クレンペラーのヘンデル

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CDジャケット

ヘンデル
オラトリオ「メサイア」
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1964年2-11月
EMI(国内盤 TOCE-3237・38)

ソプラノ:エリザベート・シュワルツコップ
アルト:グレース・ホフマン
テノール:ニコライ・ゲッダ
バス:ジェローム・ハインズ
フィルハーモニア合唱団(合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ)

 シュテファン・ツヴァイクに「人類の星の時間」(みすず書房)という本がある。この本は人類の歴史における極めて重要な瞬間、例えば「ビザンチンの都を奪い取る」とか、「ウォータールーの世界的瞬間」とか「封印列車」など12の運命的瞬間を取り上げた短編集なのだが、その中に「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活」というものがある。「メサイア」作曲当時のヘンデルを描いたものだ。詳しくはこの本を読むとよく分かるのだが、ヘンデルはオラトリオ「メサイア」の作曲前は言語を絶する困窮に直面していたらしい。その困窮の中、ある日ふと霊感を得て作曲が始まると、異常な集中力でこれを書き上げたようだ。ヘンデルは2時間半にも及ぶこの大曲をなんと24日で完成している。いくら天才でもこれは速筆だ。当時のヘンデルがいかに強い霊感に支えられていたか、この状況を見るだけでもよく分かる。

 クレンペラーの演奏は、まさにヘンデルの霊感をそのまま体現してしまったような演奏である。おそらく演奏に際しての集中力もヘンデル顔負けだったろう。何度も再起不能を囁かれながらその都度見事な復活を遂げ、不死鳥のような復活を遂げたクレンペラーには、ヘンデルが感じた霊感をそっくりそのまま音に出来るほどの天才があったのである。

 演奏は大変峻厳な序曲で始まる。それはまるでベートーヴェンの序曲を聴いているような壮大なたたずまいである。これがあの「メサイア」かと思わず疑ってしまう。続くどの曲も崇高な緊張感がみなぎっているし、クレンペラーの強固な意志の力を感じさせる。私はこの頃これほど壮大な「メサイア」を耳にしたことがない。現代においては古楽器による軽妙・洒脱な演奏が多いだろう。私がずっと愛聴していたガーディナー盤などはさらに清冽で透明感のある仕上がりになっている。それはそれでひとつのあり方だが、クレンペラーの演奏はそうしたスタイルとは全く逆行している。次元が違っていると言ってもよいかもしれない。クレンペラーの演奏は重厚、壮大、荘厳、崇高など、およそ現代の流行から外れた形容詞がふさわしい。だから、おそらくガーディナーを代表とする古楽器の演奏を耳にしていて、そういう演奏でなければ嫌だと思う人は必ずこの演奏に拒絶反応を示すであろう。しかし、私は言いたい。この「メサイア」は非常に感動的であると。メサイアを聴いて感動したことは、実は私はクレンペラーを聴くまで一度もなかった。有名な「ハレルヤ・コーラス」だけを喜んで聴いていたというのが正直偽らざる実態であったと思う。だが、ここまで真に迫った演奏を聴いてしまうと、もはや後戻りはできない。クレンペラーの壮大な芸術にただただひれ伏すだけなのである。

 古楽器による演奏しか聴いたことがない人、あるいは、現代楽器による大規模な演奏を他の指揮者でしか聴いたことがない人、騙されたと思って聴いてみよう。あなたが今まで知らなかった名曲「メサイア」を発見するはずだ。

 

An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載