クレンペラーのモーツァルト 
■オペラ■

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CDジャケット

モーツァルト
歌劇「フィガロの結婚」 K.492
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1970年1月
EMI(国内盤 TOCE-9746-48)

 クレンペラーは最晩年の1968年からロンドンのフェスティヴァル・ホールでワーグナーの「オランダ人」、モーツァルトの「フィガロ」「コシ」を演奏会形式で上演し、録音を行っている。その録音はすべて現在EMIから発売されていて、非常に興味深い。どれもクレンペラーらしく、ユニークな録音なのである。

 それにしてもこの「フィガロ」の一般的な評価はどうなっているのだろう。例の宇野功芳氏が熱弁を振るってこの演奏を褒めちぎっているのは良く知っているのだが、これを聴いて「やはりそのとおりだ。すごく良かった!」と本気で思っている人はどれだけいるのだろうか。ちょっと疑問だ。

 私は、この「フィガロ」に罵詈雑言を投げつけられたとしても「そりゃ仕方ないな」と思う。全員がいいと思う演奏なんてないし、いいか悪いか意見が分かれる演奏の方が面白い。この演奏はおそらく「悪い」と決めつける人がさぞかし多かろう。私がこの演奏を聴いた時もびっくりした。超スローテンポなのだ。序曲からして無茶苦茶遅い。モーツァルトの序曲集に入っている「フィガロの結婚」序曲もやや遅めのテンポなのだが、その比ではない。気が遠くなるようなテンポなのだ。どうしてこう極端なことをしてくれるのだろうか。

 おそらく歌手達もこのテンポでは歌いにくくてたまらなかっただろう。有名なバルトロのアリア「復讐だ! ああ、復讐とは楽しみだ(La vendetta,oh la vendetta)」などでもせっかくの早口の歌が生きてこない。失速寸前のテンポの中で歌手達はほとほと困惑しただろうが、さりとて死に神の如き顔をした大指揮者に文句も言えず、唯々諾々と歌い続けたのだろう。全く気の毒な話だ。そんな演奏だから、オペラのCDにはよく抜粋盤が作られるが、このCDにはまず今後も抜粋盤が作られることはないだろう。

 しかし、誤解がないように申しあげておきたいのだが、それでもこの「フィガロ」には大変な価値があるのである。なぜか。非常に美しいからだ。超スローテンポによってこのオペラの持つ軽妙さがすっかり失われているとはいえ、大変美しい演奏だ。クレンペラーの遅いテンポによってモーツァルトが書いた音符のひとつひとつが手に取るように分かる。それは序曲から明らかで、考えようによってはこのオペラの隅から隅まで嫌になるほど堪能できるのである。こんな演奏をした例は少なくとも私はクレンペラー以外には知らない。クレンペラー85歳の時の演奏だけにこの超スローテンポは高齢からくる老化現象の現れと見ることもできるのだが、クレンペラーのことだから、確信犯的にこのテンポを採ったものと私は考えている。本当にふざけた指揮者だ。

 なお、ジャケット写真は最近出た国内盤ジャケットだが、できれば、高くとも輸入盤を買うことをお勧めする。歌詞がついていないのは他のCDのものを代用するとして解決できるが、ケースが紙製で強度に問題があるし、ケースの中にバラバラッとCDが無造作に入れてあるだけで、取り扱いが極めて面倒。日本語の解説も貧弱で、この録音にかかわる情報もほとんど得られない。クレンペラーに関する説明は何と3行半しかない。クレンペラーの意義ある録音なのだから、もっと大事にして欲しいのだが。

 なお、キャストは以下のとおりである。なかなか豪華なキャストである。録音も最優秀(クリストファー・パーカーが担当)。

  • アルマヴィーア伯爵:ガブリエル・バキエ
  • 伯爵夫人:エリーザベト・ゼーターシュトレーム
  • フィガロ:ジェレイント・エヴァンス
  • スザンナ:レリ・グリスト
  • ケルビーノ:テレサ・ベルガンサ
  • マルチェリーナ:アンネリーズ・ブルマイスター
  • ドン・バジリオ:ヴェルナー・ホルヴェーク
  • ドン・クルツィオ:ヴィリー・ブロックマイア
  • バルトロ:マイケル・ランドン
  • バルバリーナ:マーガレット・プライス
  • アントニオ:クリフォード・グラント
  • 二人の少女:テレサ・カヒル&キリ・テ・カナワ
 

 

CDジャケット

モーツァルト
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K.527
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1966年6月16日-7月4日
EMI(国内盤 TOCE-9749-51)

