クレンペラーのストラヴィンスキー

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CDジャケット

ストラヴィンスキー
バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
ニュー・フィルハーモニア管
録音:1967年3月28,30,31日
バレエ組曲「プルチネルラ」
フィルハーモニア管
録音:1963年2月18日、5月14,18日
TESTAMENT(輸入盤 SBT 1156)

 「ペトルーシュカ」は、クレンペラーの死後四半世紀を経てようやく発売された曰くつきの録音。CDにはAlan Sandersによる非常に優れた解説がついているので、この録音にまつわる事情がよく理解できる。それによれば、こんな話ができあがる。

 EMIは1950年代からストラヴィンスキーの録音を行いたかった。しかし、それを行う指揮者として候補に挙げられた二人の指揮者、すなわちカラヤンとクレンペラーには録音の機会がうまく回ってこなかった。カラヤンは当時ストラヴィンスキーに特段の興味を示していなかったし、クレンペラーはドイツ・オーストリア系の大家として成功していたために、最も遠いイメージがあるストラヴィンスキーの録音は後回しにされた。

 しかし、クレンペラーはストラヴィンスキーの音楽を非常に良く知っていたし、高く評価していた。そもそもクレンペラーは現代音楽の旗手として名を馳せた指揮者だから、本来はストラヴィンスキーもクレンペラーのレパートリーであってもおかしくはない。

 1667年4月4日、、そんなクレンペラーは急遽指揮の代役をすることになった。パウル・クレツキが病気のためだった。クレツキが予定していたプログラムはハイドンの交響曲第101番「時計」、マーラーの「不思議な角笛」、そしてブラームスの交響曲第1番であった。このプログラムは、誰が見てもクレンペラーに打ってつけの内容であったにもかかわらず、クレンペラーはブラームスの交響曲第1番の代わりに「ペトルーシュカ」を演奏することを主張した(Alan Sandersはここで"he surprisingly insisted on substituting Petrushka for Brahms symphony"と書いている。よほど驚くべきことだったに違いない)。

 EMIはこの演奏会のプログラムが決まると、それに先立つ3月28,30,31日の三日間で録音を決行。ついにクレンペラーの「ペトルーシュカ」が完成した。しかし、このセッションの編集テープができてくると、関係者は「とても発売できる代物ではない」としてお蔵入りさせてしまったのである。

 このあたりの事情はヘイワースによる"Otto Klemperer his life and times vol.2 1933-1973"にも書かれている(p.326)。それによれば、クレンペラーは1971年になってこの録音のことを思い出した。そして、「ロッテ、あの録音はどうなったんじゃろうか?」と愛娘ロッテに聞いてみた。ロッテがEMIに確認すると、EMIは「あなたの父君はあまり調子が優れなかったようで...。これを発売することはクレンペラー博士も望まれないのではないでしょうか?」と返事をしてきた。ロッテはテープを送ってもらうが、それを聴いたクレンペラーも「発売には及ばず」と同意したらしい。

 ここまで書くと、ダメ録音がたまたま発掘されただけにしか思われないだろう。ここまでの話が一人歩きしないことを私は切に祈りたい

 Alan Sandersによれば、これはEMIが当初編集し、クレンペラーが耳にしたであろうテープとは別のものである。最初にできたテープは3日分の録音のうち、主に3日目を使って編集されたが、今回のCDのために使われたのは初日の演奏が中心だという。「オケも指揮者もより新鮮で、自発的なアプローチをしている」という。

 さて、この録音にまつわる話を要約しただけで長くなってしまった。肝心の演奏はどうなのか?私はとても楽しかったし、興奮してしまった。このようなスタイルで演奏された「ペトルーシュカ」はこれまでなかったのではないだろうか。なにしろ演奏スタイルは全くふざけていて、クレンペラーはぶっきらぼうの限りを尽くす。唯我独尊我が道を行くといった演奏である。千変万化のリズムや色彩感をこの演奏で楽しむのは少し難しい。が、ぶっきらぼうなだけに妙な重量感と迫力があり、その迫力に聴いていて押しつぶされそうになる。第1場から重量級の音楽が聴き手を圧倒する。聴いていて恐くなること請け合い。クレンペラーのことだから、おそらくわざわざこうしたスタイルを選んだのだろう。全く破天荒な指揮者だと思う。これではストラヴィンスキーを得意にしている大指揮者達の華麗で色彩感あふれる演奏と比べたら、異質すぎて同じ土俵に乗せてもらえない可能性がある。

