An die Musik 開設11周年記念 「名盤を探る」
第7回 モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」
文:伊東
「名盤を探る」の第4回から第6回までピアノ曲が続きましたので、今回は交響曲を取り上げます。モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」です。
「プラハ」は単に私が愛好しているという理由だけで選びました。おそらく「名盤を探る」ためであれば、モーツァルト後期の交響曲ならどれを取り上げても良さそうな気がします。
私の場合、「プラハ」を聴くなら直ちに二つのCDを思い浮かべます。ひとつはワルター盤です。
■ 旧時代の録音
モーツァルト
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
録音:1959年12月2日、ハリウッド
SONY(国内盤 SRCR 2303)
交響曲第40番とのカップリングモーツァルトでワルターというのはいかにも月並みな選択です。月並みであることは理解していても、この曲を聴く際には自然に手が伸びます。安心して聴けるだけでなく、今もってこの曲の新たな魅力を伝えてやまない名盤だと思います。
ワルターの演奏は優雅で軽快なモーツァルトのイメージを描くだけでなく、交響曲としての威容を明確に示すもので、重量級の迫力があります。それは冒頭から顕著で、重厚なバスの音に乗って音楽が進行する様は圧巻です。しかも、ワルターのCBS録音は1959年録音という古さを感じさせない生々しさがある上、オーケストラ録音かくあるべしというピラミッド型の音響になっていてます。最近のCDに欠けているのは、そうした響きです。主旋律しか聞こえてこないふわふわと薄っぺらい音響のCDが多く、いかに最新の技術を使おうともワルターが残したステレオ録音の水準に遠く及びません。ワルター盤は、ワルターの演奏を知っているスタッフがその音をしっかり収録しようと努力してできあがった成果です。だからこそ録音から50年以上も経ったこの録音が今も魅力的なのです。
ワルターのモーツァルトは最初にCD化されたものが最も良い音がするそうです。私もいろいろ聴いてみましたが、最近はSACDをプレーヤーに載せることが多くなりました。
SACD:
SONY(輸入盤 55 6494)上に掲載した通常CDとジャケットが微妙に違いますね。通常CDのジャケットの方が画像の輪郭がくっきりしていますが、音はその逆です。音の輪郭や奥行き感などはこSACDの方が優れています。ただし、それは好みが分かれるところかもしれませんね。
「プラハ」を聴く際の、もうひとつの選択肢、それはクーベリック盤です。偉大な演奏です。
モーツァルト
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1980年、ミュンヘン、ヘルクレスザール
SONY(国内盤 38DC4)
交響曲第39番とのカップリング。クーベリックのモーツァルトについては松本武巳さんの試聴記をご参照ください。
CDが登場するとほぼ同時に、クーベリックによるモーツァルトの後期交響曲集が3枚に分けて発売されました。ワルター盤と違って重量級とは言えませんが、およそ一般的に期待されそうなモーツァルト像を完璧に表現していると思います。輝かしく、洗練された演奏です。録音の良さも相まって、オーケストラの響きがたまらなく美しい。弦楽器は柔らかく、木管楽器は艶やかです。最初に聴いたときは聞こえてくる音すべてがあまりにも柔らかく洗練されていたために、デジタル録音とはここまでできるのか、と感激した覚えがあります。対抗配置のヴァイオリンの掛け合いやさらさらとした響き、左右に広がるオーケストラの間から立ち上ってくる木管楽器の響きは今も素晴らしいと思います。この演奏を聴いているとごく自然にモーツァルトの音楽がわき上がり、推移していくので指揮者クーベリックの存在が全く希薄に感じられてきます。それほど磨き上げられた演奏です。クラシック音楽は楽譜を読み取って奏者たちが再現するのですが、これ以上の再現は極めて難しいだろうと思います。音楽に対して何か特別な物語でも要求する聴き手ならいざ知らず、この録音を聴けるというのはクラシック音楽ファンにとって、最上の喜びであると思います。
当時としては、モーツァルトの交響曲の表面的な美しさをここまで収録できること自体が驚きでしたが、今ではさすがに音質的には最上級とは言えません。それでもこの録音の価値は今も下がってはいません。モーツァルト演奏の究極の形がここにあるためです。さすがに、同じアプローチでこれ以上のことを実現するのは難しいのではないでしょうか。
極限まで達した後は、新たな試みが始まります。
■ 新時代の録音
クーベリックの録音が世に出た後、ピリオド・アプローチを採用した演奏が跋扈し、CDも次から次へと作られ、市場を席巻しました。やむを得ないところはあると思います。クーベリックの録音が出る頃までにモーツァルトの演奏は数限りなく行われ、そして極限にまで達してしまったからです。ある演奏家は楽器自体を持ち替え、ある演奏家はモダン楽器を手にしたまま奏法を変えました。音楽雑誌などでもピリオド・アプローチは絶賛されていました。が、もともと古典芸能のひとつであるクラシック音楽を聴く人たちがどれだけ本当に賞賛していたのか私は疑問です。少なくとも私はピリオド・アプローチによる演奏は、干からびて死んだ演奏であると固く信じ、密かにこの流行は早く過ぎ去ってしまえば良いと願っていました。ピリオド・アプローチのCDを聴き続けたのは、同時代の演奏を知っているべきであるという義務感によるもので、まず楽しめたことはありません。
ただし、今後の可能性として、ワルターやクーベリック以上のモーツァルトを聴かせる録音が登場するとすれば、ピリオド・アプローチによるものかもしれないと最近は真剣に考えています。二つの例を見ていきましょう。まずはお馴染みのアーノンクールです。
■ アーノンクール
モーツァルト
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
ニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1981年9月、アムステルダム、コンセルトヘボウ
