サンソン・フランソワのドビュッシーを聴く
第4回 前奏曲集第2巻(第11曲を除く)を聴く

文:松本武巳さん

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■ はじめに 

CDジャケット

 サンソン・フランソワは最晩年になって、前奏曲集第2巻の録音を集中的に行いました。しかし、第11曲「交代する3度」の録音を残したまま、1970年10月22日、未知の世界に旅立ってしまいました。最晩年のフランソワは、健康に優れず、技巧も破綻気味となり、そのためもあって、前奏曲集第2巻の録音は難航しました。しかし、最後に残った第11曲を含む、ドビュッシー全集の最終セッションに臨む当日、彼は時間になってもスタジオに現れず、急逝してしまったのです。享年46。あまりにも早い、天才肌ピアニストの最期でした。実際、第12曲「花火」を除きますと、この未完の全集が唯一の録音であることから、フランソワ自身は、本当の理由はともかくとして、前奏曲集第2巻の録音に対して慎重であったか、あるいは第2巻の音楽にあまり興味をそそられなかった、であったと言えるでしょう。

 1970年の10月、彼は15日に生涯最期のコンサートをナンシーで開きました。それ以外の期間は、パリ市内のサル・ワグラムで、ドビュッシーの集中録音セッションに取り組んだのですが、10月5日、12日、13日、19日、20日、21日と録音セッションを続けたにも関わらず、録音は難航しました。翌22日も予定が組まれていたのですが、彼がホールに現れることは遂にありませんでした。なお、第12曲「花火」の1969年録音は、日本公演のライヴ録音(11月16日、日生劇場)です。

 

■ 前奏曲集第2巻の楽譜について

 

 第1巻では通常の2段楽譜であったのですが、第2巻ではドビュッシーは3段楽譜を採用しております。ピアノは当然ですが2本の手で弾くため、普通は2段楽譜を用いますが、ドビュッシーはここで、3段楽譜を多用しております。そのため、ピアノを弾く人でも、慣れないと譜読みに時間を取られてしまうためでしょうか、第1巻に対して決して引けを取らない名曲ぞろいであるにも関わらず、第2巻を聴く機会は、第1巻よりも非常に少なくなっております。個人的にはとても残念に思っています。

 

■ 第1曲「霧」(69‐70年録音) 

 

  ロンド形式に近い曲です。冒頭から、右手が変ハ長調、左手がハ長調で開始され、左手は最後まで白鍵しか使いません。第1曲であるためか、意識的に調性を曖昧にし、ドビュッシーの主義主張が強く出されている楽曲です。きちんと見れば、調性も旋律もあり、対位法もきちんと用いているのですが、楽曲の発表時に、特にドイツ系の評論家から批判を受けた曲です。フランソワの演奏は、とてもゆっくりとしたテンポで進行して行くために、調性や旋律をきちんと聴き取るのに適切な演奏となっています。

 

■ 第2曲「枯葉」(69‐70年録音) 

 

 3部形式ですが、途中でワルツ調になります。多調性をうまく利用し、幻想的な雰囲気を醸し出している曲です。ヴェルレーヌを思わせるとの記述が多く見られる楽曲です。しかし、私はフランソワでこの曲を聴くとき、フランソワがむしろ東洋風の感覚を持って弾いているように思えます。したがって、ヴェルレーヌを夢想するためにこの曲を聴きたい場合には、フランソワの演奏は不向きであると言えるでしょう。生粋のフランス人が演奏しているにも関わらず、私はフランソワの演奏からこのように感じ取っているのです。

 

■ 第3曲「ヴィーノ(酒)の門」(69‐70年録音) 

 

 タイトルはアルハンブラ宮殿の入場門を指します。3部形式で、ハバネラのリズムを用いているのですが、南スペインの民謡であるカンテ・ホンドも同時にイメージさせる楽曲です。スペインの作曲家ファリャからもらった絵葉書から連想し、作曲したものですが、ドビュッシー自身は生涯に一度もスペインを訪れておりません。フランソワの演奏は、意外に単調で、第2巻の中では不出来な録音であると思わざるを得ません。

 

■ 第4曲「妖精たちの踊り子」(69‐70年録音) 

 

  ピーターパンをフランス語で表した題名です。幻想的ワルツであると言えるでしょう。楽譜を見ますと、右手部分はすべてフラットが付いた音になっています。一方、左手はハ長調を終始維持しています。なお、この曲の最後の3つの和音は、「レントより遅く」の冒頭の3つの和音と同じです。この曲もフランソワの真髄を期待する聴き手としては、やや期待外れの普通の演奏にとどまっています。

