An die Musik 開設11周年記念 「名盤を探る」
第8回 ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の多様性
文:伊東
「名盤を探る」第8回です。第7回でモーツァルトの交響曲を取り上げましたので、今回はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を俎上に載せましょう。この曲を「運命」と呼ぶのは日本人だけだと思うので、私はこの表記を好まないのですが、今回だけは便宜的に多用しますのでご容赦ください。
■ 旧時代の録音
交響曲第5番「運命」は名盤に事欠きません。私にとっても思い入れのある録音がありますが、ここではフルトヴェングラー盤を旧時代録音の代表として取り上げます。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年5月27日、ベルリン、ティタニア・パラストにおけるライブ
DG(国内盤 POCG-3788)
エグモント序曲、大フーガ(弦楽合奏版)をカップリングこれはフルトヴェングラーが戦後初めて指揮台に立った日の記念碑的な演奏として知られています。60年以上前の録音で、当然モノラルであり、オーディオ的には最新録音の足元にも及びません。貧しい音ではありますが、フルトヴェングラーの確信に満ちた音楽が鳴り響きます。演奏については説明を要しないでしょう。CDや、iPodで気軽に音楽を聴けなかった時代に収録された貴重な記録です。
これが代表盤になるというのは、この曲の場合、どう取り組んでどのような演奏をしたか、それが大事なのであって、CDの音質など二の次、三の次でかまわないということです。音響では勝負できません。
新録音はどうでしょうか。
結論から先に言いますと、あまり心配しなくても良さそうです。フルトヴェングラーの高い精神性まで到達し、それを超越したかどうかは疑問が残りますが、演奏家たちの熱気がダイレクトに伝わってきそうなCDが、こうしている今も作られていると私は思います。
では、1990年まで遡り、新時代の録音を見ていきます。トップバッターは「名盤を探る」で何度も登場するアーノンクールです。
■ 新時代の録音
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
録音:1990年6月29日、グラーツにおけるライブ
TELDEC(輸入盤 2292-46452-2)
ベートーヴェン:交響曲全集から。私の文章を1990年から始めたのはこの録音について言及したかったからです。この録音は20年経った今も全く色褪せていません。金槌で頭を殴られたような激しい衝撃を受けます。決して美しいとは言えない金管楽器群が咆哮し、ティンパニが暴れ回る。拳骨を振り上げて指揮をしているのがベートーヴェンその人ではないかと錯覚しそうな激烈・奔放な演奏です。そのため室内管弦楽団を指揮しているとは思えない迫力があります。アーノンクールは作品そのものが持つ大きさを小編成のオーケストラで表現しているのですね。
アーノンクールもこれだけの演奏をやり遂げたからには再録音はしそうにありません。ただし、想像は許されるでしょう。アーノンクールは安住することのない革命家ですから、今もこれと同等かそれ以上の演奏をすると考えられますが、これ以上を彼に望むのであれば室内管弦楽団でなく、通常のオーケストラで聴きたいものです。アーノンクールの主義に反するので実現不可能でしょうが、巨大なスケールの演奏が聴けそうです。
なお、1990年にはブリュッヘン指揮18世紀オーケストラによる録音もありました。ほぼ同時に古楽器の大家たちによってモダン楽器とピリオド楽器による録音が行われていたわけで興味深いです。
次はマッケラスです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団
録音:1992年6月25,26日、リヴァプール、フィルハーモニック・ホール
EMI(輸入盤 7243 5 75751 2 6)