 ギャウロフに痺れるドン・ジョヴァンニ。

 クレンペラーのイメージだと、「ドン・ジョヴァンニ」はかなり期待が持てるのだが、ドラマとしての悲劇性が強く表現されているものの、キャストのせいか私にはやや堅く、重たすぎるように感じる。確かにキャストはEMIならではの豪華なもので、タイトル・ロールのニコライ・ギャウロフが見事な歌を聴かせる。解説では触れられていないが、当時ギャウロフは最高のバスとして破竹の快進撃を続けていた頃で、全く充実したドン・ジョヴァンニだ。本当に痺れてしまう。騎士長のフランツ・クラスもいい。レポレロのワルター・ベリーも、従者にしてはちょっと立派すぎるような気がしないでもないが、なかなかの出来だ。しかし、どうも女声陣が今ひとつのようだ。ルートヴィッヒにフレーニという最高のキャストであるにせよ、どうも役にしっくりはまってないような気がする。これ以上のことはEMIのCDに対する誹謗中傷になるので書けないが、この録音に対する不満は一見非常に豪華に見えるキャストにあると思う。

 逆に考えると、女声陣の登場しないシーンは心から楽しめる。レポレロの「カタログの歌」、ギャウロフの歌う悪魔的な「シャンパンの歌」など、枚挙にいとまがない。もちろん、第2幕第15場の地獄落ちはものすごい迫力で、聴き手を圧倒する。こういうダイナミックな場面になるとクレンペラーの指揮は本当に冴えてくる。私はこの地獄落ちは何度も聴いてしまった。

 キャストは以下のとおり。

  • ドン・ジョヴァンニ:ニコライ・ギャウロフ
  • 騎士長:フランツ・クラス
  • ドンナ・アンナ:クレイア・ワトソン
  • ドン・オッターヴィオ:ニコライ・ゲッダ
  • ドンナ・エルヴィーラ:クリスタ・ルートヴィッヒ
  • レポレロ:ワルター・ベリー
  • ツェルリーナ:ミレルラ・フレーニ
  • マゼット:パオロ・モンタルソロ
 

 

CDジャケット

モーツァルト
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」 K.588
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1971年1月25日-2月18日

EMI(国内盤 TOCE-9752-54)

 クレンペラー最晩年の録音。この録音についてはウォルター・レッグが回想録「レコードうら・おもて」の中で次のように述べている。

 <O・K(クレンペラー)の「コシ」を私流にゆっくりと進めています。テクスチュアは驚くほど明晰で、すべてのパートのすべての音に極めて細心の注意を払っているので、上手なコピーストならレコードを聴いて直接スコアを、まるで口述筆記のように、書き取れるぐらいです。ですが、私の考えではモーツァルト最高の傑作であるこの作品の喜劇精神や人間味は、ドイツ人的なきまじめさの中に溺れ死んでしまいました。陽の光が全く射して来ないのです。笑いも、心の痛手も、優しさも、やきもちも、ショーペンハウアーの重苦しさに消しとんでしまいます。>

 さすがレッグと言いたいところだが、私にしてみれば「このすっとこどっこい!」である。私はこの「コシ」が大好きなのである。身がとろけるほどきれいなモーツァルトの名旋律を堪能できるからだ。レッグの言葉、なるほど前半はそのとおりだ。これほどの明晰さを持った演奏は他にないだろう。確かにテンポは「フィガロ」ほどではないにせよ、ちょっと遅いかもしれない。しかし、それだからって、陽の光が射して来ないなどということはない。笑いもあるし、心の痛手も、優しさも、やきもちもある。それもたっぷりある。信じがたいことだが、レッグは最晩年のクレンペラーの芸術には懐疑的であったから、この録音についても否定的に見すぎる嫌いがあったのかもしれない。

 確かにオペラ・ブッファとしてはゆっくりめのテンポだろうし、スローモーションでスコアを拡大して細かく調べながら演奏しているような風情は声楽の分野で一家言を持ち、マリア・カラスまでが助言を受け入れたというレッグにしてみれば我慢ならないものだったろう。レッグと交友があったオペラの大指揮者でこのような演奏をした人もいなかったと思う。しかし、だからこそこの演奏に独自の価値があるのではないか? そもそも明晰さの点で抜きんでていることの一体どこが悪いのか。「コシ」を鑑賞する際にこれほどすばらしい録音は他にないと私は思う。粒よりの歌い手達によるアンサンブルが、ため息が出るほどの美しさで次から次へと歌われるのを聴くと、「このCDを買って良かった」とつくづく思うのである。嘘だと思ったら、騙されたと思って聴いてみることを強くお勧めする。この極上のアンサンブルオペラに痺れてしまうこと間違いないだろう。

 録音も最優秀。EMIがやっとステレオ録音になれてきたのか、強奏でも音が割れることはないし、艶やかでみずみずしい。「フィガロ」同様すばらしい録音だ。

 キャストは以下のとおり。実に粒ぞろいで、このCDの魅力にもなっている。

  • フィオルディリージ:マーガレット・プライス
  • ドルベルラ:イヴォンヌ・ミントン
  • グリエルモ:ジェレイント・エヴァンズ
  • フェルランド:ルイジ・アルヴァ
  • デスピーナ:ルチア・ポップ
  • ドン・アルフォンゾ:ハンス・ゾーティン
  • ジョン・オールディス合唱団
 

 