 ここで、版の問題に付いて触れさせていただきたいと思います。新しいデュラン・コスタラ版では、当曲の16小節目にある、ある音符の臨時記号が、編集者のいわば独断で、自筆譜や過去の出版譜から変更されています。もちろん、編集者の詳細な意見がきちんと述べられており、そのこと自体は何ら否定すべきことでは無いと思います。しかし、私の知る範囲のピアノ弾きの大勢は、実は旧デュラン版を今も用いており、デュラン・コスタラ版のみを用いて演奏されている方は、非常に少ないように感じてなりません。これは、同様に私の知る限りのディスクにおいても、実はほとんど同じ結果となるのです。

 学問上の見地から、新しい校訂版が多々出版されることは、とても好ましいことであると思います。しかし、私はこんな悪戯心を感じて仕方が無いのです。それは、私がドビュッシーの評伝等を好んで多く読んだためかも知れませんが、もしも彼が現在も生きていたとしたら何と言うでしょうか? ドビュッシーはこのように言うに違いありません。『編集者君、君は間違っているよ。私の曖昧な和声とは、決してファジーな和声理論では無いのだ。聴き手がイメージする曖昧さを、私は計算した上で和声を組み立てているのだ。元の音符に戻して出版し直してくれ給え。』と。

 そして、この発言は、ドビュッシーが真にそう考えた場合でも、ドビュッシーが実は書き間違えて編集者が正しい場合でも、彼の発言は決して変化しないでしょう。それは、ドビュッシーが組み立てた、彼独自の和声や調性や旋律は、そもそもが意識的に曖昧さを求めているからに他なりません。そして、その曖昧さはドビュッシー自身が創出した理論でもあるのです。彼が内心で書き間違えたと気づき、彼が理論を後付けで付加して反論しても、ドビュッシーの理論構成は、他人が崩すことが困難なのです。この真意があるからこそ、ドビュッシーは、たとえば「名曲悪口事典」で、最も多くのページが割かれているにも関わらず、そのことがドビュッシーの弱点には、決してならないのです。実際、私には、ドビュッシーは生涯を通して、このような批判を肥しにして、成長していった作曲家であったとすら思えるのです。

 これは、ドビュッシーを批判しているのでは決してありません。ドビュッシーの反論は、他人なら詭弁であると思われる場合でも、ドビュッシーだけは正論として扱われたのです。そして、この事実は、彼の音楽が世界中で聴かれていることだけで、十分証明可能なのですが、あえて補足説明しますと、彼の拠って立つ理論は、以前にも一度書いたことがありますが、古くからの教会旋法を基礎の一つとしていることに尽きると考えます。そして、その事実が、敬虔なカトリックであったメシアンが、ドビュッシーから引き継いだ音楽でもあるとも考えています。このような、意外なほど強いフランス人のカトリック信仰を基礎とした、ドビュッシーの音楽の持っている根幹は、簡単には揺らぐことが無いように思えるのです。

 

■ 第5曲「ヒースの茂る荒地」(69‐70年録音) 

 

 3部形式です。スコットランドに見られる、冷帯気候特有の荒地を題名とする曲ですが、意外に陰鬱とした音楽にはなっておりません。締めくくりに現れる主三和音が、第6曲「変わり者のラヴィーヌ将軍」の冒頭の音に引き継がれておりますので、第5曲と第6曲は続けて演奏したほうが良いと思います。フランソワは、ここでとても印象的な素晴らしい演奏をしているように思うのですが、彼が生涯イギリスで評価されることが無かったのは、なぜなのでしょうか?

 

■ 第6曲「変わり者のラヴィーヌ将軍」(69‐70年録音) 

 

 3部形式です。子どもの領分にも見られる、ケークウォークのリズムを、ジャズ風にアレンジしたもので、ドビュッシーによれば木製の操り人形を描写しているのだそうです。フランソワは、このような本来的にギクシャクした音楽を、実に鮮やかにものの見事に演奏しています。フランソワ自身がジャズ風の曲を作曲し、ジャズにのめり込んだ時期を含め、終世ジャズを愛していたことが、このような曲に対する、まさに絶妙の表現を生んでいるのではないでしょうか? 本当に見事な演奏です。

 

■ 第7曲「月の光が降り注ぐテラス」(69‐70年録音) 

 

 幻想曲であるのですが、月の光の冒頭に音型が似ています。インドや東洋を描写した音楽で、この作品の持つ東洋風官能性は、メシアンの作風に大きな影響を与えました。メシアンのピアノ曲「鳥のカタログ」は、ドビュッシーのこの前奏曲が無ければ、まず誕生しなかったと言えるでしょう。第2曲同様に、フランソワは非常に好演を残しているように思います。万人受けする録音はそう多くないフランソワですが、第2曲と第7曲は、少なくとも汎用性のある名演だと思います。

 

■ 第8曲「水の精」(69‐70年録音) 

 

