An die Musik 開設11周年記念 「名盤を探る」

第22回 ベートーヴェンの交響曲第9番の名盤を探る

文:松本武巳さん

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旧名盤

CDジャケット

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団他
録音:1951年7月29日、バイロイト・ライヴ
EMI(国内盤 TOCE-6510)

新名盤

CDジャケット
CDジャケット

ベルリン・フィル、2000年ライブ

CDジャケット
ベルリン・フィル、ザルツブルク・ライブ
CDジャケット
ウィーン・フィル盤

クラウディオ・アッバード指揮(アバド)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団他
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団他

録音:2000年5月、ベルリン・ライヴ
DG
(輸入盤 4775864)
DG(輸入盤 4690002)
(以上2つの全集は、第9番のみ同一の音源が用いられています)

録音:1996年、ザルツブルク・ライヴ
SONY
(国内盤 SICC302) 

録音:1986年5月、ウィーン
DG
(輸入盤 4761914=現行の全集)

 

■ 旧名盤フルトヴェングラーについて

 

 この録音は、1951年7月29日、第二次大戦後、初めてバイロイト音楽祭が再開された記念すべき実況録音であり、フルトヴェングラーを語る上で最も重要な資料といえよう。こんなにすばらしい「第9」は他に決して例が無いし、今後もこれ以上の演奏が現われる可能性はきわめて薄い。フルトヴェングラーの特徴が「第9」という大曲、名作を得ていやが上にも輝き、これほどまでに見事な演奏を産んだのであろう。彼の棒の下、ベートーヴェンの音楽の本質が最も生き生きと再現されている。しかし、ここでわれわれが感動するのは、結局のところベートーヴェンの芸術の力に他ならないのであって、それだからこそ指揮者の使命は重要なのだ。最近、演奏の客観性ということが叫ばれているが、「第9」のような人間くさい音楽を表現するのに、指揮者が冷静であったら一体どんなことになるのだろう。指揮者が「第9」の魂と同じ高さ、同じ激しさ、同じ歓喜と興奮の中に自ら生きなければ、決して真の生命は再創造される筈もないのである。フルトヴェングラーの表現でこそベートーヴェンの思想は生き、全人類は遥か星空の下、愛する父に向かって連れ去られるのではあるまいか。なお、フルトヴェングラーの「第9」の録音は他にも出ているが、部分的にはともかく、全体の深い感銘において、このバイロイトの実況録音が抜きん出て優れている。

 宇野功芳氏がお書きになられた評論から、抜粋の上引用させて頂きました。私は、宇野氏の当該評論は、大変な名文であると思っておりますので、あえて引用させて頂き、名盤であるフルトヴェングラーの第9の紹介に、そのまま代えさせて頂きたいと思います。宇野氏に深謝申し上げます。

 

■ アッバードの録音について‐1986年ウィーン盤

 

 あくまでも自然な流れに乗っかった、オーケストラの純粋な美しさを最大限に引き出した指揮であると思います。アッバードによるウィーン・フィルとの幸せな邂逅の証明であろうと言えるでしょう。ゆったりとしたテンポで控えめに、何ごともないようにこの大交響曲が進行していくのですが、指揮者もオケも合唱も真の意味におけるカンタービレに溢れています。そして終楽章のクライマックスへ向けて、徐々に徐々に全体が熱く昇華していくのが手に取るように分かります。本当に聴き手を絶対に裏切ることの無い見事な演奏です。ウィーン・フィルの弦や木管の美しさも際立っており、これ以上は何とも表現のしようがありません。伝統的な解釈における素晴らしい第9だと思います。

 しかし、この盤は、あくまでも旧名盤の方向性としての、最高の評価に留まるように思えてなりません。そして、旧名盤としての視点であるならば、あえて祝祭としての歴史的価値を有するフルトヴェングラーに取って変わるだけの価値が、このディスクにあるとまでは、残念ながら言い切れないであろうと思うのです。

 

■ アッバードの録音について‐1996年ザルツブルク盤

 

 この第9は、ザルツブルク音楽祭のライヴ録音ですが、2つの全集中の録音に埋没してしまって、やや特徴に乏しい録音といわざるを得ません。しかし、ウィーン・フィルを振った1986年の第9と、ベルリンでの本当に思い切った録音である2000年の第9の、あまりにも異なるアプローチを繋ぐ架け橋としての、重要な意味合いを持っているように思えてなりません。この1996年ライヴがあったからこそ、4年後の2000年時点の大胆なアッバードが存在し得たのでは無いでしょうか?

 

■ アッバードの録音について‐2000年ベルリン盤

 

 こちらは、伊東さんがかつて詳細な企画特集をされ、すでに評論をお書きになられておりますので、まずはそちらをお読みくださることを、ぜひお勧めします。

 クラウディオ・アッバード&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集は、DVDの撮影をかねたローマでの演奏会のライヴ録音ですが、アッバード自身は数年前に発売されたベートーヴェン全集よりも、こちらの演奏の方がお気に入りだったようです。しかし、急病のため、第9の演奏がキャンセルとなり、完成自体が危ぶまれましたが、同年のベルリンでの全集が第9のみライヴ録音されており、そちらを流用することで何とか全集の完成に至りました。従って、同時期の2つの全集ですが、第9のみ両者は同じ音源であることになります。

 ここでのアッバードの演奏は、単にテンポが速くなったとか、そういったレベルを遥かに超越して、楽曲のアプローチそのものがガラリと変わり、オーケストラの豊かな音の饗宴をも、端から否定した演奏であると言えるでしょう。ギリギリまで切りつめられた世界からは、逆に埋もれがちになっていた豊かな内声部の音たちが、聴き手をハッとさせる瞬間をあちこちに与えつつ、非常にスリリングな演奏となっているのです。ただ、いくらベートーヴェンの時代がそうであったからと言っても、現代のスーパー・オーケストラであるベルリン・フィルを使って、わざわざ彼らの美点を抑制してまで禁欲な世界を求めて演奏することは、結果として無意味では無いのでしょうか?

 しかし、このような違和感が最後まで残るにも関わらず、アッバードとベルリン・フィルとのスリリングな駆け引きの結果でしょうか、そこからかつて一度も聴いたことの決して無い、ベートーヴェンの思いもよらない新しい世界-例えて言うなら、ベートーヴェンの斬新な革新性とか、ベートーヴェンの古典的な特性とか‐が、そこかしこから、はっきりと見えてくるのです。つまり、アッバードが引き出してくれた世界は、ベートーヴェン以後の音楽の変化を一旦忘れた上で、ベートーヴェンの書いた時代や書法をきちんと再構築する、そんな優れた結果を聴き手にまで分かるように、彼の指揮はもたらしてくれたのです。

 私は、現代最高の機能を有するオケを用いて、禁欲的なアプローチを試みたことが、結果としてかつて誰もたどり着くことの無かった、ベートーヴェンの古典としての究極の境地を、広く示してくれたこのアッバードの2000年録音は、あえて新名盤に相応しい栄誉を受ける資格があると考えます。ベルリン・フィルだからこそ可能であったアプローチだと思いますし、アッバードに取っても、1986年の段階でウィーンにおいて旧名盤としてのアプローチを経ているからこそ成し遂げられた、そんな名盤であると思います。

 

(2009年11月30日記す)

 

2010年5月11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記