 しかし、このようなスタイルによる演奏があったっていいではないか?事実、猛烈に面白い。興奮のあまり何度も聴いてしまう。「ペトルーシュカ」に対する認識を改めてしまう人も多いのではないか?私もたくさんのCDを比較してみたが、これほど破天荒な演奏をしたCDは手元になかった。あのストコフスキー盤(国内盤 EMI TOCE-8851)でさえ、クレンペラー盤の前には霞んでしまう。こうなると、大変な存在感だ。

 ところで、このCDは音質も非常によい。1967年の録音であるから、アナログ・ステレオ録音は最盛期を迎えつつある。音質がよいのは当然であるが、それを考慮しても優れた音質だ。それだけにクレンペラーの破天荒ぶりがよりいっそう際立ってくるからうれしい。また、録音当時のニュー・フィルハーモニア管は全盛期とはいえないはずだが、大変優れた演奏をしている。これだけの演奏技術を持ったオケが、クレンペラーの指揮で演奏し、最高の音質で録音されたのだから、お蔵入りなどもったいない話だ。このCDを聴いて、クレンペラーがどう思うか私は興味津々である。おそらくは自信を持って世に出すことに同意するに違いない。

 なお、「プルチネルラ」は、下記CDをご参照。

 

 

CDジャケット

ストラヴィンスキー
3楽章の交響曲
録音:1962年3,5月
「プルチネルラ」組曲
録音:1963年2月18日、5月14,18日
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(国内盤 CLC-1019-26)

 EMIの Classic 21 のメンバーが買える"The art of Otto Klemperer"からの1枚。国内盤、輸入盤ともこの録音は市販されていない。なぜだろうか? クレンペラー自身、ベートーヴェンのスペシャリストとしてレッテルを貼られていることを嘆いていたが、そうしたレッテルのせいなのだろうか? ドイツもののイメージが一度強固に出来上がってしまうと、ストラヴィンスキーはセールスの邪魔になるとでも考えているのだろうか? 全く訳が分からない世の中だ。現在でこそクレンペラーはドイツものにイメージが強いが、若い頃から現代音楽を盛んに取り上げ、演奏してきた。中でもストラヴィンスキー(1882-1971)はクレンペラー(1885-1973)と全く同時代の作曲家であり、ロサンゼルスでは深い親交を結んでいたという。そんなクレンペラーが指揮したストラヴィンスキーの演奏が悪い出来のはずがない。もっとEMIは認識を新たにした方がいいのではないだろうか。

 3楽章の交響曲:クレンペラーらしい大変先鋭な演奏。暴力的な開始部分から最後の一音に至るまでストラヴィンスキーの世界を高密度で表現している。特に両端楽章ではいろいろな音の素材が左右のスピーカーから色彩豊かに飛び出してくる。その響きを聴くだけでも非常に面白いのだが、そのレベルを超えて、極めて充実した音楽に聞こえてくるのは、やはりクレンペラーの確固としたリズム感によるものだ。遅くなることもなく速くなることもなく、揺るぎないテンポだ。第3楽章ではめまぐるしくテンポを変えなければならないが、それでもクレンペラーは落ち着き払った指揮ぶりだ。ダイナミクスの取り方も申し分ない。この曲に内在する不安感、焦燥感が生々しく表現された名演である。また第2楽章は静かな音楽であるだけにオケの技術がよく分かる。弱音でこれほど美しい響きを出せるとは。フルートを代表とする木管楽器群にはブラヴォーといいたい。

 「プルチネルラ」組曲:楽しい曲の楽しい演奏。クレンペラーによれば「ストラヴィンスキーはいつも古典音楽に関心を持ち、毎日のようにバッハの<平均律クラヴィーア曲集>を弾き、喜々として取り組んでいた」らしい(クレンペラー 指揮者の本懐p.145)。そんなストラヴィンスキーがペルゴレージなどの古典音楽を題材に作った「プルチネルラ」は現代音楽家のセンスと古典音楽が融合してできたものであったし、クレンペラーが見ても面白くてたまらない作品であっただろう。この演奏を聴くと、クレンペラー自身がそれこそ喜々としてタクトを振るっているのがよく分かる。もちろん指揮者だけでなく、楽員達も演奏を心から楽しんでいるようだ。何度聴いても、いつ聴いても音楽が暖かく鳴り渡り、ほのぼのとした気分に浸れてしまう。アット・ホームな雰囲気というべきか、あるいは人の体温を感じさせるというべきか、音楽の愉悦がひしひしと感じられる。冷血といわれるクレンペラーの知られざる一面を垣間見るような演奏である。これほどの演奏ができたのはやはり手兵フィルハーモニア管があったからであろう。録音も含めて、これはクレンペラーの隠れた逸品だ。

 

An die MusikクラシックCD試聴記、1999年掲載