 2部形式です。ドイツの作家フーケの童話を題材にした楽曲です。同名のラヴェルの楽曲「夜のガスパール」の「水の精」が存在しますが、聴いて受けるイメージはずいぶん異なっています。嬰ヘ長調の和音で曲を閉じますが、この楽曲は明らかにニ長調です。このことを和声として理論的に解決した上で演奏しているピアニストと、そうでないピアニストは、聴き手が聴き分けられるほど、演奏自体に差が出る楽曲です。解決しないで弾くことが決して誤りではないのですが、聴き手の好悪が、このような部分までピアニストがきちんと意識して取り組んでいるかいないかと、実は無意識であったとしても密接に関連していることが、実は多いように思えます。

 ところでフランソワは、感覚派のピアニストの筆頭格であると良く言われますが、少なくともこの楽曲の録音においては、きちんと和声上の問題を解決した上での演奏であり、譜読み段階のフランソワは、決してちゃらんぽらんでは無いことを証明する、そんな録音の一つであると確信しています。

 

■ 第9曲「S.ピックウィック頌礼讃」(69‐70年録音)

 

 1部形式です。イギリスの作家ディケンズの長編に登場する主人公を題材にしており、随所でイギリス国歌の断片が使われています。前奏曲集第1巻第12曲のミンストレルに通じる音楽となっています。なお、第44小節から47小節の部分は、コルトーが「口笛のようだ」と形容した部分で、多くのピアニストがコルトーの形容を、録音で聴くかぎり継承していますが、第1巻の「第1曲に入る前に」で書かせて頂いたように、フランソワは少なくとも口笛のようには弾いておりません。フランソワがフランソワ独自の個性を、しっかりと持っていた証だと思います。

 

■ 第10曲「カノープ」(69‐70年録音)

 

 3部形式です。古代エジプトの骨壷から発想された音楽で、死と復活の神オシリスを司っています。技巧的には、他の曲よりも易しいのですが、一方でこの曲が前奏曲集第2巻の全体を引き締める役割を担っているとも考えられ、全曲を演奏したり録音する場合には、とても重要な位置を占めていると言われています。

 全般にややテヌート気味に弾いているフランソワの演奏効果は抜群で、技巧面で障壁の無いこの前奏曲での演奏が、フランソワの前奏曲集第2巻の録音中の白眉であると言えるでしょう。そして、そのことは取りも直さず、フランソワの前奏曲集が未完であることへの無念さにも、通じていると言えるでしょう。本当に、24曲中23曲が残されたフランソワの前奏曲集は、あと1曲であっただけに、悔やんでも悔やみきれない無念さで今もいっぱいです。

 

■ 第11曲「交代する3度」(録音なし) 

 

 この曲は、題名からも分かるように、前奏曲と言うよりも練習曲に近い楽曲です。晩年のフランソワが健康を崩した結果、技巧が破綻気味になったことを証明するかのように、未完に終わったドビュッシー全集は、練習曲集12曲中7曲と、この「交代する3度」などのわずかの楽曲が録音されませんでした。

 

■ 第12曲「花火」(69年、69‐70年録音)

 

 幻想曲風アラベスクです。パリ祭(7月14日)の描写音楽で、最後にフランス国歌であるラ・マルセイエーズの旋律が聞こえてきて、前奏曲集全体を閉じています。華やかなリスト風の音楽であるとも言われていますが、和声の理論から申しますと、全く異なる手法で作曲されていることは明らかです。最後を飾る華麗な楽曲です。

 力んだ演奏の多いこの曲の膨大な録音の中で、フランソワの軽妙なタッチは、前奏曲の最後を飾るに相応しいたいへん独創的な演奏になっています。かけがえの無いフランソワの前奏曲集の録音は、彼らしい余分な力の抜けたすばらしい花火となっています。華麗さではやや劣りますが、その分余計に最後のフランス国歌が美しく、ささやかに、かつさり気なく響き、曲集を閉じています。

 最後に日本でのライヴ録音について付言したいと思います。恐ろしくテンポが揺れており、このことを以て、フランソワの晩年の不安定さを指摘する方が多くおられます。それ自体を否定するつもりは一切ありませんが、フランス人のフランソワが、パリ祭のイメージを日本で伝える工夫であるとも思え、一方ではこの曲が、日本語でイメージするところの「花火」と、ドビュッシーが書いた音楽における「花火」の違いを、聴き手に実感させてくれる演奏であるとも言えるでしょう。実際に、日本人以外でもこの曲の演奏は、大層華やかで煌びやかな音楽として捉えられており、本来ドビュッシーのこの楽曲が持っている、侘しさやモノトーンをきちんと出している演奏は、特に近年ではほとんど見かけなくなったように思います。

 演奏は、時代に即応して随時変化していくものですが、作曲者の意向を今なお維持した演奏も、一方ではいつまでも聴き続けたいと思うときもあるものです。そんなときに、このフランソワの日本ライヴ録音は、とても私の心にダイレクトに迫ってきてくれ、私の求めるドビュッシーへの渇望を多少なりとも癒してくれるのです。そんなフランソワの演奏であると考えています。

(2009年8月30日記す)

 

(2009年9月1日、An die MusikクラシックCD試聴記)