サンソン・フランソワのドビュッシーを聴く
第2回 前奏曲集第1巻−第1曲〜第6曲−を聴く

文:松本武巳さん

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■ はじめに

CDジャケット

  サンソン・フランソワは前奏曲集第1巻の録音を、大きく分けて3回行っています。まず、1961年7月に第8曲、10曲、11曲、12曲の4曲を録音し、次に1968年から69年にかけて、全集録音がなされました。この全集は、ドビュッシー全曲録音の一部をなすもので、最終的には彼の急逝によって、未完に終わってしまったものです。結果的に前奏曲集第1巻の録音は無事に終えたものの、第2巻は第11曲のみ未録音に終わってしまいました。そのため、彼の前奏曲集は、24曲中23曲が残されたわけです。さらに、全集録音が進行中の1969年の来日公演から、1969年11月16日のリサイタルの模様がCD化されており、その中で、第1巻から第1曲、8曲、10曲の3曲を当日演奏しています。

 フランソワは、1956年、67年、69年の3回来日しておりますが、56年にはリストの協奏曲第1番のライヴ録音を残し、67年には東芝のスタジオでLP1枚を制作し、69年にもライヴ録音を残しました。そのため、各来日時の演奏記録が、とりあえず正規音源の形で残されており、夭折した彼の来日時を判断する最低限の資料が整っていると言うことで、我々にとってはある意味幸運であったと思います。さて、今回は、第1巻のうち、第1曲から第6曲について、順番に試聴記を書いてみたいと思います。

 

■ 第1曲「デルフィの舞姫」に入る前に

 

 こんな書き方をすると、多方面からお叱りを受けるかもしれませんが、フランソワの定評あるラヴェルの録音よりも数段優れているのが、実はドビュッシーの未完の全集であることを、はっきりと、しかも一瞬で理解可能なのが、この第1曲の冒頭のリズムを聴くことではないでしょうか? その根本は、ドビュッシーの音楽の最大の魅力が『ものごとをきちんと全部語らずに、残りは聴き手の想像力または夢想や空想、もっと極端に言えば妄想であろうが、聴き手に音楽の最終部分を委ねてくれる』ことにあると信じているからに他なりません。このことが前奏曲集の各曲のタイトル(表題)は、各曲の最後にひっそりとおかれている理由の一つでもあると思っているのですが、たとえば、フランソワの師匠の一人であるとされる、アルフレッド・コルトーは、あまりにもピアノを通して、さらに講演や執筆によって、多くを語りすぎてしまっているのです。そのために、我々はとても安心してコルトーの演奏に身を委ねることができるのです。しかし、私はドビュッシーの音楽を評価するとき、彼の残した楽譜の、ある側面をデフォルメして演奏する方が、全部を解決した形で演奏するよりも、優れたものになると思えてなりません。

 冒頭に、お叱りを受けるかも知れないと書いたのは、フランソワのドビュッシー演奏の特質が、この第1曲の冒頭で感じ取ることの出来る、いきなりふらふらと酔っ払ったような、揺らいだ感覚に満ち溢れた演奏で開始されることに他ならないからなのです。そして、そのことこそが、フランソワのドビュッシーに対する最大の魅力となっているからなのです。これは、決して好い加減な演奏であるわけではないのですが、来日時にある高名な音楽家が「ウソばっかり弾いている。何と好い加減なふざけたピアニストだ。」と激怒されたとやら聞き及んでおりますが、まさにこの発言こそ、故なしと言ったところではないでしょうか? なぜなら、だからこそフランソワのドビュッシーは、大きな魅力に溢れていると考える人もいるのですから…

 その意味で、サンソン・フランソワの対極にある演奏が、ワルター・ギーゼキングであろうと思います。本当にそっけなく、どんどんと進んで行ってしまいます。雰囲気を味わうどころではありません。感傷性など微塵もありません。しかし、私はギーゼキングの残したドビュッシーも同時に愛しています。それは、ギーゼキングこそが、ドビュッシーが印象派であった部分を、一切ピアニスト側からは語らず、聴き手に最も自由に委ねてくれているからなのです。この点で、私は、ギーゼキングのドビュッシー全集もまた高く評価しています。

