節や拍節を根底にしていないことに尽きると思います。もちろんドビュッシーは、小節線を書いていますし、拍子の指定もしておりますが、彼の作った音楽の本質から捉えると、小節や拍節は、単なる便宜上のものに過ぎないことが自明なのです。しかし、これもグレゴリア聖歌の楽譜をご覧になったことがある方ならば、すぐに気付かれることだと思いますが、そもそも中世までの西洋音楽には、小節線や拍節は存在しないのです。この世界に回帰したフランスの作曲家がドビュッシーであったのです。

 

■ 楽曲構造上の問題点

 

 ドイツ音楽の通常の形式である、例えば3部形式、ロンド形式、ソナタ形式、等々の楽曲構造上の形式とは、一般的には「繰り返すこと」と「戻ること」を大原則としています。しかし、ドビュッシーにおいては、関連するセクションが切れ目無く連関して繋がっていき、それらが絶えず微妙に変化していくことで、彼の音楽は成り立っているのです。そうしますと、彼の音楽の生命線は、セクションとセクションのつなぎ目部分の変化や、その対応にかかっていると言えるでしょう。これは、演奏者にとっても、ドビュッシーを上手く弾くための必須条件となります。この部分における楽譜上の指示は、非常に多く書かれており、かつこれらの指示が、ドビュッシーの演奏を行ううえでの大変重要な規範となっています。

 

■ 前奏曲集について

 

 まずは、ショパンの24の前奏曲と根本的に異なる点は、すべての調性を使って作曲したショパンと異なり、24曲のつながりはかなり希薄であるということです。しかし、たとえば、第1巻の第1曲と第2曲は、ともに「変ロ」長調、または「変ロ」を基盤とした音楽となっておりますし、次の第3曲もフラットが6個ついており、変ト長調または変ホ短調であると一見思えるものの、「変ロ」で終結している上に、「変ロ」を主音として楽曲が作られていることに気付きます。これらを総合しますと、ドビュッシーは一定の範囲ではありますが、意図的な統一感を持って前奏曲集を作曲したことは明らかであろうと思います。各曲の内容に入る前に、このことははっきりと説明しておく必要があると思います。

 

■ 版の問題について

 

 新ドビュッシー全集である《デュラン・コスタラ版》と、ミシェル・ベロフらが校訂に加わった《ウィーン原典版》が、近年のドビュッシー研究の成果ですが、実は自筆譜との相違箇所が、依然として両方の楽譜に多く存在しております。その原因の一つとして、特に前奏曲集第1巻のうちの5曲に関しては、ドビュッシー自身の演奏(ピアノロール)が残されていることもあります。実際に、デュラン社の方の楽譜は、作曲者自身の演奏内容を加味した校訂を行っていますので、そもそも絶対的な版は存在しないと言えるでしょう。また、ウィーン原典版には、意外なほど誤植があり、これらの訂正は現時点では行われておりません。従って、演奏家が楽譜を独自に解釈する余地と必要性が、ともに大きく残されていると思われます。

(2008年4月20日記す)

 

 

  【第1曲「デルフィの舞姫」(68‐69年、69年録音)】

【第2曲「帆」(68‐69年録音)】

【第3曲「野を渡る風」(68‐69年録音)】

【第4曲「音と香りが夕べの大気を漂う」(68‐69年録音)】

【第5曲「アナカプリの丘」(68‐69年録音)】

【第6曲「雪の上の足跡」(68‐69年録音)】

【第7曲「西風の見たもの」(68‐69年録音)】

【第8曲「亜麻色の髪の乙女」(61年、68‐69年、69年録音)】

【第9曲「途切れたセレナード」(68‐69年録音)】

【第10曲「沈める寺」(58年、61年、68‐69年、69年録音)】

【第11曲「パックの踊り」(61年、68‐69年録音)】

【第12曲「ミンストレル」(61年、68‐69年録音)】

 

(2008年4月22日、An die MusikクラシックCD試聴記)