An die Musik 開設11周年記念 「名盤を探る」
第16回 オーケストラル・バッハ
文:青木三十郎さん
<旧世代の名盤 1>“BACH TRANSCRIPTIONS”
J.S.バッハ[ストコフスキ編曲]
- トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
- 前奏曲 変ホ短調 BWV853
- シュメッリ歌曲集より ゲッセマネのわが主イエスよ BWV487
- コラール前奏曲「われらは唯一の神を信ず」 BWV680
- カンタータ 第4番 BWV4より コラール「キリストは死のとりことなれり」
- パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582
レオポルド・ストコフスキ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1972年9月7-8日 ルドルフィヌム、プラハ(ライヴ)
デッカ(国内盤:ユニバーサル UCCD7018)<旧世代の名盤 2>“GREAT BACH TRANSCRIPTIONS”
J.S.バッハ[特記以外はハリス編曲]
- 主よ、人の望みの喜びよ
- 小組曲第2番[フロスト編曲]
- トッカータとフーガ ニ短調 BWV565[オーマンディ編曲]
- カンタータ第156番より シンフォニア [無編曲]
- パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582[オーマンディ編曲]
- 「聖アン」のフーガ 変ホ長調 BWV552
- 小フーガ ト短調 BWV578
- プレリュードとフーガ BWV532より フーガ ニ長調
- 大フーガ ト短調 BWV542
- 管弦楽組曲 第3盤 BWV1068より G線上のアリア [無編曲]
ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
録音:1971年〜1973年 スコティッシュ・ライト・カテドラル、フィラデルフィア
RCA(国内盤:BMGジャパン BVCC38048)<新世代の名盤 1>“20th CENTURY BACH”
国内盤 輸入盤 J.S.バッハ
- トッカータとフーガ ニ短調 BWV565[ストコフスキ編曲]
- 音楽の捧げもの BWV1079より 6声のリチェルカーレ[ヴェーベルン編曲]
- 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より シャコンヌ[斎藤秀雄編曲]
- 「高きみ空よりわれは来れり」によるカノン変奏曲 BWV769[ストラヴィンスキー編曲]
- プレリュードとフーガ 変ホ長調 BWV552[シェーンベルク編曲]
小澤征爾指揮ボストン交響楽団
タングルウッド祝祭合唱団(カノン変奏曲)
録音:1989-1990年 シンフォニー・ホール、ボストン
フィリップス(国内盤:日本フォノグラム PHCP196)<新世代の名盤 2>“BACH TRANSCRIPTIONS”
J.S.バッハ
- トッカータとフーガ ニ短調 BWV565[ストコフスキ編曲]
- 幻想曲とフーガ ハ短調 BWV537[エルガー編曲]
- 音楽の捧げ物 BWV1079より 6声のリチェルカーレ[ウェーベルン編曲]
- 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552「聖アン」[シェーンベルク編曲]
- フーガ ト短調 BWV578「小フーガ」[ストコフスキ編曲]
- オルガン、ハープシコードと管弦楽のための組曲(管弦楽組曲第2番より 序曲/ロンドとバディネリ、同第3番よりアリア/ガヴォット1/ガヴォット2)[マーラー編曲]
エサ・ペッカ・サロネン指揮ロスアンジェルス・フィルハーモニック
録音:1999年10月6-7日 ドロシー・チャンドラー・パヴィリオン、ロスアンジェルス
ソニー・クラシカル(輸入盤:SK89012)大オーケストラ用に編曲された華麗なるバッハの世界。「んまっ、なんてお下品ざましょ!」とか「時代考証上ナンセンスの極みといえよう!」というヒトにとっては名盤どころか嫌悪の対象かもしれませんけど、当方大好きなもので。
ワタシが音楽を聴きはじめた頃はイージーリスニングというジャンルがけっこう市民権を得ていて、レイモン・ルフェーヴル、ポール・モーリア、カラベリらの「グランド・オーケストラ」による演奏で、欧州のポップスや映画音楽などの名曲をたくさん知りました。中でもクラシックの名曲を素材にした「ポップ・クラシカル」に夢中になり、「トッカータとフーガ〜ルフェーヴルが贈る華麗なるポップ・クラシカルの世界」と題されたLPなど何度聴いたかわかりません。その頃から「アレンジ」に関心があったわけでして、その後もBOB JAMESの「はげ山の一夜」でクロスオーヴァー〜フュージョンに開眼。最近になって興味が出てきた昭和歌謡でも歌い手や作詞家より作・編曲家のほうが気になります。筒美京平氏がバート・バカラックやポール・モーリアのサウンドをいかに研究しつくしていたか、とか。
バッハ作品のアレンジメント=トランスクリプションに抵抗がなく、むしろ好きだというのはこういった個人的事情があるからですが、いまだにその手のディスクが何種類も売られていることからしても、世間には同好の士が少なくないとみえます。ピアノを弾く方にとってはオーケストラ曲のピアノ用編曲も興味深いんでしょうけど、オーケストラ好きの一リスナーに過ぎぬワタシとしては、「バッハ・トランスクリプション」の世界のほうに惹かれますね。
■ 旧世代の名盤