ベートーヴェン:交響曲全集から。マッケラスは、高齢になってからピリオド・アプローチを採用し、録音もどしどし進めるという精力的な指揮者です。ここでもピリオド・アプローチを十分にオーケストラに叩き込み、生気溌剌・堂々としたベートーヴェンを聴かせます。演奏家たちにとってもピリオド・アプローチの導入が目的ではなくなっていて、十分に咀嚼した上で演奏しているために、よくありがちなぎこちなさがありません。聴いていて自然ですし、指揮者もオーケストラも嬉々として演奏しているようです。一見地味な録音ですが、忘れがたい録音です。
次はガーディナーです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
録音:1994年3月、バルセロナ
ARCHIV(輸入盤 439 900-2)
ベートーヴェン:交響曲全集から。アーノンクール盤と同じくらい刺激的な演奏です。アーノンクールが基本的にモダン楽器による演奏であったのに対し、ガーディナーは古楽器オーケストラを自ら編成して演奏しています。
ピリオド・アプローチを採用する演奏家たちは、「できる限り楽譜に忠実に」という意識が強すぎるためか、例えばベートーヴェンの「運命」を演奏するにしても、「これは『運命』ではなくて、交響曲第5番だよ。だから『運命』としてのロマンチックな思い入れを持ち込むつもりはないよ」といった姿勢を録音からさえ明確に感じられる場合があります。感情移入をどれだけ排除できるかを競っているような感すらあります。ガーディナー盤も第1楽章を聴き始めた際にはそのような気配が感じられたのですが、指揮者も団員も気持ちを抑えきれなかったのか、あっという間に音楽が昂揚します。古楽器で演奏しているのに、音楽はみずみずしく、新しい。いつ聴いても、何度聴いても大いに興奮させられる見事な演奏です。ガーディナーさん、モーツァルト演奏では学者然とした指揮ぶりであったのにここでは全くの別人です。
アーノンクールにしても、ガーディナーにしても、ベートーヴェンをそれまでのイメージから完全に変えてしまいました。聴き終わってもしばらくは演奏が頭を離れません。
次はモダン楽器。それも腕利きのオーケストラです。指揮者はカペルマイスター、ティーレマンです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
クリスティアン・ティーレマン指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1996年7月、ロンドン
DG(国内盤 UCCG-4119)
交響曲第7番とカップリングティーレマンはわざわざデビュー盤に「運命」を選んでいるだけに並々ならぬこだわりを感じさせる録音です。冒頭の「運命の動機」は「だ ・ だ ・ だ ・ だーん」と一音ずつ噛みしめるように演奏されます。また、第4楽章冒頭は音を引き延ばしています。素人の浅知恵ですが、ティーレマンはフルトヴェングラーの真似をしたのでしょうか。ここがこの録音の好き・嫌いを分ける点になりそうです。そのため、将来名盤とされるかどうかもやや疑問ではあります。
ただし、あまり必然性を感じないその2ヶ所以外は非常に聴き応えがする演奏です。モダン楽器による若手指揮者の重厚なベートーヴェンといったところです。デビュー盤だけに指揮者がオーケストラの配置から演奏の細かいところまで細かく指示を出しています。録音がとてもクリアなので、指揮者の意図がよく分かります。ティーレマンは1959年生まれですから録音当時37歳です。その年で強者揃いのフィルハーモニア管に指揮者の思い描くベートーヴェン、しかも多分にオールドスタイルのベートーヴェンを徹底させています。
なお、今回「新時代の録音」として取り上げた録音の中で唯一これだけが全集の一部ではありません。ティーレマンが今後シェフとなるシュターツカペレ・ドレスデンで全集を完成させることを期待しています。
次もモダン楽器のオーケストラによる演奏です。ただし、フィルハーモニア管とはかなり違うオーケストラです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ
録音:1999年5-7月、ベルリン
TELDEC(輸入盤 3984-27838-2)