CDジャケット

モーツァルト
ジングシュピール「魔笛」
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1964年3月、4月
EMI(国内盤 TOCE-9121-22)

 ご存じの方も多いと思うが、この「魔笛」にはせりふがない。最初このCDを買ってしまったら、おそらく「魔笛」がどのように上演されるか分からなくなるに違いない。

 私も最初この演奏に接して困ってしまった。クレンペラー贔屓の私でもせりふがない魔笛がここまで変だとは思わなかった。しかし、聴き進むうちに印象が次第に変わってくる。それも劇的に変わってくる。某評論家もいうとおり、せりふがないことによって音楽がより劇的に感じられるようになっている。せりふがなければないで劇そのものはどんどん進行していくし、モーツァルトの音楽そのものを集中して聴いてしまう。

 そして、当たり前なのかもしれないが、せりふがなくてもこの曲に最も重要なメルヘン性は全く失われていないのである。モーツァルトの音楽はせりふがなければたちまち崩壊してしまうようなものでなかったのだ。

 クレンペラーはこの曲に特別な思い入れがあったに違いない。わざわざせりふを入れなかったのだって、こだわりがあるからだ。そうでなければこんなに音楽的に充実した「魔笛」にはならない。指揮者がよほどの音楽性とそれを音にする力量がなければいい歌手を集めたってだめなのだ。もちろん、この「魔笛」は音楽だけで不思議なほど盛り上がる。第2幕の後半になるともう胸がどきどきわくわく。これはもう「魔笛」そのものではないか。指揮をしていなければとんでもないクソジジイであったクレンペラーは、なぜかモーツァルトの演奏になると神の如き音楽の創造者になるのだからたまらない。

 ただし、私だってクレンペラーがせりふ入りで演奏した魔笛を聴いてみたい。これはそういう意味ではクレンペラーファンをいらだたせるCDである。地獄にいるクレンペラーに文句を言いたい。

 キャストは以下のとおりである。豪華である。

  • タミーノ:ニコライ・ゲッダ
  • パミーナ:グンドラ・ヤノヴィッツ
  • パパゲーノ:ワルター・ベリー
  • 夜の女王:ルチア・ポップ
  • ザラストロ:ゴットロープ・フリック
  • 弁者/第2の僧:フランツ・クラス
  • 第1の侍女:エリザベート・シュワルツコップ
  • 第2の侍女:クリスタ・ルートヴィッヒ
  • 第3の侍女:マルガ・ヘフゲン
  • パパゲーナ:ルート・マルグレート・ピュッツ
  • モノスタトス/第1の僧:ゲルハルト・ウンガー
  • 二人の戦士:カルル・リーブル&フランツ・クラス
  • 第1の少年:アグネス・ギーベル
  • 第2の少年:アンナ・レイノルズ
  • 第3の少年:ジョセフィン・ヴィージー
  • フィルハーモニア合唱団
 

 

CDジャケット

モーツァルト
歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492
フリーメイソンのための葬送音楽 K.477
歌劇「後宮からの逃走」序曲 K.384
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲 K.527
歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲 K.588
アダージョとフーガハ短調 K.546
歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲 K.621
歌劇「魔笛」序曲 K.620
セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
録音:1964年
クレンペラー指揮フィルハーモニア管、ニュー・フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-3239)

 クレンペラーはおそらくどの曲も何度も劇場で取り上げたことがあるに違いない。彼はモーツァルト演奏でも傑出した指揮者だったから、序曲やアイネ・クライネ...の出来がいいのは当然だ。劇的な表現をことさら狙っているわけでもないのに、劇的な迫力も十分あるし、遅めのテンポにもかかわらずモーツァルトの軽みも、透明感も感じられる。短い曲の中でも常にモーツァルトらしさを失わない演奏ばかりだ。

 私個人としてはこうしたCDは滅多に聴き通すことはしない。もともと別のオペラの序曲ばかりだから、通して聴いていると曲調の変化があまりにも頻繁で疲れてしまう。だから、時々「あれはどんな演奏だったろうか」と思い出すために聴くことが多い。そうするといつもクレンペラーの芸達者ぶりに驚く。喫茶店でだらだらかかっているような曲でも、クレンペラーの手にかかると今まで気がつかなかったいろいろな音が聞こえてくる。曲のイメージまで変わってしまうものもある。

 ここで聴く「フィガロ」や「コシ」、「後宮からの逃走」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」がやや遅めのテンポで演奏されているために、拒否反応を示す人もいるかもしれない。しかし、それでも美しい演奏で、モーツァルトの音楽が持つ上っ面だけではない「美」を心ゆくまで楽しむことができる。

 また、名曲「フリーメイソンのための葬送音楽」や「アダージョとフーガハ短調」はクレンペラーの特質が非常に良く現れた演奏で、何度聴いても新しい発見がある。特にアダージョとフーガのフーガ部分はクレンペラーの面目躍如と言うべき演奏で、こうした曲に対するクレンペラーの真摯な演奏姿勢がひしひしと伝わってくる。

 

An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載