旧盤ウィーン・フィルとのブラームスの第4交響曲

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ブラームス作曲
交響曲第4番ホ短調作品98
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1956年3月24日、25日
ポリグラム POCL-4315(国内盤)
(初CD化は、イタリアの海賊盤の全集=3枚組)

CDジャケット

フランスDECCA 466 540-2

 

■ 話題の端緒

 

 また変なものを取り上げて・・・ とおっしゃられるかも知れない。しかし、私はクーベリックとブラームス、クーベリックとウィーン・フィル、これらの組み合わせがイマイチのマッチングであるとの世評に関して、この1枚がある故に逆にその優れた適性を主張してきている。そこでこの場でも、いつもの主張をして見たいと思う。

 

■ 日本初CD化時の暴挙

 

 冒頭から申し訳ないが、苦言をレコード会社に申し上げたい。この旧全集が日本で初めてCD化されたとき(97年7月)、2枚で全集として発売された(1,2番で1枚、3,4番で1枚)。しかし、上記の海賊盤で初CD化されたときの1番と2番のトータル・タイミングは81分13秒(ポーズを含まない実演奏時間です!)であった。要するに第1番の一部のリピートを当時-のポリグラム・ジャパンが勝手に割愛し、その他手練を尽くして(いろいろとやってくれてます!)、1枚に収めたのである。この件については、私は2年位前、和泉さま主宰の『クーベリックML』でかなり詳しく書き、それをあの大谷さまや主宰者の和泉さま等のご協力をえて、かなり詳細なデータ分析が既になされている。これは、今でも上記MLに参加すれば閲読が可能であるので、ご興味のある方は是非MLにご参加ください。大谷さんのページからMLに飛べます。

 

■ 初発売時の一般的評価

 

 ところで本題に入ることにしよう。なぜ、ウィーン・フィルとの第4交響曲が優れた演奏であるのか? そこで、初めて発売されたときの日本の一般的な評論から見て見よう。権威ある雑誌『レコード芸術』によれば、同時期のワルターとの比較を一応した上で、ほとんどバッサリと切り捨てられている。よって私はその土俵から、クーベリックの優位性を逆に検証して見たい。

 

■ 田舎者の都会的表現のアンバランス

 

 まず、ブラームスはネクラではない! 田舎くさいだけである! 少なくとも、この曲から感じ取れるブラームス像は、温かくロマンティックなファンタジー溢れる人物像に行き着く。まさにいつも私が主張するクーベリック像と重なるではないか! しかし、ブラームスはドイツ人である。ウィーン情緒豊かなワルターの解釈は、ワルター個人の人間性と、ウイーン的な側面を相当強調しており、私からすればこれは優秀な演奏であることには吝かではないが、少なくともブラームス弁ではない! 例えて言えば、東北に生まれ育った人間の関西弁みたいな音楽が出来上がっているのが、ワルター盤なのである。私は、ウィーンのような都会的なスマートな世界と、ブラームスの田舎くさい野暮ったい音楽とは相容れない世界であると理解しており、その面からのブラームス像を描き出している演奏を好む。要するに、ワルター盤のもっとも受け入れがたい点は、ブラームスの田舎くさいおっさん像が全く見えない点にある。もうお分かりだと思うが、私はブラームスの田舎くさい側面・野暮ったい側面を、心底偏愛しているのである。

 

■ クーベリックとVPOの魅力

 

 では、クーベリックの演奏はどうであろうか? ここからは、ウィーンの情緒は微塵も感じ取れないし、ウィーン・フィルの演奏であることも、知らないで聴くと気付かない。しかし、ブラームスの本質たるかっちりとした造型のなかで、起伏を大きく雄大に取って、しかも流麗に流れ(流れないブラームスの演奏を聴かされると辛いものがあります)、休止符をほんの少し長めに『間』を持たせて取ることを完璧にやり遂げている所こそが、クーベリックとウィーン・フィルの水際立った上手さなのである。この点で、後年のバイエルンとの録音は、残念ながら到底及ばない。要するに、ブラームスの語法とは、暗い北欧的な基盤のなかで重量感と情熱を表出する点に本質がある。このような、ブラームスの内心の発露こそがブラームスの魅力であると同時に、逆説的に言えば、ブラームスが嫌われることの多い作曲家である理由でもある。

 

■ 若干の分析とまとめ

 

 なお、クーベリックとウィーン・フィルの第4が、後年のバイエルンとの再録音を上回っていると私が考える部分をいくつか指摘しておきたい。第一に、第1楽章展開部から再現部にかけての処理。ここの部分を情熱豊かに、かつ滑らかに移行させていく録音は数少ない。第二に、第2楽章の深い内面性への共感度。クーベリックの深い部分でのブラームスへの愛情が感じ取れる部分である。第三に、第4楽章の重厚な表現力。パッサカリアを実に見事に処理しきっている。これらを上手く中和した演奏となっている点で、後年のバイエルンとの物を上回っていると考える。要するに、ブラームスの野暮ったい田舎者の側面と、妙な明るさを持った万年青年の側面の、ジキルとハイド的な二面性をうまく融合して表出しているこのブラームスを私は高く評価している。煮え切らないブラームスを逆手にとって、表現しつくした演奏とも言い換えられるだろう。

 

An die MusikクラシックCD試聴記 文:松本武巳さん 2003年8月10日掲載