ベートーヴェン:交響曲全集から。この録音はかつてCD試聴記でも取り上げています。激烈で目立つ録音が他に多数あるので、これが将来的に名盤として残るかどうか若干の不安があるのですが、なくならないよう祈りたいものです。これはピリオド・アプローチでもなければ、近代的なオーケストラによる洗練された演奏でもない点で極めて異色です。オーケストラの渋い響きが独特で、それをバレンボイムは良しとして録音しています。望めば何でも手に入りそうなバレンボイムがわざわざ好んでこの音を残したことは重要です。アナクロニズムとまで揶揄されるバレンボイムですが、アナクロいいじゃないですか。
次はアバドです。オーケストラは超技術集団のベルリン・フィルです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2000年5年、ベルリン、フィルハーモニー
DG(輸入盤 469 000-2)
ベートーヴェン:交響曲全集から。アバドが1999年から2000年にかけて一気に録音したベートーヴェン全集からの1枚です。べーレンライター版を使った全集として話題を呼びました。最初に聴いたときも清冽な演奏に感嘆したものでしたが、こうして「運命」をたくさん並べてみても、アバドの演奏はアバドらしい輝きを放っています。演奏者数を絞って透明感を出すだけではなく、ベルリン・フィルがとてつもない巧さで「運命」を弾き切っています。際立って美しいオーケストラの音色が聴けます。これだけの演奏はベルリン・フィルでなければ到底なし得ません。アバドの指揮は最高のオーケストラの前で冴え渡り、ベルリン・フィルを自在にコントロールしてかつてない精悍なベートーヴェン像を作り上げました。ベルリン・フィルのシェフ時代にはあまりぱっとしないアバドでしたが、これはベルリン時代の重要な遺産となっています。これもまたベートーヴェンであり、感動的です。
アバドはこの後、さらに2000年から2001年にかけてローマ及びベルリンでライブ録音し、またも全集を完成させました。アバドとしてはライブ録音を優先したいのでしょうが、だからといってこの録音が不要にはならないでしょう。
21世に入ってもベートーヴェン録音は続きます。例えば、スクロヴァチェフスキ盤。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
録音:2005年10月17-19日、ザールブリュッケン
OEHMS(輸入盤 OC 526)
ベートーヴェン:交響曲全集から。ブルックナーの交響曲録音を知っている身としては、スクロヴァチェフスキがどのような演奏をするのか聴く前からおおよそ見当はつけられるのですが、実際に聴いてみるとやはり驚きます。スクロヴァチェフスキは切れ味の鋭さで天下一品です。彼が鍛え抜いたオーケストラがその鋭さとパワーで強力に「運命」を演奏します。猛烈です。巨人が鋭く重い刃物を振り回しているようです。これもアナクロニズム的なところがありますが、演奏にかける意気込みが伝わってきてたまりません。2005年にもなってこういう演奏が若手ではなく、高齢の指揮者の手で行われるとは。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団
録音:2006年8月19日、エジンバラ、アッシャー・ホールにおけるライブ
hyperion(輸入盤 CDS44301/5)
ベートーヴェン:交響曲全集から。マッケラスは1992年のEMI録音では満足できず、2006年にライブで再録音しました。旧盤だって十分優れた演奏なのに。さすがに再録音盤ではピリオド・アプローチがより徹底されています。多分マッケラスは、幾多の録音を通じてお互いの気心が知れたスコットランド室内管弦楽団と再録音すれば、旧盤をしのぐ演奏ができると確信していたのでしょう。旧盤にもましてお祭り騒ぎのような楽しい演奏が聴けるのも特長です。マッケラスさん、音楽を楽しみますねえ。そういう演奏は聴き手も嬉しくなります。もっとも、これでもマッケラスはまだ満足していない可能性があります。きっとそういう人です。年齢を考えるとさすがに再録音は難しいと思いますが。
老巨匠の録音はまだ続きます。ハイティンクです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団
録音:2006年5月24,25日、ロンドンにおけるライブ
LSO LIVE(輸入盤 LSO00598)