まず挙げるべきは、やはりパイオニア的存在であるストコフスキでしょう。新旧何種類もある中で、手持ちのCDはチェコ・フィルとのライヴ盤。これはデッカのフェイズ4録音で、上記は1000円の廉価シリーズですが、最近のSHM-CDのラインナップにも加えられています。冒頭の「トッカータとフーガ」でいきなり大爆発、編曲・演奏・録音の相乗作用によりスペクタキュラーな効果満点です。こってりしたテンポと表情、この悪趣味一歩手前の大げささがたまらない。チェレスタなんかもいい味出してますが、他の曲も含めてもっとも活躍するのは弦セクションなので、チェコ・フィルのサウンドが効果的。それにしてもこういった荘重なオルガン曲をカラフルかつ重厚な管弦楽に置き換えるというのは、指揮者になる前はオルガニストだったというストコフスキならではの名アイデアだと思うのですが、最初はフィラデルフィア管のトレーニングを目的とした編曲だったそうで、いわば「まかない品の表メニュー化」みたいな話かも。
そのフィラデルフィアにおけるストコの後任者オーマンディもオーケストラル・バッハの伝統をきっちり継承。彼にも複数の録音があって、上記CDはRCAへの再録音をまとめたものです。ストコフスキ盤のそれに「グレイト」を重ねたタイトルが笑えます。しかし録音当時はストコ先輩が存命中のためフィラデルフィアでは彼の編曲版の使用に問題があり、仕方なく編曲をアーサー・ハリスらに依頼したりオーマンディ自身で行ったりしたらしい。といってもそのオーマンディ版「トッカータとフーガ」と「パッサカリアとフーガ」はストコフスキ編曲版にソックリでして、これはこれで別の問題がありそうな・・・。ハリス編曲「聖アン」のフーガ(CDにはBWV522とあるけど552の誤記)が後述のシェーンベルク版後半とかなり違うのと対照的。ともあれ、ストコほどの濃厚さはないものの明るくたっぷりとした響きで奏でられていくバッハを連ねた当盤は、BMGの「オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」シリーズ中もっとも売れたCDだそうで、やっぱりみんな好きなのね。
これらの音源は、内容のよさに加えて「元祖」「本家」というべき由緒正しい出自ゆえに、後世に残っていくことでしょう。それらはすでにオーケストラル・バッハの歴史の重要な一部であり、まさに「旧世代の名盤」そのものです。しかしその伝統がウリになるのはこのへんまで。フィラデルフィアではサヴァリッシュもバッハ4曲を含む「ストコフスキー・トランスクリプション」というアルバムを制作しているものの、ムーティ時代を経た1990年代ともなれば「なぜいまさら?」という時代錯誤的な違和感のほうが先に立つ。「新世代の名盤」といわれるには、なにか一工夫を加える必要がありましょう。
■ 新世代の名盤
そういうわけで、旧世代の名盤とは別の存在意義を持つようなCDを二枚挙げました。オザワ盤の原タイトルは「20世紀のバッハ」で、ストコフスキを含む20世紀の音楽家たちが編曲した版を採りあげています。このコンセプトは、ストコ盤と同じタイトルを持つサロネン盤もまったく同様。各編曲者のオーケストレーションの個性にもスポットを当てようというわけで、いずれも成功していると思います。
ともに冒頭はストコ編曲の「トッカータとフーガ」で、これはもはやお約束。あと共通しているのはシェーンベルクとウェーベルンの師弟で、やはりこの二人は外せないのでしょう。意外なほど明るくオーソドックスなオーケストレーションのシェーンベルクに対して、ウェーベルンの大胆なアレンジはいかにも彼らしい点描様式、この対比が実におもしろい。オザワ盤にはほかにストラヴィンスキーと恩師・斎藤秀雄の編曲作品が入っていて、前者のカラフルさと後者の渋さがこれまた好対照。一方のサロネン盤はストコがもう一曲あるほか、シャイーも録音したマーラー編曲の「管弦楽組曲」が目を引くものの、最大のウリはエルガー編曲の「幻想曲とフーガ」だと思います。「渋くて典雅な壮麗さ」が全開で、エルガー・ファン必聴。
オザワ、サロネンとも演奏傾向はかなり似かよっていて、旧世代に較べるとスリムでスッキリした軽量級のサウンド。編曲の違いを味わう上で重厚濃厚なコッテリ演奏はたしかに不都合でしょう。とはいえ、「トッカータとフーガ」などではオザワが少々旧世代寄りのアプローチを見せていて、これは意外でした。サロネンのシャープさスマートさは、最後の「管弦楽組曲」でちょっと違和感が。原曲も管弦楽曲なのだから、もっと壮麗な表現のほうがマーラーの狙いに近づけるのでは・・・という感想は、シャイー指揮コンセルトヘボウ管の録音を先に聴いていたからかも。それはともかく、両者とも外面的な華やかさやスペクタキュラーな演出効果の追求に走らず、バッハの原曲をリスペクトしつつ各編曲を鮮やかに描き分けていると感じられます。
この二枚、選曲と演奏はともに「新世代の名盤」と呼ぶにふさわしい内容でしたが、アルバムタイトルやジャケットデザインの詰めが甘い。オザワ盤はオリジナルの輸入盤こそ内容を端的に表したタイトル(20世紀のバッハ)とジャケット(バッハ及び5人の編曲者の肖像画)だったものの、国内盤はすでに初出からオザワ分身の術みたいな意味不明の写真に差し替えられていて、タイトルも「小澤征爾プレイズ・バッハ」。これはイカンなあ。サロネン盤では編曲者の存在がタイトルにもジャケットにも示されず、オビの付かない輸入盤などはそれを説明するシールがプラケースに貼られている始末。そしてサロネンのアップのジャケット・・・もうちょっとなんとかせえよ。ブル4よりはマシだけど。
2010年4月28日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記