ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」ケンペのデッカ録音を聴く
ルドルフ・ケンペ。名匠との評価は知りつつも、個人的関心の射程圏になかなか入ってこない指揮者の一人でした。
- 理由その1:ワタシがクラシック音楽を聴き始めた70年代末には「東芝系の廉価盤シリーズによく出てくるヒトで、新譜はBASF」という、(当時としては)B級イメージが強かった。
- 理由その2:アムステルダムにもシカゴにも縁がなく、また蘭フィリップスや英デッカにもほとんど録音を残さなかったという、(ワタシにとっては)縁遠いキャリアだった。
いやもう、お恥ずかしい限り。でもそのころ、下記の一枚だけは英デッカ=ロンドンから準レギュラー盤(ベストなんとかシリーズ?)として出ていたことと、そのデッカのエース・ソロイストだったチョン・キョンファが独奏ということで、例外的にA級感が漂うアルバムだという認識を持っておりました。とはいえブルッフの協奏曲第1番は「メンデルスゾーンのB面曲」「ついでに聴く曲」みたいにみなしていたし、オケもロンドン響やロンドン・フィルやフィルハーモニア管にくらべて地味な印象のロイヤル・フィル。あまり購買意欲をそそられぬまま世はCD時代に入り、やがて新世紀を迎えたころになって、ようやくケンペに対する関心が高まってきました。
その時分にはドラティ指揮の「スラヴ舞曲集」などを聴いてロイヤル・フィルへの好感度も上方修正済、またブルッフの協奏曲の魅力にも気づいていたので、大いに期待しながらCDを入手。すでにレギュラー盤どころか1000円シリーズの一枚でしたが、このジャケットがオリジナル・デザインなんでしょうか。明るい色彩感、ポップなイメージのタイポグラフィが印象的な、デッカらしい意匠です。
CD1
ブルッフ
ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 Op.26
スコットランド幻想曲 Op.46
ヴァイオリン:チョン・キョンファ
ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1972年5月15,20日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
デッカ(国内盤:ユニバーサル UCCD7045)■ ヴァイオリン協奏曲
それまでに聴いていたこの曲のディスクはといえば、チョン&テンシュテット指揮ロンドン・フィル(EMI)、パールマン&ハイティンク指揮コンセルトへボウ(EMI)、グリュミオー&ハイティンク指揮コンセルトへボウ(フィリップス)、ミンツ&アバード指揮シカゴ(DG)、コーガン&マゼール指揮ベルリン放送響(オイロディスク)、といったところ。ほとんどがメンデルスゾーンとの組み合わせです。
その中で、チョン本人の再録音はベートーヴェン(こちらはコンセルトヘボウ管)の余白に入っているもので、まさについでにしか聴かなかったものですが、そこでのロンドン・フィルの薄い響きとは違ってケンペが指揮するロイヤル・フィルは厚く充実したサウンド、はるかに聴きごたえがあります。あるいは新旧ハイティンクやアバードにくらべて熱気や迫力もケンペがずっと上で、独奏ヴァイオリンとの協奏的構図が実にあざやか。このシンフォニックなバックに埋没するどころか堂々と張り合っているチョンのヴァイオリンと、理想的な関係を築いているように感じました。
コーガン盤は、かつてLPで聴いていたときは引き締まった響きと辛口の表現が印象的で、「苦味走った硬派な男のブルッフ(とメンデルスゾーン)」という感想を持っていた一枚。しかし最近買ったクレスト・シリーズのCDはなぜか残響過多で硬質感が減じており、主張がピンボケになってしまったようで、これではとてもケンペ盤にはかなわないという印象。
最近の録音で聴いたのはヤンセン&シャイー指揮ゲヴァントハウス管で、これまた組み合わせはメンデルスゾーンという王道路線ながら、ブルッフがもう一曲収録されているあたりがCD時代を反映した企画。しかし演奏は美しいと同時におとなしめでもあり、「メンデルスゾーン・ディスカバリーズ」のシャイーとは大違い。これまたケンペに軍配が上がります。
という具合で、他盤との比較による相対評価しかできないのが我ながらもどかしいんですが、聴きくらべが楽しいはずのクラシック音楽における失笑フレーズ「これさえあれば他のCDはいらないといえよう」をうっかり使いそうになるほどの、ワタシにとって稀有な存在のディスクです、これは。
■「スコットランド幻想曲」
組み合わされている「スコットランド幻想曲」を続けて聴いたわけですが、埋め草用の小品だとなんとなく思いこんでいたところ、四楽章もあって時間的には協奏曲より長いことにまず意外な感が。そしてその味わい深きスコッチ旅情は、メンデルスゾーンのあの二大傑作には敵わないもののかなり肉迫するもので、佳き楽曲にめぐり逢えたヨロコビが沸きあがります。