 この意味における正確さであれば、ミケランジェリやポリーニの方が、数段上回っているのではないか? との疑問が、当然出てくると思います。しかし、ミケランジェリは極めて遺憾ですが、私には究極的な意味で、ドビュッシーの印象派としての側面も、非常に雄弁に語ってしまっていると思えるのです。よく彼のトーンが、モノクロ的な、あるいは淡彩的な色調で統一された演奏であると言われますが、実はこのことこそが、ドビュッシーの音楽に対する想像力を、聴き手が自由に広げることを、大きく阻止してしまっているのです。少なくとも私は、ドビュッシーの色彩とは、孔雀が羽を広げたような極彩色とまでは行かなくても、非常にカラフルな、かつめくるめくような目まぐるしい色彩感に満ちた音楽であることが、ドビュッシーの作曲した音楽の魅力の一端であると信じているからです。

  また、ポリーニは、ドビュッシーが意図的にボカシをかけようとして作曲した部分まで、ものの見事に明晰化してしまっており、ポリーニの優れた分析力のせいで、ドビュッシーの意図するところまで、結論を先に提示されてしまったように感じる部分があるのです。ポリーニの分析力が、ドビュッシーの意図を超越しているために、結果としてやはり聴き手は想像力を働かせることが叶いません。もちろん、これらは批判にあたるようなことでは無いと思います。なぜならば、この事実は同時に2人のピアニストの優れた能力の証明でもあるからです。しかし、結果として、ドビュッシーの音楽に私が求めているものを、この2人のピアニストによる演奏は大きく制約してしまうのです。

 さて、ついでといっては何ですが、クラウディオ・アラウの演奏についてもひと言書いておきたいと思います。実は、アラウの演奏は、結果的にコルトーと似ています。何が似ているかといいますと、アラウはコルトーとは対極的な観点から、ドビュッシーを解釈し切っています。その結果、聴き手は確かに安心して身を委ねることができますが、感心して拝聴して、それ以上の聴き手としての想像力を働かせる余地を削がれてしまう点で、コルトーと同じ結果をもたらされてしまうのです。まったく異なった視点から演奏しているのも関わらず、聴き手が阻害される部分は、不思議なことに同一の部分になってしまうのです。演奏行為というものが本質的に持っている、様々な意味での幅広さがもたらした、ささやかな悪戯なのかも知れませんね。

 つまり、『フランソワとギーゼキング』、『コルトーとアラウ』、『ミケランジェリとポリーニ』という、図式が可能になります。あくまでもこの図式は、ドビュッシーの音楽を聴き手がどのように最終的に解釈し、理解するか、という側面から捉えた場合の図式です。特に最初の2つのカテゴリーが、読み手に驚きを与えるのではないかと思います。つまり『フランソワとコルトー』『ギーゼキングとアラウ』では無いのか? と。しかし、この点こそが、すでに多くの解説や評論が巷に溢れているにも関わらず、私がフランソワのドビュッシーについて書こうとした理由のうちの一つであるのです。音楽評論家による伝統的な確立した評価が間違っているなどと言うつもりはありません。しかし、こんな図式からドビュッシーを聴き、楽しもうとしている人物もいるのだと言うことを理解していただけますと、書き手としてはとても幸福に感じます。

 

■ 第1曲「デルフィの舞姫」(68‐69年、69年録音)

 

 ようやく本題に入ろうと思います。フランソワの残した2つの録音について簡単に書いておきましょう。まず、スタジオ録音と来日時のライヴ録音は、録音時期が近いにも関わらず、非常に異なった印象を受けます。スタジオ録音は、とりあえず真っ直ぐに楽譜どおりに演奏が進んでいきます。しかし、来日時の演奏は、フランソワの演奏が酔っ払った感覚であるなどと良く言われますが、そんな甘いものではありません。リズムのコントロールすらほとんど出来ておりません。加えて言えば、何も語っているようにすら思えません。一歩間違えると、単なるへたくそな演奏だと誤解する人すらいるかも知れません。

  しかし、ある一定の時間を我慢して聴いていると、そこから聴こえてくる世界に徐々に引き込まれていくのです。そして、その演奏を含むすべてを許容したくなっていくのです。しかし、通常はこのような演奏は、そこから諦観のようなものを感じたり、空恐ろしいものを感じたりして、薄ら寒くなるものですが、フランソワの演奏から感じるものは、すべてを受け入れ、許し、そして演奏者を暖かく包み込みたくなるような錯覚に襲われ、囚われていくのです。まったく理屈を超えたものだと思いますが、これこそがフランス音楽の真髄、あるいはドビュッシーの書いた音楽の真骨頂だと思えるのです。しかも、そのことを、たぶんフランソワはほとんど意識せずに演奏していると思えるのです。完全に意識外にあるからこそ、聴き手に対して意識付けが出来ている、そんな矛盾だらけの中に、フランソワの演奏があることを、まさに究極的に感じ取らせてくれる、そんな演奏がこの第1曲の2種類の録音だと思えるのです。もはや古語に近い日本語を敢えて使うとすれば、私は《デルフィの舞姫の音楽と、それを演奏するフランソワの琴線に触れてしまった》のだと思います。私はこの呪縛から逃れようとは思いませんし、その必要すら私には感じません。

