ケンペのグラゴル・ミサ(ヤナーチェク)を聴く

文:松本武巳さん

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ヤナーチェク
グラゴル・ミサ
ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団
John Birch,organ Teresa Kubiak,soprano Anne Collins,mezzo soprano Robert Tear,tenor Wolfgang Schone,baritone
Brighton Festival Chorus
Universal Music Australia 466 902-2 (DECCA ELOQUENCE)

 私はチェコ音楽を愛している。その私がチェコ音楽を代表する作曲家として、まずヤナーチェクを指折ることに異議を唱える方は、An die Musikの読者の方々ならばそう多くはないと信ずる。スメタナやドヴォルザークよりもまずヤナーチェクをチェコの代表としてあげる所以は何かと言えば、民俗学的見地から考察すると、ボヘミア人は結構歴史的にも地理的にも西欧の影響が無視出来得ぬ側面が多数見られるのに対し、モラビア地方とモラビア人は、同じチェコの中にあってボヘミアに近接しているにもかかわらず、独自の文化と民族性をより多く保持して来たからと言えるであろう。その面から捉えて見ても、チェコの音楽家である前にボヘミアの音楽家であったと言えるスメタナやドヴォルザークは、ある一面汎ヨーロッパ的な、良く言えば世界的な適応力に満ちたしかもチェコを題材にした音楽を書いたが故に、チェコを代表する大作曲家となり得たのである。ところが、モラビアをバックボーンとするヤナーチェクはその表現方法や技法が、まさにチェコ独自の民族性に依拠しているが故に、世界的に認知される速度が前二者に比して著しく遅れたのであろう。しかしそれ故に、ヤナーチェクの愛好家を自称する私のような人間は、チェコ音楽に多大なる共感を持つ熱烈なファンであるとも言えるだろう。

 そのような側面がある故に、スメタナやドヴォルザークのように広く演奏されることのないヤナーチェクを録音している人の中には、マッケラスのようにスペシャリストと目される人が出ることもまた当然の理と言えるだろう。そのくらい「シンフォニエッタ」や「タラス・ブーリバ」などの、数少ないヤナーチェクの人口に膾炙した音楽以外を録音しているチェコ人以外の音楽家は、多くはないのである。そんな中で、ルドルフ・ケンペが録音した「グラゴル・ミサ」がほとんど忘れ去られている事に警鐘を鳴らしたく思い、ペンを取った次第である。このケンペの「グラゴル・ミサ」ははっきり言って、この曲における日本での最高評価を受けていると思われるカルル・アンチェルや、西欧で最高評価を受けていると思われるクーベリックの2人のチェコ人の偉大なる指揮者に対し、一歩も引けをとってないと言い切れる。むしろこのケンペの「グラゴル・ミサ」の評価を妨げている最大の要因は「偏見」だけであるとすら言える。私はこのケンペの録音を細かく分析することは止めておこうと考えている。それは、音楽を愛するAn die Musikの読者の皆様に、虚心坦懐にこのCDを手に取って聴いてみて頂きたいからに他ならない。その結果、やはりアンチェルやクーベリックを上位に置かれるのならば私はその事自体に異を唱えはしない。しかし、この録音がほとんど世界的に顧みられていない事が、純粋にヤナーチェクとチェコの音楽を愛する私に取って残念でならないのである。

 最近ケンペの再評価が国際的にも高まっているし、ここ日本においては初めて正当な評価を受けはじめている状況になって来た事は、個人としてとても嬉しく思う。しかしこのような隠れた名盤が、彼の多くの録音の中にはまだまだ多く存在していると思う。その再評価の一端となれば、との思いで今回の小論を書いてみた。今回の小論はゆきのじょうさんに触発されて書いてみようと思い立ったので、ゆきのじょうさんに無断で勝手に献呈させて頂きたいと思います。ゆきのじょうさん、ありがとうございました。

 

2003年5月18日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記