メンデルスゾーンに及ばぬ理由は構成力が弱いせいらしく、それに気づいたのはつい最近、RCAリヴィング・ステレオの激安ペーパースリーヴ・ボックスに入っていたハイフェッツ盤を聴いたときでした。しかしその後チョン&ケンペ盤を聴きなおしてみても、その欠点はさほど感じられない。これはやはりサージェント指揮ロンドン新響よりも雄弁かつ老練なバックのなせる業であり、協奏的な楽曲においては形式面の自由さが大きいほど独奏と伴奏のバランスが重要なのであろう。という仮説を得たのですが、その証明には至っておりません。べつに証明する必要もないんですけど。
ケンペの商業録音には協奏曲の伴奏が少なくて、まったく残念です。デッカ録音も、ほかには翌年のヤナーチェク「グラゴル・ミサ」しかないようで、これまた無念。EMIやCBSよりはデッカのサウンドがやっぱり自分の好みだということを、今回ケンペをいろいろ聴く過程で改めて実感しました。
CD2
ヤナーチェク
グラゴル・ミサ
ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:テレサ・クピアク、コントラルト:アンヌ・コリンズ、
テノール:ロバート・ティアー、バス・バリトン:ヴォルフガング・シェーネ
合唱:ブライトン音楽祭合唱団(合唱指揮:ラースロ・ヘルタイ)
オルガン:ジョン・バーチ
録音:1973年5月25,26日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
デッカ(国内盤:ポリグラム POCL4541)このCDを買ったきっかけは、松本さんの「ケンペのグラゴル・ミサ(ヤナーチェク)を聴く」を読んだことでした。ケンペ盤の存在を知ってはいたものの聴いたことはなく、というより「グラゴル・ミサ」そのものが未聴だったので、これはいかんとCDを探索。中古ショップで無事発見できましたが、うーん宗教音楽かぁ・・・といまひとつ気乗りせず、しばらく放置したのち半ば義務的に聴いてみますと、演奏云々よりも楽曲自体の色濃い民俗性と密実な構成、そしてすさまじい迫力に圧倒されてただもう呆然、という次第でありました。
全8曲で40分強とコンパクト、中には2〜3分の短い曲もあって目まぐるしく展開。(上記CDにもフィルアップされている)高名な「シンフォニエッタ」を思わせる金管のフレーズで始まるその音楽は、多彩な独創性とスペクタキュラーな音響に満ちていて、とてもミサ曲とは思えない。複雑に展開する中間部を経て、荒れ狂うオルガン・ソロと騒々しい終曲でいきなり終わると、まるで嵐が過ぎ去った後のような気分に。まったくたいへんな作品です。
何度も聴いているうちに演奏について、ダイナミズムや推進力はもちろんのこと、静かな部分との対比をくっきりと表現していて、楽曲自体の高い完成度や充実度をきちんと伝えているように感じられました。同型のフレーズが繰り返されながらリズム・チェンジしたり印象的な転調に展開していく箇所が多いのですが、そのあたりのニュアンスの表現が巧いように思います。なので、後で聴いたアンチェル盤やマッケラス盤は、いまひとつしっくりこず物足りなさが残りました。
音質面でも、合唱や各種打楽器にパイプ・オルガンまで含む大編成のサウンドがみごとに捉えられていて、さすがデッカと思わせる音づくり。クレジットを見ると、エンジニアはケネス・ウィルキンソンとジョン・ダンカーリーの二人エース体制で、ここでもスプラフォン技術陣は大きく水を開けられているような・・・。ケンペのデッカ録音が二枚しか遺されなかったのは残念ですが、その一枚にこの曲が選ばれたことは実に幸運だったというべきでしょう。
なお、このケンペ盤も含めて通常演奏される「グラゴル・ミサ」はいわば「改訂版」だそうで、それに対する原典版というものが存在します。オーケストレーションやリズム処理が整理前のため複雑で、通常版よりさらに個性の強いものとなっていますが、最大の相違は終曲「イントラーダ」が冒頭にも置かれている点。これによって全体がみごとにシンメトリカルな構成になり、一気にバルトークの世界観にも接近するという、まことに興味深いものです。響きの面でもバルトークを思わせる箇所もありますし。そのバルトークを数多く録音したブーレーズとシカゴ響による、この「グラゴル・ミサ」原典版のCDがあります。放送音源によるシカゴ響自主制作CDですが録音も良好、オーケストラ及び合唱の力量とあいまってたいへんな聴きものになっていますので、ついでにお薦めいたします。
(2010年10月13日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)