ベートーヴェン:交響曲全集から。SACDハイブリッド盤。ハイティンクは1980年代半ばにコンセルトヘボウ管とベートーヴェンの交響曲全集を完成しています(PHILIPS)。1986年4月に録音された「運命」の演奏は、当時のハイティンクらしく中庸そのものでした。かつて、肩を怒らせない、大声を出さない、中庸な解釈で丁寧な仕事をする、というのがハイティンクのイメージでした。それはある意味で退屈さとも隣り合っていたものの、音楽ファンからはハイティンクの美質として高く評価されていました。旧全集はその見本でした。
それと同じ気持ちでこのLSO LIVE盤を聴くと、驚愕すること請け合いです。本当に同じ指揮者が演奏しているのかと疑います。ベーレンライター版を使った巨匠的オールドスタイル爆裂演奏なのです。ハイティンクは豪快にオーケストラをドライブし、分厚い響きで怒濤のような「運命」を聴かせます。弦楽器さえパワフルで、金管楽器は前面にどーんと張り出してきます。ティンパニの猛打は、「これでもか!」と頭に血が上っているようです。これまた金槌で頭を殴られるような気になります。聴き終わるとぐったり疲れます。これでは体が持ちません。CDの解説には年老いたハイティンクの写真が掲載されています。何となく弱々しく見えるので、本当にそのハイティンクが指揮をしているのかとまた疑問に思います。
・・・と、ここまで見てくると、ティーレマン以外に若手がいません。唯一ラトルが2000年と2002年の2回ウィーン・フィルを起用してライブ録音をしているくらいです(EMI)。後は揃いも揃って高齢の指揮者による演奏で、しかも全集版です。若手にはベートーヴェンを録音する意欲が少ないのか、あるいは各レーベルがベートーヴェンを録音させたくないのでしょうか。
ただし、若手指揮者による強力盤はあります。ハイティンクと同年録音のパーヴォ・ヤルヴィ盤です。これは確実に名盤の仲間入りです。
ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
録音:2006年8月27-29日、ベルリン
BMG(輸入盤 88697 33835 2)
交響曲第1番をカップリング。SACDハイブリッド盤。パーヴォ・ヤルヴィは1962年生まれ。指揮者の世界では多分若手ですが、既にベートーヴェンも交響曲の全曲録音を完了しています。しかもその録音たるや、ピリオド・アプローチを採用した過去の演奏が陳腐に感じられてくるほどの新鮮さです。というより、ピリオド・アプローチという言葉さえ陳腐になるような演奏をします。
ごく小編成のドイツ・カンマ−フィルハーモニー・ブレーメンはその人数から想像できないほどの厚みと迫力ある音を繰り出してきます。その音色の千変万化、フレーズの柔軟さ、小気味いいほどのパワーとどれをとっても一級品です。演奏はスリリングすぎて先が予測できません。往年の巨匠たちによる大オーケストラが聴かせた重厚なベートーヴェンとは一線を画し、軽快さまで併せ持った厚みのあるベートーヴェン演奏です。
ヤルヴィとドイツ・カンマ−フィルハーモニー・ブレーメンはどういう共同作業の中でこのような音楽作りを成し遂げたのでしょうか。ヤルヴィの年齢を考えるとこの先も楽しみです。私は1961年生まれですから彼と完全に同時代人です。これから先も彼の音楽を聴いていけると思うと、クラシック音楽の未来も明るく感じられてきます。
■ 結論
今回取り上げた録音を振り返ってみると、指揮者もオーケストラもまちまちです。ベートーヴェンに対する取り組みも様々です。虚心坦懐に聴いてみると、どの時代であれ、演奏家たちがベートーヴェンに対し全力でぶつかって演奏している様子がうかがえます。そして、ベートーヴェンとの格闘の結果も、人間の顔がすべて違うように異なっています。これほどの多様性があるとは嬉しいではないですか。確かにフルトヴェングラーやトスカニーニ、クレンペラー、クライバーなど過去の巨匠たちは偉大でした。彼らのベートーヴェン演奏はとてつもない高みにあるので、それを乗り越えるのは容易ではありません。それでも、同時代の演奏家たちも必死に努力しています。新しい楽譜、新しい奏法への研究に余念がありません。我々音楽ファンは、CDを通じてその成果をリアルタイムに享受できます。最近の録音は取るに足らないと考えていた私でしたが、ことベートーヴェンに関する限り心配は無用です。
2010年4月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記