TELDEC(国内盤 WPCS-21008)
交響曲第39番とのカップリングクーベリック盤の翌年の録音です。既に翌年にこのような演奏が行われていたのですね。古楽の先駆者であるアーノンクールは、モダン楽器の名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮し、完全にピリオド奏法を実行させています。最近でこそピリオド・アプローチを採用する例は増加していますが、1981年時点でコンセルトヘボウ管ほどのオーケストラが、ピリオド・アプローチを受容したことは驚きでした。この演奏も実験的な、干からびた内容かと最初は想像しました。しかし、他のピリオド・アプローチによる演奏を聴き慣れた耳で今この録音を聞いてみても、立派で充実しています。まず間違いなくコンセルトヘボウ管の団員が喜んでアーノンクールに従ったのです。どのようにして説得したのか分かりませんが、オーケストラの自発性も十分感じられます。アーノンクールはトランペットやホルンをナチュラル・トランペットやナチュラル・ホルンに持ち替えさせたりして、彼らに納得ずくで演奏させているのです。そのため、出てくる音が、よくありがちな実験の域を完全に超越しています。機械的・類型的な演奏でも決してありません。ここにあるのはアーノンクールとコンセルトヘボウ管による新しいモーツァルト像です。オランダは古楽の先進国だったので可能だったのでしょう。アムステルダムの聴衆は、アーノンクールが作り出す未知の音響、未知の刺激的な交響曲に遭遇し、ある人は戸惑いある人は興奮したことでしょう。
この録音が出た頃、私は「何故コンセルトヘボウともあろうものがピリオド・アプローチを採用してしまったのか」と嘆息しましたが、これは間違いだったと今は反省しています。結果的には録音後30年経った今も価値がある演奏となっているからです。また、コンセルトヘボウ管のレベルであったからこそここまで徹底したピリオド・アプローチを実現できたのです。
ちなみに、アーノンクールはその後、ヨーロッパ室内管弦楽団とこの曲を再録音します。
モーツァルト
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
録音:1993年6月28-29日、グラーツにおけるライブ録音
TELDEC(国内盤 SRCR 2303)
交響曲第39-41番とのカップリング名高いライブ録音です。腕利き揃いのヨーロッパ室内管弦楽団を使ってアーノンクールは堂に入った演奏を繰り広げます。もはやピリオド・アプローチは特殊ではないといわんばかりです。アーノンクールの先鋭な解釈はコンセルトヘボウ管との一連の旧録音より進化していると思いますが、「プラハ」に関する限り、出来映えはコンセルトヘボウ管との旧録音に及んでいません。新しい方が優れているわけではないという例ですね。コンセルトヘボウ管のすごさを再認識させられます。
アーノンクールがヨーロッパ室内管弦楽団と録音したのは1993年。もう20年近く前のことになります。アーノンクールには是非再録音して、新たなモーツァルト像を聴かせて欲しいものです。
そうしたところに、ピリオド・アプローチによる有力な録音が現れました。マッケラスの新盤です。
モーツァルト
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団
録音:2007年8月3-9日、グラスゴー
LINN(輸入盤 CKD 308)
交響曲第39-41番とのカップリング。SACDハイブリッド盤最初聴いたとき、「これだ」と思いました。マッケラスの再録音なので相当期待はしていましたが、それを遙かに上回る出来映えでした。近年、これほど血湧き、肉躍るモーツァルトを私は聴いたことがありません。ワルターとも、クーベリックとも違う、パワフルで筋肉質のモーツァルトが目の前に現れます。ほぼモダン楽器のスコットランド室内管の写真も掲載されていますが、ごく少人数で演奏しています。であるにもかかわらず、出てくる音は非常にダイナミックで、決然としています。演奏に迷いが全くありません。もはや指揮者にとっても団員にとってもピリオド・アプローチは特別なものではなく、演奏のスタイルとして完全に自分たちの血肉と化しています。これを聴くと、プラハ室内管弦楽団との旧録音ではまだピリオド・アプローチを取り入れながらも、まだ不完全燃焼だったことが分かります。老マッケラスはこの新録音でおそらくやり尽くしました。その自信のほどが如実に分かる圧倒的な演奏です。
こういう演奏が現れるならば、、ピリオド・アプローチも悪くないと思います。ただし、ひとつだけ気になることがあります。これだけの演奏を成し遂げたマッケラスが1925年生まれだということです。功成り名を遂げた人がよくここまで踏み込んでウルトラ・ダイナミックな演奏をやり遂げたものです。年齢とは関係なく、表現意欲が旺盛なのでしょうが、このレベルで演奏できる若手が続くのか気になります。
なお、参考までにマッケラスの旧盤を載せておきます。
モーツァルト
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
チャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団
録音:1986年6月12-14日、プラハ
TELARC(輸入盤CD-80148)
交響曲第36番「リンツ」とのカップリングもしスコットランド室内管との新録音がなければ、これがマッケラスのモーツァルトとして語り継がれたはずです。1986年、まさにピリオド・アプローチによる録音が続々と登場した時期の所産です。ピリオド・アプローチによる刺激的な音響と軽快なモダン楽器の音響がない交ぜになった演奏ですが、これだけでも立派な成果だと思います。
また、TELARCの録音が「本当にこんなきれいな音がしたのか」と思うくらいオーケストラの音を美音に仕立てています。本当にそうならいいのですが。あまりの美音なので、演奏より「音」ばかり聞いてしまいます。TELARCらしいCDだと思います。
2010年3月29日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記