 なお、付言しますと、フランスでのスタジオ録音と、日本でのライヴ録音は、ピッチが明らかに異なっています。個人的にはテープの補正の問題ではないだろうと考えています。なぜなら、私が幼少時、67年と69年の来日時に、実際にホールで、最初の楽曲の冒頭の音が響いた瞬間に「あれ? 低い!」と感じた記憶と同じであるからなのです。私はフランソワが、実演の際に、ピッチを低めに調律させていたのだと考えています。その理由はもちろん分かりませんが、そのことも含めて聴き手の想像力の範囲であると、私は達観していますし、それが決して不満でもないからです。

 

■ 第2曲「帆」(68‐69年録音)

 

 録音は、全集の際のものが唯一残されています。しかし、この第2曲は、一般的に言っても極めて優れた演奏だと思います。リズム感も低音の効果的な響きも、音楽としての透明感も、あらゆる側面から非常に安定した、かつ優れた演奏であると考えます。加えて、テクニックもいつものようなフラフラした感覚を聴き手に与えません。本当に優れた演奏だと思います。

 

■ 第3曲「野を渡る風」(68‐69年録音)

 

 なんと言えば良いのでしょうか。ここまで、不要な力を完全に取り去った、柔らかい感覚に溢れた演奏は、そうは無いと信じます。そのために、フォルテの部分での響きもとても深く、心に響いてきます。この録音も唯一のものですが、とても優れていると思います。

 

■ 第4曲「音と香りが夕べの大気を漂う」(68‐69年録音)

 

 この演奏は、評価が割れるかも知れません。先ほどの第3曲とは異なり、明らかにフランソワはこの曲に個人的な思い入れがあるように思えてなりません。最晩年の彼にしては驚くほどテンションの高い演奏で貫かれており、特に後半に向かって進んでいく姿勢は、例えとしては良くないかも知れませんが、ホロヴィッツがスクリャービンの《焔に向かって》で演奏した姿勢と、演奏者のテンションにおいては近いかも知れないように思えるのです。

 

■ 第5曲「アナカプリの丘」(68‐69年録音)

 

 アクセントのつけ方一つで、演奏の方向性が縛られてしまう曲だと思っていますが、非常に特徴あるアクセントを刻む直前のリズムを、フランソワはまるでアクセントを予告するかのように大きく崩して弾いています。しかし、そのリズムはもともととても鋭いリズムであるために、フランソワが崩したようには一見感じません。要するに、とても有機的につながった音楽として演奏していると言えるだろうと思います。しかし、実は楽譜を見ながら聴くと、意外なほど演奏自体が崩れています。最晩年の体調に加えて、フランソワは、もともとテクニック自体はそんなに優れたピアニストではありませんでした。そのことを痛感させながらも、一方で深い感動を呼び起こしてくれる不思議な演奏となっています。

 

■ 第6曲「雪の上の足跡」(68‐69年録音)

 

 この演奏も、聴き手のスタンス次第で評価が割れると思われます。もっとも教条的に聴くと、人は雪の上でこんな風には歩けません! しかし、これを、雪がはらはらと舞う情景を、幻想性に満ちた世界を念頭に置きつつ、空想にも近い形で頭の中において聴くとき、この音楽の、そしてこの演奏の価値が出ると思います。ただし、私個人は、この演奏からは絶望感に近いものを感じ取ってしまい、聴いているとつらい気持ちになってしまうことも正直に書かせていただこうと思います。

(2008年5月11日記す)

 

 

 

【第7曲「西風の見たもの」(68‐69年録音)】

【第8曲「亜麻色の髪の乙女」(61年、68‐69年、69年録音)】

【第9曲「途切れたセレナード」(68‐69年録音)】

【第10曲「沈める寺」(58年、61年、68‐69年、69年録音)】

【第11曲「パックの踊り」(61年、68‐69年録音)】

【第12曲「ミンストレル」(61年、68‐69年録音)】

 

(2008年5月11日、An die MusikクラシックCD試聴記)